第26話 ラストワン-3

 第二回の投票開始まで、あと十分を切った。

 便所で待ち構えていた車崎は、このタイミングで目的の人物が用足しに来たことを幸運だと思った。相手が一人なのもいい。

 済むのを見計らって密かに声を掛ける。

悟堂ごどう

「――何だ、車崎か」

 足を止め、振り返った悟堂は白髪交じりの頭に手をやった。これと言って特徴のない三十路男だが、目付きの鋭さが際立つ。声は優しげだが、必要とあらばどんな犯罪でも厭わないとの噂があった。

「枝村の下について、うまいことやったようだな。こちらは目を付けられないようにするのに精一杯だよ」

 薄笑いを浮かべ、自虐的な言葉を吐く悟堂。車崎は行こうとする相手をもう一度呼び止めた。

「裏に来てくれ。生き残りたいのなら」

「『来い』ではなく、『来てくれ』か。こちらの運命がそちらの運命も左右しかねないその言い種、興味が出たよ」

 それには応じず、車崎は無言のまま急ぎ足で、それでいて周囲に注意を払いながら便所の裏手に回った。悟堂は後ろをついてくる。植え込みの陰に隠れる形で、二人は向かい合った。

「一〇〇パーセントの保証はしないが、悟堂、あんたが解放されるかもしれないネタを持って来てやった」

「引き替えに何を求める? おっと、これは愚問だった。こちらは何をすればいいんだい?」

 悟堂は視線を外し、その上、背中を向けた。立ち話しているとは見えぬよう、距離を取ったらしかった。

「願いはあるんだが、残念ながらそう思い通りに行くとは考えにくいんでね。あんたが解放されたあとの動きを見て決めるさ。あんたはただ、残り十一人の票をとりまとめておいてくれ」

「努力はしてみよう。じゃあ、私自身が解放されるために、私は何をすればいいんだろう?」

「あんた達十二人の票を割り振るんだ。これから俺の言う奴に、俺の言う通りの票数を投じれば、まず大丈夫だ」

 車崎は一際小さな声で人名と数を告げた。それを聞くや、悟堂も納得したように小刻みにうなずく。

「――おおよその理屈は分かったよ。しかし、分からないこともまだある。何故、ネタをこちらにばらそうと思った?」

「枝村の野郎が、思っていたよりも馬鹿だったからさ」

 若干、声が大きくなった車崎。吐き捨てるようなその口調を改め、元の音量に戻す。

「自分の考えが絶対確実だと信じ込んでやがる。穴があるというのにな、俺が見付けたように」

「そんな愚か者の下にいるのが不安になった。だが、今から抜けると君自身、投票される材料を皆に提供してしまうことになる……こんなところか」

「ご名答」

 車崎は無音の拍手を形ばかりした。

「あんたみたいな切れ者には、早めに舞台を降りてもらわなきゃな。危なくてしょうがない。だからこそ、俺は十二人の中からあんたに話すと決めたんだが」

「切れ者じゃなくても、このネタというか、君のこの行為を枝村に告げ口すれば、より確実に生き残れると考える輩は多いんじゃないかね」

 悟堂が肩越しに目だけ振り返って、車崎に聞いた。

「本当の切れ者なら、今置かれた状況が短期決戦であることと、他の連中の大部分とはこれが終われば無関係になること、この二点を把握しているに違いない。二重に裏切って、徒にややこしく振る舞っても得はない。あんたが俺に恨みを抱いているのなら別だが、それもないと確信している」

「――結構」

 悟堂は歩き出した。

「これが終わったあとも、君との縁は保った方がよさそうだ」


 第二回の投票結果発表は、二位から行われた。役人の気まぐれか、それとも何か含むところがあったのかは、当人以外の誰にも分からない。

「二位は十四票を獲得した悟堂。どうやったか知らんが、よくぞ生き残ったな」

 発表の最後の方は騒音にかき消された。主に枝村派の狼狽から起こるざわめきに。「馬鹿な!」という叫びが連続し、「どうなってるんだ?」「絶対確実のはずなのに……」といったつぶやきが入り混じり、やがてオーバーな表情とジェスチャーで仲間同士、言い合いを始めた。収拾が付かなくなる手前で、役人が一喝とともに場を静める。戸惑い、騒いでいた者も我に返り、では一位は誰なのかと息を呑んで注目する。

「そして一位は、残りの二十五票を集めた富良野だ。どんな作戦を立てたのか知らんが、災難だったな」

 他人事に過ぎない役人の軽口は、またもかき消されることになった。富良野は膝の力が抜けた風にへなっと崩れ落ちる。それに手を貸そうとしたのは、一番近くに立っていた枝村だった。が、富良野はそれを荒っぽく払うと、怒りに任せたように髪を振り乱して立ち上がる。

「くじで選ばれた者は必ず二位になり、助かると言ったじゃないですか!」

 あとに続く言葉は意味不明のわめき声になっていた。顔をくしゃくしゃにした富良野は、ついには枝村に掴み掛かり、衛兵に止められた。それでも暴れる彼を、衛兵達が拘束具で身動きも発声もできなくしてから連れ出す。

 広場はどうにか平静さを取り戻したが、不穏な空気がまだ漂う。特に枝村とその周囲はぴりぴりと張り詰めていた。作戦が失敗に終わった原因は分からないがとにかく逃げ出したいリーダーに、今回の投票で指示に従った面々がそれをさせまいと詰問の構えを見せる。

「次の投票結果は明白だな」

 誰かが呟いた。


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