18 アルタシルヴァの森産
「どうぞ。座って、あ、ごめんなさい。居間の方が良かったですね」
「いや、ここで」
カミーユは何も考えずにダイニングキッチンに連れてきてしまったが、フィンは問題ないとさっさとテーブルに付いた。
まずカフェーでもとお湯を沸かし、カップを取り出せば、後はフィンがやってくれるようだ。
「む……」
パン籠には昨日の胡桃パンが残っているが、だいぶ硬い。
朝食と誘ったが、昨日は心が重たくて買い物にも出なかった。食材は初日に配達してもらったものだけしかない。
「ご招待したはいいんですけど、たいしたものはできないかも」
「いや、本当にありがたい。昨夜遅くて、家には何もなかったから……」
スープか卵、いや、スープと卵にしよう。
ちょっと固い胡桃パンはフレンチトーストに。こちらではそんな料理がなくて、ローザハウスでは卵パンと呼ばれた人気メニューだ。だからこれは卵料理として数えていいはず。
牛乳と卵と蜂蜜に、自家製ヴァニラエッセンスを少し垂らして、パンを浸した。
スープは塊のベーコンに、確か芋があったはず。
「あ、これはダメなやつですね」
配達の箱をあさって芋を見つけたが、けっこうな緑色をしている。
緑の芋は食べたら毒だ。
「ん? いや、それはそういうものだ」
フィンが芋を手に取った。
「魔力を流すと、ほら」
見る見るうちに、手が触れている辺りから皮がオレンジ色に変わっていく。
「おおお?」
「この色で初めて食べられる。ねっとりとして、蜜のように甘い」
「もしかして、魔の森産ですか?」
「ああ。加熱するとより甘くなるから、菓子にもよく使われる。けっこう出回っていると思うが、知らないか?」
カミーユは首をひねった。
皿洗いをした店で出ていただろうか。
「ローザハウスだと質より量が大事だったので、どうしても高くなる遠くの産地のものはあまりなくて、菓子もほとんど……」
「そうか。……ああ、この豆もアルタシルヴァのものだ。これは魔力を通すとこのまま食べられる」
「へえ」
クリーム色の莢に入った豆のようだ。
莢を手に持ち、魔力を流してみると、パッカリと莢が開いた。
中の豆は緑で、それも茹で上がったばかりのようにツヤツヤと輝いている。
「ホントにこのまま食べられるんですか?」
「ああ。だが、っ! 待て!」
豆をつまもうとした手を掴まれた。
フィンを見上げると、ふうと息を吐き、真剣な顔をした。
「アルタシルヴァの素材を扱う時は、十分注意が必要だ。採集に調香、もちろん調理の時も。この豆は噛みつく」
カミーユはぐるりと首を戻して、マジマジと豆を見た。
「噛みつく……?」
「ナイフを」
フィンは莢を手に取ると、ナイフで中の豆をはじき始めた。
パシッという手を叩き損ねたような音がして、見れば莢がぴっちりと閉じている。ナイフの先をしっかりと噛みしめたまま。
「これ、生きてる! 噛んでるっ!」
その力はナイフが引き抜けないほどだ。
「こんな危険生物を、籠に入れないで欲しかった……」
「魔力を通せばまた開く。扱いを知っていれば危なくないし、それにこれはイケるぞ? ホクホクとした食感で味もいい」
ソーサーの上に出した豆を指でつついてみる。
親指の先ぐらいある大きな豆だが、こちらは噛みつかないようだ。
「そのまま食べられるから、万が一、魔の森で食料が尽きた時のために知っておくといい。一年中見つかるし、少しだが魔力を回復する」
危険はないと証明するように、フィンが一粒口に運んだ。
「へえ……。それはありがたいかも」
しっかりとつついて確かめてから、カミーユは豆をつまんだ。
このまま食べられるというのは本当らしく、挟んで押してみると柔らかい。
青臭いかもと思いながら齧ってみた。
口の中でプツンと弾けるようで、ほどよい食感だ。
「おいしい。濃厚ですね」
調理していないが、全く青臭くはなく、豆の風味は濃い。
「ああ。料理に使うなら最後に入れれば、色良く仕上がる。森だと、このまま塩を少し付けてつまみにする者が多い。探索者のポケットには、たいていコレが詰まっている」
「これはスープにしてみます。ベーコンと、玉ねぎと……」
玉ねぎに伸ばしかけた手を止めた。
「これは嚙みます? 歩きます? 叫びます?」
「いや、それは普通だろう。……泣くぐらいだ。君が」
カミーユは安心して、玉ねぎを手にした。
◇
スープとフレンチトーストは、さっと作った割に満足のいく出来だった。
噛みつかない豆のスープは食べ応えがあって、文句なくおいしかったし、フレンチトーストは甘く柔らかく、硬くなったパンの食べ方として感心された。
一番驚かれたのはカミーユが抽出したヴァニラエッセンスだったが、ギルド登録はまだ様子を見ているといえば、難しい顔でうなずかれた。
まあ、カミーユが自宅で使うには問題はない。
あとはせっかくの機会だからお互いに自己紹介だ。
「聞いていいのかわからぬが、その、君の名前は他国のものだと思ったのだが」
「ええと、海の近くで拾われたんです。おくるみに包まれて、木箱のようなものに寝かされて。だから出身はわからないんです。名前は、最初にいた施設の人が他国出身で」
「そうか」
「拾われた場所の側に生えている花の名前を付けたんですよ。で、私の場合はカモミールが側にあったと。だからその施設の女の子は皆、野の花の名前で」
「へえ。でも、いい名前をもらったな」
カミーユは口を尖らせた。
「最近までちょっと安易じゃないかと思ってたんです。近くに
ブフォッとフィンがカフェーを噴き出した。
「フィンさんは、この街の出身ですか?」
「いや、私も実は他国の出身だ。アルタシルヴァの素材を研究したくてここにいる」
「噛みつき豆のように、魔力を回復するんですか?」
「そういう性質のものも多いが、属性があったり、薬効が強かったり、外とは違う効果のあるものもある。十年に一度ぐらい、ひどい流行り病があるだろう?」
カミーユはうなずいた。
「ええ。去年と今年の冬、ローザハウスでも何人もかかって」
「苦い薬があるだろう? アレを開発したのが私の祖父なんだ。もともと薬草を扱う家系でね」
「すごいっ! テオドール先生が言っていました。あの薬が開発される前は、亡くなる人も多かったと」
「そうだ。だが、あの病は魔力量が多い者ほどひどく、様々な影響がでる。薬も効きが悪い。アルタシルヴァの素材を使えば、より効果のあるものができると思うのだが」
「虫除けといい、森の素材は効果にそこまで違いが出るんですね……」
フィンが大きくうなずいた。
「とりあえず、君にはまた虫除けの依頼が入ると思う」
「えっ!」
怖い。まずそう思った。
また誰かが倒れたら。
「ジャックたちが受けた依頼は、エターナルフロストタルトの採集だっただろう? あの花は何としても欲しい素材なんだ。間もなくシーズンが終わってしまう」
「でも……」
フィンが冷蔵庫を指差した。
「それが新型の冷蔵庫に使われていると聞いた。それで魔石の使用量が三分の一になると」
「でも、虫除けが効かないと……」
「香料を変えればいい」
ことも無げにフィンが言った。
「アルタシルヴァの原料を使えば大丈夫だ。ラヴァンダもローザゲラニウムも花はまだだが、葉は採集できる。アルタシルヴァのローザゲラニウムの葉を多めに使ったら、効き目も上がると思うのだが」
「そうですね……」
カミーユは考え込んだ。
分量を変えて調整すれば、確かにより効果は高くなるかもしれない。
「明日、天気がいいようだったら森に入らないか?」
「えっ? えええっ! まさかアルタシルヴァにっ⁉」
「ここで森といえば、アルタシルヴァだ」
カミーユがガタリと立ち上がった。
「む、無理! ダ、ダメですよ。魔の森ですよ! 刺されます、噛みつきます、きっと叩きますっ!」
「大丈夫だ。森の周辺域だし、ランク1素材だ。刺さない、噛みつかない、叩かない」
じーっとフィンを睨んだ。
「本当だ。花の時期は子供がピクニックがてら採集に出る」
「本当に? 虫もいない?」
「今の時期は大丈夫だ。君も虫が苦手か」
「好きではないです。ローザ畑の虫取りも仕事でしたから、小さな緑のと、足の多い長いのも平気ですけど……」
「まだいいほうだな。プリムローズはすべてダメだ。とくに茶色のカサカサするのは、ギルドの壁を壊す勢いで」
「うわあああああああ」
ダメだ。それはきっと大嫌いなアイツだ。
「……なんだ。カミーユもダメか。あれは刺さないし、噛みつかないし、叩くのはこちらだが」
「ダメですっ! カサカサします! 横切ります! 飛びますっ! ……まさか、魔の森にいるんですか? 大きい?」
フィンがいい顔で笑った。
「大丈夫。この時期に姿は見えない。それにアルタシルヴァの素材を使った、別のいい虫除けがある。とても良く効く。私も作れるが、ジョルジオのノートにもレシピがあるはずだ。一匹も見なくてすむ」
カミーユは真っ先に作ろうと決めた。
そしてどうやら明日は、魔の森、アルタシルヴァに挑戦することになった。
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