第33話 ラストワン-10
「こ、これは立派な作戦だろうが。出遅れたおまえが悪い……」
「そんなことじゃねえってんだよ」
掴まれていた襟元が緩み、代わりに強く押された。バランスを崩し、よろめく松井。また数歩後退して、辛うじて地面に倒れ込まずに済んだ。
「何でさっき、鳩山を狙った?」
「し、知らねえよ。俺は陸野の言う通りにしただけだ」
「それでよく偉そうにしてられるな。おまえの情けないところを見れば、他の奴らも考え直すんじゃねえか?」
針谷が松井を再度ひっ掴まえ、一発食らわした。
声もなく転がった松井の前に、やっと駆け付けた衛兵が立ちふさがる。さらに役人が声を張る。
「やめんか! これ以上の騒ぎは、投票に関係なく奴隷に徴用する!」
「ふん。これで充分だ」
針谷がきびすを返し、いつの間にかできていた人垣を割って、立ち去った。
松井は相手が遠ざかったのを確認してから起き上がると、唇を手の甲で拭った。血は出ていなかった。
「――次で終わりにしてやるぜ、針谷! 後回しにしてやるつもりだったのによ。馬鹿が、てめえでてめえの寿命を縮めやがった!」
わめき立て、陸野派の仲間十六人がかたまっている方へと走る。
「予定変更だ。おまえら、次の投票は針谷を書け」
「いいのかねえ?」
愛甲が聞いた。陸野にやり込められたのは都合よく水に流し、ちゃっかりとこちらの陣営に着いている。
「陸野の指示は、名前の書かれていない奴から沈めろ、だったが」
「はっ、かまうものか。遅いか早いかだけじゃねえか。次で俺は二位になるんだから、針谷がほえ面かくとこを見るには今度しかないしな。俺が抜けたあとは、またおまえらで指示された通りにやりゃあいいだろ」
松井が指差すと、愛甲は肩をすくめた。この仕種が癖になっているようだ。
「へいへい、分っかりやしたよ、松井。せいぜい、陸野と再会して、どやされないようにおべんちゃらを使いな」
「何だと」
「おおっと。そろそろ投票開始だぜ」
松井の怒りに、愛甲は両手で「どうどう」のポーズをした。そのまま、投票に向かう。
「くそっ。あいつが助かったら、懲らしめてやらなきゃ気が済まねえ」
右の拳を握り締める松井。
「何かいい罰がないか、あとで陸野さんに聞いてみるとするか」
役人は集計結果を記した紙を受け取り、一瞥をくれると、ほんの少しだけ笑みを覗かせた。一瞬だったため、気付いた者はいなかったろう。
「さて、第六回投票の結果だ。一位は十七票で針谷!」
これに、松井が飛び跳ねて喜びを露わにした。衛士に素直に従い、広場から連れて行かれる針谷へ、「ざまあみろ」「のたれ死んじまえ」などと罵詈雑言を浴びせるも、役人に睨まれてすぐにやめた。
「まあ、針谷も悪いがな。さっきみたいな揉め事はもう御免だぞ。徴用先では大人しくしてろ」
形ばかりの注意をすると、役人は改めて手の内の紙に目をやった。
「続いて二位を発表する。二位は十五票で……内藤。以上だ」
発表が終わると同時に異音がした。
音のした方角を見ると、松井が大きく姿勢を崩し、前のめりに倒れ込んでいた。彼にとって意外すぎる結果に、四つんばいの姿勢で、惚けた面を上げている。
「ちょ、ちょっと。ちょっと待ってくれ!」
慌ただしく立ち上がり、こけつまろびつ、膝をがくがくさせながらも、役人に追い付くと、その後ろ姿へ取りすがろうとする。当然、衛兵が得物を向けて牽制する。
「な、何かの間違いではないでしょうか」
「――んー? 何がだ?」
「お、俺の、いや私、松井のはずなんですよ、二位は。もう一度見てくれませんかね」
槍の切っ先と役人の眼光にたじろぐ松井だが、必死に主張した。が、返答は冷酷だった。
「無駄だ。二位は十五票で内藤、間違いない」
「そんなことは……ないはず……」
「これ以上、根拠のない疑義を申し出るのであれば、侮辱したものと見なし、おまえを即刻、徴用してやることになるが、いいのか」
「い、いい、いえ、滅相もない。取り下げますです、はい」
泡を食って両手を振る松井に、役人は風を起こすような勢いで背を向け、足早に去った。
「よかったのぉ、松井の坊や」
うなだれ、首を捻る松井に、久能が声を掛けた。顔を起こした松井の目に、久能の他にも陸野派に属さない面々が映る。その中から裏染が進み出て、その陽気な声を発した。
「針谷さんにびびって、先着八名様が誰の名前を書いたのか、確認しなかっただろ。それが運の尽きさ。今回、俺達は一枚岩だったんだよ」
「……おまえらっ。そんなことをして、ただで済むと思っちゃねえよな。このあとの投票で、全員、奴隷行きにしてやるぞ!」
「頭を働かせれば、そんなことはあり得ないと分かるはずだがの」
久能がわざとなのだろう、好々爺然とした笑い声を立てながら言った。そこから一転、厳しい調子に変わる。
「そんなことよりもだ、坊や。てめえ自身の次を心配した方がいいんじゃないのかい?」
「はあ? 何を訳の分かんねんことを言ってやがる、老いぼれが」
口汚く罵る松井のすぐ前で、久能は一方向を差し示した。
つられたように振り向く松井。そして彼は見た。
「あいつら……何で、あんな恐ろしい顔をしてるんだ?」
陸野派の全員が冷めた表情で松井を見ていた。戻るのを今や遅しと待ち構える彼らからは、ぴりぴりとした気配が漂う。
「七回目の投票で一位になるのは、おまえかもしれんな」
「俺は、俺は悪くねえぞ。陸野に言われた通りにやっただけなのに……」
その場にへたり込んだ松井は二つのグループの間で、視線を右往左往させた。すでに孤立を感じ取ったらしい。
「自分の名前を書かせるときに手抜かりをしといて、何をほざくか。ま、だいたいが、陸野の策略自体、完璧じゃなかったってこともある」
「そんな……馬鹿な……」
こちらの理屈に関しては、まだ理解ができていないようだ。ショックが大きかったせいかもしれない。松井は「信じられねえ」を連発した。
「さあて、俺達の話はこれでおしまいだ」
膝を折り、中腰になっていた久能は、大儀そうに身体を伸ばした。
「あとは向こうに戻って、言い訳に精を出すこった。坊やの崇め奉る陸野の分もしっかり弁護してやれよ」
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