2 ローザハウス
学院を出たカミーユは商業街とは逆、王城へ続く道を進んだ。
グラシアーナは山や森が多く、また水源にも恵まれた、四季それぞれの自然が美しい国だ。
この王都も山や丘、湖に囲まれあり、王城はその中でも小高い丘の上にある。
教会と王立学院の先は王城ぐらいしかない道だが、カミーユは城には用がない。
目的地はその先だ。
広大な城の敷地を囲む防壁に沿ってぐるりと回ると、裏手で今度は王都を囲む石壁に突き当たる。そこにある門を守る兵は顔見知りだ。軽く会釈をして通り過ぎた。
城の裏に広がる丘の一帯はすべて、ローザ畑だ。
花の女神がお力を揮われた際には、ここは一際香り豊かなローザの花で埋め尽くされたという話だ。
ローザハウスはこの丘を登ったところにある。
畑で働く者たちの住まいだが、同時にカミーユのように親との縁が薄い子供たちの養育施設でもある。
花畑での仕事がセットで付いてくるが、朝晩食べられ、暖かく眠り、畑仕事の少ない冬場には、簡単な読み書き計算まで教えてもらえる。
ローザ畑の働き手としても、貴重な人材だった。
大人の腰ぐらいまでしかないローザの木。その花摘みは腰にくるものだが、子供の背丈にはぴったりで、同じ理由で虫取りなども上手くこなす。
皆で誰が一番取れるか競争しながら、丘を走り回るのはいつも楽しかった。
今はとても走り回る気分ではないけれど。
◇
裏口からキッチンを覗けば、ローザハウスの管理人となったクローヴァーがすぐに気が付いた。
「あら、カミーユ。おかえりなさい」
「クローヴァー。……ただいま」
「あらまあ、その顔は何かあったのね。さあ、座って」
幼い頃から一緒に育った五つ年上のクローヴァーは、姉のような存在だ。
いつも簡単にカミーユの表情を読んでしまう。
もっとも、今は誰が見てもぺしゃんこの顔をしているだろう。
カミーユを調理台のベンチに招いて、クローヴァーは戸棚からカップを取り出した。
「今日はもうカフェーはダメよ。昨夜からずっと飲みっぱなしでしょう?」
「うん」
台の上では、夕食の準備が進んでいる。
お肉の切れ端が山盛りになっているので、今夜はどうやら
成人してもここに残ったクローヴァーは、すこぶる料理の腕がいい。カミーユも含めて、今ここに住む子供たちはラッキーだと、いつも思っている。
「それで? なにがあったの?」
パタパタと軽い足音をたてて動き回るその背中に、カミーユは起こったことを話した。
「まったくなんてひどい工房なの!」
「うん」
珍しく怒っているクローヴァーを前に、カミーユはフルーツケーキを頬張った。
アーモンドパウダーにブランデー漬けのドライフルーツが入った、大人用ケーキだ。
しっとりふわふわのケーキは幸せの味がする。
寝不足で朝食も食べず飛び出したカミーユを気遣って、クローヴァーはもう一切れをお皿に乗せた。
「それにリリローザって、いつものイジワルさんでしょ!」
「うん」
クローヴァーは知っている。いつもカミーユの愚痴に出てくる常連の名前だ。
「きっと工房は後悔すると思うわ! カミーユの方がイジワルさんより、優秀で美人だもの。いいえ、後悔したらいいんだわ。カミーユに失礼したんだから」
優秀はともかく、美人はどうだろう。もっともクローヴァーはリリローザを見たこともない。
ぷんぷんと怒っているクローヴァーを見ていたら、なんてことのない気分になった。
いつもそうだ。
「……美人はどうかなあ」
工房に関係ない、というつもりで口にすると、カミーユが眉を上げた。
「もうあなたったらいつもそうなんだから。カミーユはとびきりの美人さんなのよ。光に透ける髪はミラクルーズの色だし……」
「そう! よりによって赤葡萄酒(ワインレッド)色なんだもん! ふわふわでクルクルだし、秋のコキアだって皆言うし。ほめられたことないよ? クローヴァーの方が日に透けるような優しいブロンドでいいなあって」
「ふわふわでクルクルなのは、あなたが
聞きなれたクローヴァーのお小言だ。
「はい。いつもすみません」
「肌も白くて、これだけ外を飛び歩いているのに日にも焼けないし、そばかすはできないし。目はチャーミングな
「これはブルーグレイだと思う。光の加減でヴィオレッタになるだけ」
「そうなの! 光が当たると、どれだけきれいか! スラリとしたスタイルだって、皆羨ましがるんだから!」
「う、うん……」
そうだった。この優しい姉は、姉バカでもあるのだ。
恥ずかしさをごまかすように大きなケーキを頬張って、延々と続くクローヴァーの賛辞を聞き流した。
「はい。
「ありがと」
差し出された茶は
カミーユとクローヴァーの名付け親はこの国の出身ではなく、カモミールはカミーユと言ったらしい。
だからクローヴァーは、なにかとこのお茶を淹れてくれる。
泣き虫止め、痛み止め、怒り止め、悲しみ止め、カフェー止め、といろんな理由のついたハーブティーは、いつだってカミーユのための良く効く処方箋だ。
「それでどうするの?」
「自分でも探さないといけないみたいだから、とりあえず先生に聞いてみようと思って。……先生は今日、皆と畑の予定だったっけ?」
「それが違うのよ。皆は畑。おチビたちはお城の庭園の掃除。先生は監督に行くはずだったのよ。でも、
本当に先生もカミーユも悪い所がそっくりなんだから、とブツブツこぼすクローヴァーに、カミーユは首をすくめた。
「あらま。……じゃあ、先生を起こしてくる」
「ええ。がんばってちょうだい。初代の『先生係』さん」
カミーユはニコリとして立ち上がった。
擦りむいた心に優しく薬を塗ってもらい、笑顔になるのはいつものことだった。
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