第8話 時を戻そうか

 畜生っ。時間はどんどん過ぎる。残り七分を切り、やっと城ノ内委員が忠告を出してくれた。

「解答時間に三分を与える必要があるし、このあとまだ勝負が続くので、すぐに出題してください。思い浮かんでいなくとも、出題しなければいけません。たとえば簡単な足し算問題でも」

「しょうがない。それじゃあ……『ばら』を漢字で書け。あ、だめだ。僕も書けるかどうか自信がない。うーん、『りんご』にしよう。『りんご』を漢字で書け。これでいいだろう?」

 僕は余計なお喋りをせず、生徒手帳を適当に開いて『林檎』と書き、そのページを破くと、相手と委員に見えるように机に置いた。

「こりゃ驚いた。早いな。正解」

 芝居がかって話す勅使河原委員の前で、僕は携帯電話を取り出した。心当たりに電話を掛け、ある人の電話番号を知っていないかを聞く。幸い、知っていたので教えてもらう。対戦相手と城ノ内委員が何か言っているが、今はこの電話が僕の“生命線”、かまっている余裕がない。

 教えてもらった番号に電話し、相手が出るや、用件を述べる。

「上塩入さん、お願いがあります。可能ならばすぐさま――」

 細かい指示を早口で伝えて頼み込むと、幸いにも、やってみようという返事があった。用務員の上塩入さん自身、面白がっている気配が感じ取れた。

 残り時間五分ちょうど。

 カード選択の勝負が始められた。今度は先に僕がカードを選ぶ側になった。

 先輩はさすがにカードにキーワードを書くだけの行為にじらし戦法は無理があると判断したのか、それとも最早時間切れに持ち込めると確信しているのか、手早く書き終えた。

 油断ではないのだろうけれど、筆圧が高く、どれにキーワードを記したのかは比較的容易に分かった。僕は素早くその一枚を選び、自ら裏返した。高い筆圧は引っ掛けではなく、ちゃんと『さんかしかく』とあった。

「素晴らしい。これで僕は追い込まれた訳だが……果たして次のカード選択の勝負、最後までできるかな? 午後四時まで一分を切れば、僕がカードを選ぶ制限時間を使い切ることで時間切れは確定し、この勝負は引き分け。自動的に僕の優勝になる。あと――」

 腕時計を見ながら喋っていた勅使河原先輩は、「五秒だ。四、三、二」と続けた。僕はカードのセッティングを急ぐ。

「――ゼロ。城ノ内委員、まだカードを選ぶ時間のカウントダウンは始まっていないよね?」

 委員はこくりと頷いた。先輩は片手で軽くガッツポーズを取る。

「よし。終わりだ。いい勝負だった」

 僕はやめない。カードを選ぶように仕種で促す。

「あきらめが悪いのはよくない。何と言われようと、僕は選ばないよ。――ほら、時間切れだ」

 自身の腕時計の文字盤を、右手人差し指でこんこんと叩く先輩。が、その後ろから城ノ内委員が静かに言った。

「――いえ、まだです。終了時刻まではあと――」

 どれだけ時間が残っているかを言おうとする城ノ内委員だけれども、その顔は困惑がありありと浮かんでいる。彼女の目線は本校舎の時計塔に向いていた。

 僕は確信した。上塩入さんが間に合ったのだと。

 僕は学校の施設を管理する立場の上塩入さんに頼み、時計塔の時計を操作してもらった。

 その針がイワザルゲームの終了時刻を示さないよう、逆回転させることを。

「馬鹿な!」

 時計塔を見て、勅使河原先輩が叫ぶ。すぐさま、城ノ内委員に食って掛かった。

「あの時計は故障したに違いない。すぐさま第三会議室の時計で正確な時刻を確かめてくれたまえ!」

「――いえ、その必要はありません」

 城ノ内委員の淡々とした物言いに、勅使河原先輩は「何故だっ?」と絶叫気味に言った。去年の準優勝者らしくない、感情的な物腰だった。続けて、いわゆる正論をまくし立てる。

「ルールでは、本校舎の時計塔がだめな場合、実行委員会のある第三会議室の壁時計を代わりとするはずだが?」

 そう、僕もちゃんと把握している。第一戦の前に聞かされたルールの一つだ。

 彼の猛抗議に、城ノ内委員は即答はしなかった。相手が落ち着くのを待ってから、見解を、ゆっくりと諭すような調子で声にする。

「その措置は、本校舎時計塔の時計が止まったときに限ります。現在、あの時計は止まってはいません」


――終わり


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 読み終わった。本をぱたりと音を立てて閉じる。

 いつになく味わおうと心掛けて読んだせいか、面白かった。


 僕は他の生徒とともに、近い内に、デスゲームに関わらざるを得なくなるだろう。

 どうせなら、今読了したような頭脳戦のゲームがいいな。優れた頭脳戦のゲームなら、負けても納得できるだろうから。同級生の中には、そんなのインチキだ!とごねる連中も結構いるだろうけどね。

 そうだな、出門いでかどの奴なんて特にその傾向が顕著だと見込んでいる。あいつ自身がだます側のときは、嬉々として取り組むし、どんなに屁理屈であろうと「だまされる方が悪い。頭悪いんだから」で切って捨てる。なのに、本人がだまされる側に立たされようなものなら、簡単には負けを認めようとしない。何だかんだと難癖を付けて、ひっくり返そうとする。授業の合間のちょっとしたゲーム、何も賭けていない単なるゲームですら、負けると往生の際の悪さを激しく見せてたくらいだからな。自分の命が懸かったゲームとなったら、あれどころじゃないに違いない。とばっちりを食わないように、今からでも要注意人物としてマークしておくべきかもしれない。

 ああ、あんな奴のことを思い浮かべていたら、ちょっと気分が悪くなってきた。折角、物語の世界に浸った、いい気分だったのが台無しだ。

 こうなったら、新たにもう一冊、読むか。いや、でも、明日は早いしな。例の法律が、すぐにでも適用される事態だって考えられる。どうせ睡眠時間を削ってしまうのであれば、様々な状況を想定して、脳内で予行演習をしておく方が有効に決まっている。

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