39話 その後の治療係、話します
とはいえ、残念ながらまったく眠れなかった。
いつもならどこでも短時間の仮眠がとれるというのに、やはり、いつバレてもおかしくないという状況は緊張感が半端なかったようだ。
ジークハルトは間もなく、ご褒美をありがとうと言ってエリザを解放してくれた。
これ幸いと彼女は脱兎のごとく逃げ出し、公爵邸内を全速力で走り、厨房にいたサジに彼の目覚めを伝えたのだ。
セバスチャンも戻っているとのことで、ラドフォード公爵にもジークハルトが起床したことを報告した。軽食が始まった彼の様子を恐る恐る様子を見に行ってみると、あまりにもいつも通りで拍子抜けした。
「エリオも食べます?」
「あ、いえ、私はいつも通り厨房で軽く食べますので」
「それなら僕が部屋で手紙を書いている間に、休憩を取るといいですよ。寝ている間ずっとそばについてくれていてありがとうございました」
軽食を運んできた男性の使用人に聞いたそうだ。
(んん? あのベッドでのことは悪夢だったのかな?)
本気でそう悩んだ。そもそも女性恐怖症というのが幻だったのでは、と困惑が極まった、ジークハルトを私室に送り届ける最中、
「うわあぁあぁ!」
廊下を通り過ぎるメイドを前に、ジークハルトに肩を掴まれて盾にされた。
(――うん、いつも通りだわ)
というか自分より小さな〝男〟を盾にするなよ、とかエリザは乾いた笑みを浮かべて思ったりした。
とりあえずジークハルトを私室へ送り届けた。使用人への指示のためか、一階へと降りる際に階段でセバスチャンに遭遇した。
「どちらへ?」
「厨房です。軽食をとりに」
「なるほど。あなた様も苦労しますね」
「なんかそれ、さっきからすっと言われている気がするんですけど……」
ジークハルトの寝室を出てから、しょっちゅうみんなに労われている気がする。
「まぁ実行者も分かったことですし、この苦労も後少しだと思えば心配は半分くらいになりました」
今のところジークハルトも『呪い』を解くまで待つと言った。
彼の錯乱については回避できたし、解けたら解けたで彼も正気に戻るはずだ。
うんうんと元の調子に戻ったエリザを眺めていたセバスチャンが、なぜか憐れむような目を向けていた。
というわけで厨房へ向かう。
小食のエリザは、公爵邸で寝泊まりするようになってから自分のペースで厨房の休憩室にお邪魔し、軽食をもらっていた。
「うわー、まかないにしては豪華!」
「まぁ【赤い魔法使い】様ことエリオ様には、いい食事をとは言われてる。細すぎだぜ」
料理長のサジが、奥にある作業台の向かいに座った。
エリザは『雇われ治療係なのに申し訳ない』と思いつつ、一人旅だと滅多に食べられない肉料理を口に入れた。
暇をしているサジに、日中のクリスティーナのことを教えたらすでに聞いていると言う。彼もまた、微妙な眼差しでエリザを見ていた。
「最近はとくに、明らかにアレなんだと思うんだけどさ……そうだよな、知らない方が、短い間でも心は自由でいられるよな」
まるで意味が分からない台詞だった。
そして夕食前、エリザはラドフォード公爵と話す時間を取ることができた。もちろん今後の治療方針についてだ。
まずは一体一で令嬢と茶会ができたことを感謝された。
「あそこまで改善するとは、さすがだよ。本当にありがとう」
「いえ、元々ジークハルト様の恐怖感の原因は『呪い』ですから」
「だとしても、彼が経験から女性を怖がっているのは確かだよ。症状が出なくとも、あの怖がりようだからね」
エリザは、確かに……と出会った頃を思い返した。
治療に関しては、過去にあった『女性たちにモテにモテたことによる恐怖体験』が克服できるよう、引き続き行うことになった。
そしてフィサリウスの方で『呪い』を解くための調査を進める、と。
「王宮に行っていたと聞きましたが、殿下とお会いしていたんですね」
「急ぎの相談も兼ねてね。ああ見えてジークは、殿下が一番の騎士として欲しがるくらいには優秀だから」
ラドフォード公爵が視線を書斎机の上へと移動した。
中途半端に途切れたが、後半が相談の理由だろうとエリザは勘繰った。
(たぶん、何かあれば報告を、とお願いされているんだろうな)
フィサリウスがジークハルトを大切にしていて、彼のために『呪い』を解きたいと思っているのは理解していた。
だから個人的にエリザを呼び出して、話しもつけた。
「それでは、私の治療目安は呪いを解くまで、ですね」
呪いが解ければ呼吸困難になるくらいの恐怖感は襲いかかってこないし、すんなりと女性と交流に繋げられれば最良だ。
それまでにエリザ、できるだけジークハルトの苦手意識をどうにかする。
「うーん。一般的に考えると、君は仕事もよくできるしそうなるのだろうな」
腕を組んだラドフォード公爵が、妙な言い方をした。
「明日でも明後日でも、殿下から呪いを解く方法を実行されると想定して今よりももっと頑張っていきますからっ」
「いや、私は心配しているんじゃないよ。君はとてもよくやってくれている」
彼が書斎机の上の置きカレンダーを見た。
「もう、三週間になるのだねぇ。よくやってくれているよ。君が来てから毎日賑やかだ。ジークも以前より多く部屋から出てきてくれるし」
「ありがとうございます」
臨時の治療係としては、その期間でここまで良くやってくれたと褒められたら悪い気はしない。エリザは、はにかみながらも礼を伝えた。
「ただ、君から別れを口に出されると、想像以上くるなぁ」
「あ、申し訳ございません。食事の件もサジさんから聞きました。一介の雇われなのに、大切にしてくださって感謝しています」
「いや、あれは私の指示ではなくてジークだよ」
「ジークハルト様が?」
エリザの勤務初日、夕食の席でジークハルトがそれについて述べたそうだ。そしてセバスチャンたちにも意見を求めた。
あまりにも細いし、小さい。たしかに食事は大事だと使用人たちも思ったそうだ。
そこで公爵邸の護衛の者たちもエリザが食事をすっぽかさないよう、常に気をつけることにしたとか。
「……私のこと、何歳だと思っているだろう」
「いや、みんな知ってるよ。十八歳だよね、うん。立派な成人だ」
ですよね、とエリザは口にして疑問顔のまま頷く。
「それでは、ジークハルト様の明日の出勤からさらなる特訓、いえ治療を始めますね!」
「確かに特訓という言い方は間違いないな。ふふ、強い魔法使いとは思えないくらい賑やかな人だ」
もう話は以上のようだ。しかしながら、笑っていたラドフォード公爵の目が、ふっとそらされて悟ったようになる。
「そう、成人なんだよね……成人……うん」
「何か問題でも? あっ、次に会う令嬢のお話でももう出てます?」
「いや、出てないよ、その――予想外にも手を回されるのが早くて我が息子ながら、優秀だなぁ、と」
彼が顔をゆっくり左右に振った。王宮の仕事関係で、何か話でも聞いたのだろうか。
ひとまず、お互いに今日はロッカス伯爵家の来訪を受けて、お疲れ様だ。エリザは笑顔で改めてラドフォード公爵にそう告げ、書斎をあとにした。
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