閑話:秘密の話し合い(フィン視点)

 トーステン殿の隠し小部屋から、カミーユたちが退出するのを見送った。

 恐らくカミーユたちには聞かせられない話があるのだろう。

 壁がピタリと閉まった途端、クリスが突然弾けるような声を上げた。


「ああああっ、フィン! もう最高だったよ! ほんっとうに来てよかったっ!」


 クッションを一つ抱き込み、声だけじゃなく身体もソファの上で弾ませ、横になるように上体を倒し始めた。

 完全に気を抜いている。

 慌てて手を伸ばすと、完全に横倒しになる前にクリスの頭をぐいっと持ち上げた。


「おい、クリス。トーステン殿の前だぞ」

「すまん、フィン。なんかもう興奮しちゃってさ……」


 トーステン殿が呆れて、苦笑しているではないか。


「二人は学友だったね。……それに気持ちはわかるよ。カミーユの調香技術は凛として美しく、素晴らしかったからね。カミーユの手の先で香りが踊るようだったじゃないか」

「本当に! 調香を初めてこの目で見たから違いがわからないけれど、すごいとしか言えないよ!」


 二人の言葉に私も頷いた。


「他の術と一緒で、人によってやり方が全く違うんだ。だが、そうだな……。カミーユの調香は香りに寄り添っているように見えた」


 今日の調香は安心して見ていられたと思う。

 そういえば、森の素材の時はねじ伏せるような力をカミーユから感じた。もしかして、アレが「酔い」の原因じゃないだろうか。


 そこでもう一度、クッションを抱き込んだクリスが歓声を上げた。


「ああ! ここで会えるなんてね!」


 クッションをぎゅうぎゅうと抱きしめていたが、しばらくしてそれを横にポンと置いた。


「……カミーユに言ったことは嘘じゃない。僕はずっと会いたかったんだ。ヤスミーナの恩人だからね」

「恩人……?」

「ああ。大げさでもなんでもない。ヤスミーナがロスワルド王に嫁いだばかりの頃だよ。馴染めずに孤立していると聞いたとき、やっぱりと思った。なぜ婚姻に反対しなかったのか、どうしてフィンを待つように、もっと強く言わなかったんだって、後悔したさ」

「クリス……。すまない、あの時は……」

「いや。あのはやり病の状況で、フィン個人としても、薬術師としても、婚姻を考える余裕のあるわけがない。それにヤスミーナを娶り、サウゼンドとの関係改善に繋げたいというロスワルド陛下の申し出には、利しかなかった。ヤスミーナもそう思ったんだろう。でも、陛下はそう思っても、周囲までそうだとは限らない。ヤスミーナの状況を聞くたびに辛くてね。独立したっていっても、もとは一領地。国力も影響力もない。ヤスミーナを支えることも満足にできない。隣のシャンブリーと支え合ってきたけれど、先祖を恨んだこともあったよ」 


 自嘲気味のクリスに、トーステン殿もふうっと息を吐くと頷いた。


「……気持ちはわからぬこともない。私は逆だ。今もなお中央から『香りなき辺境』と馬鹿にされる度に、なぜ独立しなかったのか、と。『其方の地の香り高き薔薇は、辺境と馬鹿にするアルタシルヴァの山の高みからもたらされた物ぞ!』と言い返したいのをどれだけ我慢したことか!」


 トーステン殿も何事かを思い出したのか、その声に力が籠った。


 数領地の独立を許した分裂王コンロ―は、五代前の為政者だ。

 サウゼンド、シャンブリー、それにトーステンも合わせた南の三領地で独立するはずが、当時のトーステン領主は死の床にあり、二領地に足並みを揃えることができなかったという。

 今はもう独立しようとは思っていないだろうが、トーステンは常にサウゼンド、シャンブリーに協力的だ。心境的にも、位置的にも、トーステンは王都よりも南の二国に寄り添っている。


「女神への信仰が強いからそうなるんだよね。でもさ、『じゃあ、我ら辺境は女神に見放されたというのか? 違う! 我らにも女神に与えられた花があるじゃないか』って、ずっと思ってた。そんな時にさ、ヤスミーナからドラゴン便が来たんだよ。ドラゴン便だよ? こっちは何事かって、緊張して開けるじゃないか。そしたら『面白い少女に会いました。ジャスミナの花で試してくださいませ』って、久しぶりに文字が楽しそうに跳ねている手紙でね」

「その少女が、カミーユ?」

「そう! 後は知っての通り。ジャスミナ茶はサウゼンドのためにも、ヤスミーナのためにもなってくれた」


 トーステン殿が頷いて続けた。


「そして今回もってことだね。王都から極秘だと話を聞いた時には頭を抱えたが、まさか思わないじゃないか。やっとこの街に来てくれた調香術師が鍵となるなんて」

「ここに来る前、うちは父上とケンカになった。ヤスミーナからの知らせでカミーユの名前を聞いたときから、父上と私、どちらが行くかで譲らなくてね。フィンもいるし、大事にしないためにも私が行くと言ったら、落ち込んでいたよ。父上もカミーユに会いたがっていたから。そしたらまあ! 想像以上だったよ!」

「フィンのおかげでカミーユがこの地に来てくれた」

「フィンが後見のようなことになっているんだろ? カミーユはどんな感じだい? 手間をかけるし、贈り物をしたいんだが、何か好きなものはあるのかな?」


 どんな感じ……?

 パパパッと脳裏にカミーユの姿が浮かぶ。

 抱き着く。工房で寝る。ナイトガウンで歩く。脳内ママンも頭が痛いだろう。

 ……これは言わないほうがいいかもしれない。

 そうだな。いい調香術師になるだろう。うん。

 好きなものは、と。カフェーに、甘味。いや、おいしいもの全般に前のめりな気がする。

 あとは、香料の原料は全部好きじゃないだろうか。


「カミーユは職務に真摯に向き合う調香術師になると思う。好きなものは、そうだな……。先ほどもケーキを喜んでいたように思うが?」


 二人が揃ってプッと吹き出した。


「ケーキを目で追っていたね」

「うんうん。嬉しそうだったよね」


 やはりあのソワソワとした雰囲気は、誰の目にも留まったらしい。

 いや、もしかすると初めて食べるケーキだったのだろうか。


「……カミーユはローザハウス出身だ。恐らくだが、食べるものも満足にない時もあったようだ。カミーユにとって甘いものは、たまに口にできる御馳走なのだと思う」


 ニコニコとしていた二人がそろって眉根を寄せ、ピタリと黙った。

 

「たくさん贈るよ。カミーユが嬉しくて天まで飛び上がるぐらい」


 クリスがきっぱりと言い、トーステン殿が何度も大きく頷いた。


「そうだね。これから作業も多いだろうし、甘いものは疲れを取る。いい店を紹介しよう。いや、うちの厨房に頼むほうがいいかもしれない」

「今日のケーキは好きそうだった」

「クッキーも簡単に摘まめていいだろう」

「さっぱりとしたものもあった方がいいんじゃないかな。リモーナパイとか」

「パイなら甘芋のパイもお腹の保ちがいい」

「サウゼンドのオランジェ―ナも手配しましょう」


 嬉しくて飛び上がるより、量に驚いて飛び上がりそうだ。


「トーステン殿、クリス。定期的に届くほうが嬉しいんじゃないだろうか」

「そうか」

「そうだな」


 

 ◇



 カミーユへの贈り物は解決を見た。

 しばらくカミーユは菓子に困らないはずだ。

 ……いや、食事を菓子で済ませないように言わないと。


「さて、カミーユが頑張ってくれるんだ。我々もできることをしないとね」


 楽しそうだったクリスの雰囲気が、ガラリと変わった。


「南のシャンブリーと、それから北の三国とも連絡を取り、グリマーシュに対する懸念は共有されている。こちらでも独自に調査した。わかったことを伝えよう」


 クリスがそこで話を止め、私を見た。


「シャンブリー公はここに来たがっていたが、父上と同様に動くと目立つ。代理としてフィンを、とのことだった」

「義兄上が?」

「愛する義弟のフィンにも会いたかったらしい。この後、遊びに来いとうるさいかもしれんな?」


 ため息が出た。


の弟だ。それに、つい最近シャンブリーから帰ってきたばかりだ。報告はドラゴン便に任せる」


 クリスがニヤリとした。

 学生時代の義兄とのやり取りは、学校中で有名だった。高額になるドラゴン便を簡単な私信で使うのは本部のあるサウゼンドだってしない、とからかわれたものだ。

 何しろ、在学中に学院に来たドラゴン便の半分以上が私宛だったのだから。


「ドラゴンで運びきれる内容だといいが。……グリマーシュへの疑念は根も葉もないことではなかった。こちらで調べただけでも、ボウルダー公が言っていた国だけでなく、恐らくあと二国。うちのような小国が取り込まれている。ただ、大きな争いがなかったので、噂にもなっていないだけだ。つまり、詳細は謎に包まれている」


 そこからの話し合いは、脅威が確かにそこにあることを感じさせるものだった。

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