35 カフェーに香りを ①

「あれ? なんか、ぐったりされてます……?」


 昼過ぎに、カミーユの元にチェルナム商会から配達があった。

 昨日頼んだ、カフェーが大きい袋に二つと、商会で取り扱いのある茶葉すべてのサンプルだ。

 「戻っているから、いつでも店の方に顔を出してくれ」との伝言付きだったので、いそいそとやって来てみれば、パン爺もその息子も応接室でぐったりとしている。


 側にいたプリムローズが、アハハッと楽しそうに笑った。


「まあ、しょうがないよ。トーステン辺境伯と隣国の次期様が並んで面会なんてね、滅多にない機会だから」

「ああ、でしょうね……」


 カミーユは昨日の緊張を思い出した。

 パン爺がふうと息を吐いた。


「まあ、これ以上もなくいい機会じゃった。他国出身の我々に辺境伯との繋がりなんてそうそう得られるもんじゃない」

「……父さんはそう言って、即座に契約を決めたよね」


 パン爺の息子、ザカエルが恨めしそうに父を見た。

 さすがにジイ爺と呼べる年齢でもないので、結局カミーユはザカエルさんと呼んでいる。


「ああいう時にためらっちゃいけねえよ」

「闇属性の魔術契約なんだよ? 普通は少しためらうよ……」

「決めるときは、決めるもんだ」


 親子二人で言い合っている。


「魔術契約?」


 それは確かにすごい。

 商取引でされる契約と違って、魔術を使った契約は精神に作用して、強制力がある。他者に同意なく伝えられないなど、主に秘密保持などで使われる契約だ。

 この魔術を施せる魔術師は多くなく、精神に作用することから、使用時の管理も厳しい。国政や領政の場以外では一般的な契約でもない。

 精神に作用するというのが怖いと思う者もいるだろうし、そんな契約が必要になる事は滅多にないから、ザカエルの言うように普通は悩むだろう。


「ああ。辺境伯様方も、どこまでこの二人に打ち明けるかを悩んでね。契約ができるなら、カミーユの関与も伝えられる。ま、さすがに一代で商会を盛り上げた先代は、勇ましく、潔かったってことさ。迷いも見せなかったからね」

「じゃあ、調香術を使うことも聞きました?」


 カミーユが尋ねると、パン爺がいい笑顔で称賛の言葉を上げた。


「おうさ。嬢ちゃん、すげえなあ!」

「訳のわかった商会がいれば、いろいろと任せられるからね。助かるよ」


 プリムローズの言葉には、ザカエルがぼそりと呟いた。


「そのいろいろってのが怖いんですよ……」

「ええい、いつまでも思い切りの悪いこと言ってんじゃねえよ。チャンスだと思え。こんなでかい話の流通や販売に絡ませてもらえるんだぞ。この地は昔っから他国者にも優しかったが、こんな機会に自国の商会と同様、いやそれより先んじて扱ってもらえるなんて滅多にあることじゃねえ」


パン爺がそう言うと、彼より思い切りの悪そうな息子は、それでも両頬をパンと叩いて大きく頷いた。


「はい。追い風に帆を掲げよ、ですね。これを好機と捉えなければ」


 どうやら息子にも気合いが入ったように見えた。




「んで、嬢ちゃん。昨日言ってた『アレがダメならコレ』ってなあ、なんだね?」


 あれからずっと気になっていたのだろう。

 カミーユが出されたカフェーに口を付けるのを待って、パン爺は早速尋ねた。


「あ、それなんですけどね。カフェーに調香術を使わないで香り付けを試してみたいなって。そしたらもう面倒なこともなく、堂々と売れますし」

「ほうほう。それでそれで?」

「カフェーに蒸留酒の香りを付けようかなって」

「蒸留酒……?」

「合うと思うんですよ。テオドール先生とか、寝る前のカフェーに気に入りの酒を一垂らししてますからね。ちょっと試してみましょうか」


 カミーユは新しいカフェーに、店にある中でも香り高いというお薦めの蒸留酒と砂糖を頼んだ。


「先生の飲み方とは違うんですけど、これだと酒精が飛んで私も試せるので」


 頼んだものが届くと、カミーユは早速準備を始めた。

 小さなスプーンに砂糖の欠片を載せ、そこに琥珀色をした蒸留酒をかけて浸す。


「何をするんですか?」


 ザカエルが身を乗り出した。


「ふふふ。見ていてください。本当は蒸留酒を温めてから入れるといいんですけど。……火の精よ、小さく、長い息吹をここに」

 

 カミーユが火を呼んで温めるようにすると、そのうちスプーンの上に青い炎が上がった。


「おおっ!」

「……見えにくいが、燃えてるかねえ?」

「燃えてます。火が青いんですよ」

「部屋を暗くすると、しっかりと炎が見えると思いますよ」


 パン爺、プリムローズ、ザカエル、の三人共が、燃える小さなスプーンをじっと見つめている。


「こりゃあ、なんとかぐわしい……」


 燃える酒の香りに、パン爺がクンクンと鼻を鳴らした。


「芳醇とはこのこと、って感じの香りですよね。酒精が燃え切ったら、このまま下のカフェーに入れましょう」

「酒と共に砂糖も焦げるのか。そりゃあ、うんめえだろうなあ」

「これは見るのも楽しいねえ」

「本当に。カフェーを売る時にこういう提案をしてもいいかもしれないな。蒸留酒は高価だが、カフェーを買える層ならイケるんじゃないだろうか。どうだろう、父さん」

 

 ザカエルは店でも提案できると思ったようだ。


「確かに家に来た客に見せたら見栄えもいいし、喜ばれそうです。あ、もしこれを流行らせるなら、先をもっと伸ばしたスプーンを作って、カップの縁に渡して置けるようにするといいですよ。あ、終わりましたね」


 ザカエルとプリムローズが新しいスプーンの形に気を取られている間に、カミーユはスプーンをそのままカフェーに沈めて、くるりとかき混ぜた。


「さあ、飲んでみてください。カフェーと蒸留酒、合うと思いますよ?」


 二杯目のカフェーを同様に準備する間に、三人はカップを回し始めた。


「おう、こりゃこりゃ。けっこうな樽の香だ。うんめえ。口悦じゃなあ」

「……なんともいえない良い香りだねえ。悦楽だよ」

「入れたのは小さなスプーン一杯だというのに、蒸留酒の香りがカフェーの奥に見え隠れしていますよ! 合います。カフェーが、さらに大人のカフェーになった感じだ」

「大人のカフェー。確かに。美しく揺らめく炎に、蒸留酒とカフェーの香りを楽しむ。贅沢な時間ですね。違いがわかる大人な感じがします」


 パン爺が大きく頷いた。


「いいな。違いがわかる大人のカフェー。売れるぞ。違いがわかると層が飛びつきそうだ」

「ははははっ。『思ってもらいたい層』。なんだろうねえ、何人もの顔が頭に浮かんだよ。ギルドにも、商人にも多そうだ」

「男はかっこつけたいですからね。ああ、でも、シンプルに美味しいですよ、これ」


 プリムローズもザカエルも賛同する。

 できた二杯目に、カミーユも口を付けた。


「チェルナム商会のこのカフェーはもともと香りもいいし、コクがあって美味しいですよ。この蒸留酒が香りを添えて、芳醇さを際立たせるというか。ふわりと上がる香りに深呼吸したくなります」

「うん。売れるよ。父さん、これは売れる。飲み方から流行らせて、蒸留酒とカフェーのセットでイケる」

「いいねえ。あ、新たにスプーンを作らせるなら工房を紹介するよ。ギルドでもよく頼む、細かな工夫が得意な工房があるんだ」

「お願いします!」

「ふうむ。このカフェーの名付けはなんとするかねえ。商会名でチェルナムカフェー、アルタシルヴァカフェー、辺境伯様にあやかってトーステンカフェー、発明者でカミーユカフェー」

「カ、カミーユカフェーはやめましょう!」


 カミーユが食い気味に止めた。


「はははあ。カミーユ嬢ちゃん、何か案があるかね?」

「例えばですけど、カフェーロワイヤルとか? 高貴な方々の楽しみカフェーって感じで」

「ほう。いいな。じゃあ、それですぐにも契約と登録を。発明者の嬢ちゃんの歩合は、そうだな……」


 ぐいぐいと進める、違いがわかる大人なパン爺をカミーユは慌てて止めた。


「あ、待ってください。あのですね、コレを流行らせてもらって構わないのですが、これはカフェーと蒸留酒の組み合わせを確かめるためであって、実はお願いしたいのはコレじゃないんです……」


 そう告げた時の三人の顔は見ものだった。

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