40話 残された期間「特訓」に励みます!
翌日から、通常の〝治療〟が始まった。
フィサリウスから『呪い』の話を聞かされる前と方針は変わらず、とにかくジークハルトに女性との接しに慣れてもらうことだ。
ジークハルトは先日のご乱心がなかったみたいに通常運転だった。
いつも通り専属の治療係としてエリザは王宮へも同行したのだが、彼はメイドを目にすると「ひっ」と短い悲鳴を上げ、半分以上の確率でエリザを盾にした。
(それじゃだめなんだよねぇ)
というか、人様の肩を掴める癖にどうなっているんだ。
ショックが意外にも尾を引いていてそう思ったものの、もちろん空気が読めるエリザはしなかった。
「ジークハルト様、すれちがうだけです。そこに追加で絵顔の課題を課します」
ルディオは「お前鬼だな~」なんてのんきな感想を口にしていた。
だって、それくらいならなんとか数をこなせるようになってきたのだ。
距離がまぁまぁ開いていれば、ジークハルトは王子然とした、あの社交用の爽やかな微笑みで女性達に応えることができた。
(うん、あとは、見せつけるみたいに私をそばに置かなければね!)
茶会から数日、いまだ王宮に流れ続けている『治療係と公爵嫡男の禁断の恋愛』というのは、やめていただきたい。
とはいえこの数日、ジークハルトは以前より過大が多めなのにこなせる数も多かった。
王宮内の移動で知り合いの令嬢と顔を合わせても、指先を震えさせないで短い雑談をこなした。
視察の護衛でハロルドがジークハルトを数時間連れ出した際にも、女性騎士に対して困らされることはいなかったそうで「どんな魔法を使ったんだ!?」と治療方法を驚かれた。
「なぁエリオ、どう思う?」
例の茶会から四日目、ジークハルトが任務に入るまでの短い時間、散歩がてら歩いていたエリザは、ルディオと支柱のそばに待機していた。
覗き込んでいるのは、王宮の回廊の一角だ。
そこには自分の騎士を連れていた美しい侯爵夫人と、なごやかに雑談をしているジークハルトの姿がある。
「やっぱクリスティーナ嬢の一件が効いてんのかな?」
「そうだと思う。意外と大丈夫なんだって本人がちょっとは自覚したのかも」
ジークハルトが、父と家同士の付き合いで侯爵夫人とは知り合いだと言っていた。それを聞いて、エリザは早速『挨拶してきなさい』と課題を与えたわけだ。
その様子を、彼女はルディオと共に支柱から見守っていた。
「かれこれ十三分! 目をそらさないでってのは、新記録だ」
近衛騎士隊の紋章が刻まれた懐中時計を再び開いて、ルディオが「すげぇな」と感心した声を上げた。
以前、ジークハルトは『女性と面して話すのは十分ももちません!』と堂々な避けないことを主張してパーティーに臨んでいたわけだが、ここで見事、己の限界時間を突破したわけだ。
「意識してハードルを上げた特訓効果も出ているとしたら、私の判断は間違っていなかったな」
ふっ、とエリザは得意げに顎に指を添える。
「あ~、治療係の終了期限のことか?」
彼女は支柱から向こうを覗き込んで「うん」と答えた。
それを見ながらルディオは、頭の後ろをかき「なんだかなぁ」と呟く。
「それはどうかねぇ……。一年かけて【死の森】まで旅し続けてきたとは聞いたけど、隣国に行くのも何か目標がでもあるのか?」
はぐらかすように確認された。
「うーん――生きること」
「それだけ? 俺の友人としてこうして隣にいるのは心地よくないのか? 公爵家とか」
自分でそう聞いてくる人も珍しい。
エリザは、大きな赤い目を彼へと向けた。生き続けること。それが『師匠』との約束だ。けれどどうしたらいいのか、自分でもよくは分かっていない。
「正直言うとね、こんなふうに友達ができたのも初めてだよ。【死の森】に居座ったのも想定外だった」
「それなのに隣国へ行くつもりなのか?」
「ずっといたくなっちゃったら公爵様にも悪いでしょ。私はこの国の人じゃないから、故郷だとか、家だとかもないし。就職なんて考えたこともなかったし」
少しでも触れたら『聖女の浄化』で魔物が消滅する。
この国では魔物を倒すだけでお金になったりするし、時間をかけて転々としていくくらいなら食べるのには困らない。
「それに就職するとなると、身元が難しいと思うんだよねぇ」
魔力を持っていないことはフィサリウスに見抜かれてている。
この国に一握りいるという、彼並みの『強い魔法使い』には分かることなのだ。
あやしまれるし、どううまく説明したら魔法使いという身分で職に就けるのか――とか考えると、もう頭が痛くなるのでやめた。
それをルディオに正直に告げたら、彼が噴き出した。
「ははっ、なんだ、じゃあ問題ないな」
「何が?」
その時、笑っていたルディオの目が回廊へ向いた。
「友人歴が長いとはいえ、ルディオとばかり話されると面白くありませんね。僕は頑張ってきたのに」
首の前にするりと大きな手が回り、エリザは一瞬で意識が背後に向いた。
それは数日前に感じさせられたばかりなので、すぐに誰なのか頭に浮かんだ。そっと引き寄せられる感覚を覚えながら素早く肩越しに見上げると、赤い髪を面白そうにくすぐるジークハルトの姿があった。
「ジークシルト様っ」
「ちゃんと僕の頑張りを見てましたか? 僕の治療係殿」
「は、はい、見てました。今のは偶然、ちょうど目をそらしたタイミングだったと言いますか」
顔を支える手が耳をくすぐってきて邪魔された。話している途中でくすぐるのはやめて、とエリザは首をぴくんっと引っ込めつつ苦々しく思った。
すると通り過ぎていくメイドたちが、控えめながら「きゃーっ」と黄色い声を上げる。
(…ああ、また、見られた)
この人は、なんで先日からスキンシップ増なんだろうか。
ひとまず美麗な顔を見続けていると意識して変な胸の鼓動が増しそうな気がするので、ジークハルトの手から逃れる。
それから誤魔化すようにポケットからキャンディーを取り出し、素早く彼の手に握らせた。
「記録更新おめでとうございます、ジークハルト様。ご褒美のキャンディーをプレゼントしますね!」
意識して元気な声で伝え、すぐ手を引っ込めた。
だが、ものすごい速さでジークハルトに手を握り返されてしまった。
「んん?」
「ありがとうございますエリオ。ご褒美に、食べさせてくれますか?」
自分の耳がおかしくなったのだろうか。
エリザは本気で考え込んだ。すぐそこにいるルディオに目を向けると、なぜか唇をぎゅっとつぐんでいる。
(何、その顔? どういう感情からなの?)
ひとまず、何も言わないぞ、頑張れと見放されているのは分かった。
エリザは一度深呼吸をした。間違いかもしれないしなと思って、よーしと意気込んで改めてジークハルトを見上げてみた。
「すみません、もう一度言ってくれますか?」
目が合った瞬間、ひとまず夢にすることにしてズバッと告げた。
「エリオの手で、俺にキャンディーを食べさせてください」
やはり聞き間違いでもなんでもなかった。彼は堂々、きらきらと信頼しきった眩しい微笑みを浮かべてはっきりそう言った。
近くを通りかかった若い騎士が、ぎょっとしたようにこちらを振り返ったのが見えた。
(うん、分かる――なんで手で食べさせてもらいたがるの?)
十九歳、いい大人。キャンディー……ちょっと頭が痛くなってきた。
これも『呪い』と『浄化作用』の相乗効果だったりするのだろうか。おのれ、と思いかけたが、顔も知らない母のことを悪くは絶対に言えない。
するとジークハルトが、エリザの手にキャンディーの包みを握らせてきた。
(自然に持たせないで欲しいな……)
エリザは、手の中に帰ってきたキャンディーを見た。
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