47話 呪解薬が届く当日を迎えました

 エリザはベッドに入ると睡魔が戻ってきて、その夜はぐっすりと眠ることができた。


 目覚めたのは、いつもより早い時間だった。


 たぶんそわそわしていたのだと思う。遅れがなければ今日、呪解薬が届く。


 頭にすぐ浮かんだのはそのことで、すっかり頭は冴えてしまいシャワーで時間を潰し、身支度に取り掛かった。


 呪解薬の件が気になりながら部屋を出ると、昨日の知らせを受けてか使用人達は普段よりも仕事に精を出していた。


 途中ですれ違った侍女長モニカも、朝からきびきびと動いていた。


「クッキーも焼き上がっていますから、食後に入りそうでしたら食べてくださいね」

「もう仕上がっているんですか?」

「コック達もみんなうきうきとしていて」


 それはそうか、とエリザも納得した。


「早ければ今日、全部解決しますもんね」

「ジークハルト様の蕁麻疹と気絶が一番の心配と悩みでしたから。朝食用にと、サジがチキンの姿焼を作っているところですよ」

「それは……朝から重いメニューですね……」


 いや、貴族の朝食だと普通なのだろうかとエリザは悩む。


「まぁ、ジークハルト様の件に関しては私も嬉しいですよ。ただ、症状を引き起こしている〝呪い〟の方が解けるのであって、女性恐怖症が完治するわけではないので、そこまで期待されるとすごく緊張するといいますか…………」

「どうして緊張されるのです?」

「だって、すぐ縁談事情やらが進むわけではないですし」


 すると廊下をすれ違っていった使用人達も含めて、エリザへ揃ってにーっこりと笑みを浮かべてきた。


「なんですか?」

「ふふ、なんでも」


 目が合ったメイド達も、エリザの視線をかわして歩き去っていく。


 モニカが「おっほん」と珍しい感じで、エリザの注意を引きつけた。


「跡取りですから、ジークハルト様にはそろそろ結婚相手を決めていただかないといけませんが、そこは今のところ気にされなくてもよろしいのですわ。今までのジークハルト様にしてみたら大きな改善です。まさかいにしえの魔法だとは思いもよりませんでしたが、私達が支度を手伝えない日々にもストレスが溜まっておりましたから」


 ジークハルトに関しては、これまでセバスチャンがほぼ中心になって世話をしている。


 エリザが治療係についたばかりだった頃に見た数々の症状を思い返すと、どの女性の使用人にも世話ができる状態になるのは大きなことだった。


「モニカさんにそう言っていただけて、少し安心しました」


 まずは、ジークハルトがよくなること。それがみんなの第一なのだ。


 それに結婚相手の第一候補なら、すでに先日顔合わせが成功したクリスティーナだっている。


(公爵家は夫人も娘もいないから、彼女がもしジークハルト様の婚約者として決まったら、モニカさん達も世話ができて嬉しいだろうなぁ)


 モニカと別れ、エリザはいつも通りまずはジークハルトの部屋へと向かう。


 廊下を歩きながら、そんなことを想像した。


 少しだけ――それを寂しいと思ってしまった。


 ジークハルトが、婚約者を持つということになぜだか胸がもやっとした。


 異国の人間で、この国の王子様に魔法使いでさえないと見破られ、住所さえ持たないエリザには関われない世界なのに。


(治療係の私が不要になったら、私は、次の国を目指すだけ)


 いつも通り、一人旅に戻るだけ。


 そんなことを思っている間に、今や考え事をしながらも辿り着けるようになってしまったジークハルトの私室に到着した。


「おはようございます」


 ノックして声を掛けると、すぐに内側から扉が開いた。


 ジークハルトは嬉しそうに笑って「おはようございます」と挨拶をしてきた。すでに身支度を整え、ぱりっとした近衛騎士服姿だ。


「昨夜はありがとうございました。おかげで、よく眠ることができました」

「それはよかったです」


 彼の笑顔につられる形で、見上げたエリザもにこっと笑い返した。


「……とはいえ私の方が意外に物語にのめり込んでしまって、ジークハルト様が寝たのに気付けなかったのが少しお恥ずかしいですが……」

「そんなことがあったんですね」


 彼が歩き出す。エリザは、食事の席へ連れていくように同行する。


「寝ていたので気づきませんでした」

「ぐっすり眠っていらっしゃいましたからね」

「あなたの読み聞かせがとてもよかったんでしょうね。今度からお願いしても?」

「えーと……二度目は、ちょっと……」

「きっと才能があるんですよ」

「え、そうですかね?」


 初めての経験だったので、素質があるみたいに褒められると『上手だったのかな?』とか思って、その気になってくるというものだ。


 ジークハルトは、こちらを見下ろして美麗な顔に笑みを浮かべた。


「そうですよ。眠れない時はまたお願いしてもいいですか?」

「そんなに言われたら仕方がないですね。分かりましたっ、眠れなくなったら私の出番ですね!」


 任せてくださいと拳を掲げたエリザは、直後にハッとした。


(いや、もうそんな日こないんだから、何言ってんの!?)


 嘘を吐いたような罪悪感に震える。


 彼がそんなことをねだっているのは〝呪い〟のせいなのだ。それがなくなったらエリザの聖女の効能は必要としないわけで、それによる安心感だとかも覚えなくなるので、そもそも同性の彼女をそばにいて欲しいと望むはずがないわけで――。


 隣を歩くジークハルトが、そんなエリザを甘い眼差しで見つめていた。


「――……素直で、手に入れたくなるなぁ」


 混乱しまくっていたエリザは、よく聞こえなくてハタと顔を上げる。


「なんですか?」

「ふふ――なんでも?」


 男性の使用人が気づき、廊下の端に寄る中、ジークハルトが身を寄せてエリザの左手を攫った。


「ちょっとっ」

「だめですか? 手を繋いでいたいんです」


 彼にわんこみたいな目で覗き込まれて、エレザは「うっ」となる。


(そもそも女性恐怖症なのに、なんでほんと気づかないんだろう……)


 呪いが反応しない理由は聖女の力のせいだが、苦手意識的は頭にあるはずなのに、触れても何も察知しないのは不思議だ。


(……私、戦闘訓練のせいで手が固い、とか?)


 そのせいでいよいよ『少年ぽい』のか、と悩む。


 ――けれど、もしかしたらこれも今日まで。


(ううん、日暮れには、もう……)


 結局のところエリザは、昨夜に続いて今回もジークハルトを甘やかし、手を繋いで一階へと向かった。


 ジークハルトその間、続いて「朝食を一緒に食べましょう」としつこく言ってきた。


 従業員が、主人と同じ席で食事するのはおかしい。そうエリザは言葉を噛み砕いて何度も説明したのだが、「魔法使いは本来身分にくくられないのです」と言い返され、どうも理解してもらえない。


(うん、たぶん、だめだと思うんだよね!)


 貴族と、そうでない者の壁は結構厚いと思うのだ。


(私は雇われている身だし)


 ジークハルトは貴族としてしっかり教育されていると聞いたけど、おかしいなと思いつつ、食卓と呼ぶにしては大きすぎる長テーブルがある部屋へと入った。


 そこには先に来ていたラドフォード公爵がいて、セバスチャンと一緒に振り返ってきた。


 挨拶を返したエリザは、自分も従業員として朝食を別で食べるべく、彼らに半ば無理やりジークハルトを押し付けた。


「食事が終わりましたらうかがいます!」


 頑として意思を曲げない姿勢で、エリザはそう告げてその部屋から出た。

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