46話 眠るまでの、読み聞かせ

 建物内は消灯されていて、廊下は足元が見える程度に灯りがあった。


 一階に下りてみるとリビングの明かりは消えていた。屋敷の主人であるラドフォード公爵は眠ってしまったのだろう。


 エリザは足音をあまり立てないよう意識して歩き、お目当ての書庫に入った。


 覚えていた棚の方へ向かうと、記憶通りそこには絵本に分類される本が並んでいた。綺麗な見た目をしていて造りもしっかりしていることから、この国の代表的な童話か児童文学作品なのだろうと思えた。


(絵本というよりコレクション本っぽい)


 手に取ってみると、どれも挿画まで美しかった。


「うーん……冒険ものがいいのかな?」


 エリザはぱらぱらと絵本をめくってみて、ジークハルトでも大丈夫そうなものを選ぶ。


 読むにして一冊丸々はどうせ朗読なんてできない。時間に限りがある。ひとまずその本だけを抱え、二階にあるグーシハルトの寝室へと向かった。


 扉を控えめにノックすると、すぐに返事があった。


「どうぞ」


 失礼しますと囁くような声で言いながら、そっと扉を開けた。


 室内はベッドのサイドテーブルに優しい灯りがあった。


 大きな窓から差し込む月明かりで室内は歩くのにも困らなくて、エリザは光を目指してとことこと駆け寄る。


「お待たせいたしました」

「こちらこそ、頼んでしまってすみません」


 ジークハルトはベッドの枕に頭を乗せ、掛け布団をしっかり引き寄せていた。


 こちらを見ている彼の顔を見た一瞬、エリザは窓からの月明かりもあって、彼の美貌がさらに際立って浮かんでいるような気がした。


 だが、エリザが気の引ける思いを抱く直前には、ジークハルトがにこっと笑って『おいでおいで』と手招きしてくる。寝具を子供みたいに首までかぶった姿は、普段紳士然としている彼の印象と違ってどこか幼くも感じる。


「それでは、失礼しますね」


 エリザはほっとしてサイドテーブルの長椅子をベッドの脇に寄せ、ローブを整えてから腰を下ろした。


 ローブの内側でちょこんと揃えた膝の上に、絵本を置く。


「どうせ暗くてあまり見えませんから、ローブは取りませんか?」


 ふと、ジークハルトがそう言った。


「あなたも堅苦しいでしょう」

「まぁ重さはありますけど、これはこれで安定感はありますよ」


 魔術師団のマントコートは『いつでも戦いに入れるように』と教えられていた。一人になってからはとくに警戒して、外すのは就寝時くらいなものだ。


(というか、このくらいの明るさだと互いがばっちり見えるんだけど、なんで配慮みたいに『見えない』と言ったんだろう?)


 エリザは、ゆっくりと右に首を傾いだ。


 その様子をじっと見つめていたジークハルトが、ややあって心でも読んだみたいに言う。


「中の服を見られるのは、やはりまずいですか?」


 妙な質問だとエリザは思った。


「いえ? 別に服が見えても構わないのですが」

「本当ですか? それなら、ぜひ」


 なぜか彼が枕から頭を上げ、上体を起こした。


(どうして食い入るように見てくるんだろう?)


 確かに羽織ると重みがあるので気は張るが、でも脱ぐとリラックスしすぎて寝てしまわないかエリザは少し心配する。


「ほら、あなたは仕事衣装じゃないですか」

「それはそうですが」

「できればあなたにもリラックスしていただきたいと思って。これは仕事ではなくて、寝るまで一緒にいる友人同士のように寛いで欲しいというか」


 エリザは「なるほど?」と首を捻る。ルディオも泊まることがあった時は、こんな感じで相談時間を設けていたりしたのだろうかと、一瞬そんな想像も脳裏をよぎっていった。


(アフターフォロー、ばっちりそう)


 なんやかんやで面倒見がいいルディオを思い返す。


 この仕事に巻き込まれる前、彼は何度もエリザのもとを訪ねてきたから・


「それに、俺は休んでいるのに、あなたに無理に仕事をさせていると感じて申し訳なくて、余計に眠気がこないのです」


 ジークハルトの柔らかな苦笑が『ですから、ね?』と追って語ってくる。


 エリザは口元がひくついた。


(あなた様が眠れないと、私、部屋に戻れないんですが)


 迷うまでもなく、一度立ち上がってローブを脱ぎ、椅子の背に引っかけた。そうして座り直す。


「これで大丈夫そうですか?」


 ちょこんと椅子に座ったエリザを、ジークハルトはじーっと見つめたきた。


「……ジャケットの上部分、開けているのは初めてみました」

「湯浴みをしたら寝る体制ですからね。部屋に戻ったら、ローブを脱いでそのままベッドにごろんと横になれます」


 貴族のように時間ごとに衣装を変える習慣はない。


 彼が口元を指でなぞり「ふうん」と呟く。


「ジークハルト様?」


 そろそろ絵本を読みたいのだがと思って、きょとんとして呼ぶ。すると彼は口元に艶っぽい笑みを浮かべた。


「いえ、可愛らしいですね」

「…………うん?」


 何が?とエリザは思った。


「もう少し寄ってきてもらえますか? 小さな声でも聞こえる距離がいいな、と」

「いいですよ」


 エリザは絵本を抱え、椅子をベッドのすぐそばまで押した。座った時に膝がふかふかのベッドにあたる位置までぎりぎりに寄せる。


 ジークハルトは枕を端まで寄せ、こちらに身体を向けるような姿勢で横になった。


「さ、きついと思うので、ここに本と腕を乗せていいですよ」


 読み聞かせるのはエリザなのに、彼が自分のかぶっている掛け布団の上をぽんぽんと叩き、指示する。


(まぁ半ば業務外、という言い方をしていたし)


「それならお言葉に甘えて」


 かっちりとした魔術師団のマントコートを脱いでだいぶ軽くなったので、エリザは楽な姿勢をすることにしてベッドに寄りかかった。


 白い掛け布団の上に、異国の絵本を広げた。


 読むことに集中させようとしてくれているのか、視線を開いたページに落とした際、頬にかかったエリザの赤い髪をジークハルトが耳に引っかけてくれた。


「昔々、あるところに一人の魔法使いの男の子がいました――」


 エリザは、柔らかな声でそれを読み上げた。


 それは主人公の少年が冒険に出て、仲間と出会い、悪い魔法使いと闘って幼馴染の女の子を助けて結婚をするお話だ。


 さすが魔法がある大陸だなと思わせる内容だった。あらゆるところで魔法が登場する。箒に乗って空を移動したり、山を超えるために海から船ごと浮かび上がらせた部分では思わずびっくりしてしまった。


 その際、頭が動いたところで大きな手が顔の横に触れた。


 エリザはその時になって初めて、ジークハルトの手がずっと髪を撫でていたことに気づく。


「ふふ、集中していましたね。物珍しい話でしたか?」


 先に声をかけられて、気がそらされた。


「はい。気になったんですがこの船の話って、さすがに現実ではないですよね?」

「実際にあったことですよ。それで、子供向けの本にはよく使われています」

「そうなんですかっ?」

「南の戦争で全軍の船を浮かべ、それごと敵国に突入して圧勝を収めた大魔法使いの活躍も有名です」

「そ、そうなんですね……」


 それはすごい。エリザは、ジークハルトが髪をどうにかしてくれることにすっかり甘えてしまい、そのまま再びページに目を落とした。


 彼のおかげで、読むことに集中できた。


 結果的に、この大陸の出身ではないエリザには予想もつかない展開の数々で、絵本は楽しかった。


 とはいえ、やはり全部は読めそうになかった。


 ベッドに乗せた腕は、次第にジークハルトの身体の上に遠慮もなくのっかった。絵本の半分で完全に体重がかかり、欠伸がこぼれた。


(あ、ジークハルト様のこと忘れてた)


 そういえば、彼の様子はどうだろうか。


 思い出してページから彼の方へと視線を移動してみると、ジークハルトは目を閉じて穏やかな寝息を立てていた。


「……お、おぉっ、寝たっ」


 思わず小声でそんな声を上げた。


 大の大人が、絵本の読み聞かせで本当に寝るとは思わなかった。ちゃんとすんなり寝てくれたことにも達成感がある。


 警戒心をなくす幼さを感じるというか、可愛いなという感想を抱いた。


「ふふっ、本当に子供みたい」


 彼の顔にかかった柔らかな栗色の髪を後ろへと梳いた。


 その髪に触れた指先に、可愛い、という気持ちよりも甘くて離れがたいような満たされる気持ちを感じた気がした。


 こうして世話ができる日も、明日までなのだ。


 きっと、そのせいで妙な感じがするのだろうとエリザは思った。


「おやすみなさい、ジークハルト様」


 エリザはベッドサイドテーブルの明かりも含めて小さくし、絵本とマントコートを腕に抱えて静かに寝室を出た。


 ぱたん、と閉じた扉の向こうで、同時に彼が目を開けて「明日が楽しみだな」と笑みを浮かべたことには気づかなかった。


            ◆

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