38話 厄介な『呪い』に治療係は泣きたい

「え、なんでそこでレイヤ様が出――」


 ぱっと視線を上げた瞬間、エリザは彼の指で唇を押さえられて言葉を遮られていた。


「ここにもキスをしてみていいですか」

「えっ、こ、こここここ、ここ、とは……?」


 もう嫌な予感マックスで恐々と尋ねてみると、彼が「ここです」と唇を撫でた。


「小さくて柔らかい口の中も全部、僕のもので直接触れて、確かめてみたい――とても甘そうだ」


 ――それ、いったいどういう意味?


 エリザの思考は停止した。


 口の中をどう触るというのか? というか、女性に対する恐怖心をどこへやったんだ。


(想像するのも怖いっ。でも、とりあえずヤバイのは分かってる!)


 エリザの本能が『逃げろ』と告げている。そもそも勘違いで唇にキスなんかされてはたまらない。女の子として恋には少なからず憧れているし、唇へのキスは好きな人とするものだとは理解している。


「とりあえずだめです! うん、絶対だめ! キス反対!」


 もう言葉も選べず、思ったまま全部口に出した。


「さすがにそう拒絶されるとショックなのですが、どうして?」


 どうしてもこうしても、普通拒絶するに決まってるだろ! とか、まず男だと思っているのにキスとかおかしいでしょう! とか、ショックを覚えるくらいならそもそもキスなんて言わなければよかったのでは! などなどツッコミする時間的な猶予は、残念ながらない。


「ジークハルト様の女性恐怖症の症状は『呪い』のせいだったんです! 殿下が気付いて調べてくれていて、先程クリスティーナ様に対して症状が出なかったことがそれを証明しているんです!」

「フィーが……? 彼がそう言ったのですか?」

「そうです! 私は『呪い』も弱められる特殊な魔法使いだから、それでジークハルト様は色々

勘違いをされているのかとっ!」


 ジークハルトがようやく唇から手を離してくれた。考えるように少し視線をそらす。


「……『呪い』、ですか」

「そ、そうです」

「それがなくなれば、僕が勘違いではないということを、あなたに分かっていただけると?」

「は? いや、どうしてそうなるの――はいっ、今のは言葉を間違えました! そうだと思いますっ、いえ絶対そうです!」


 ジークハルトが「どうなんです?」と顔を寄せてきたので、エリザは大慌てで彼の意見をとりあえず肯定した。


 彼がちらりと思案する表情をした。


 普段よく見ている情けない感じではなくて、なんだかエリザは非常に落ち着かない。


「分かりました。いいですよ」

「えっ、ほんとですか?」

「フィーが呪いを解こうと準備しているわけでしょう? 俺は魔法はよく分かりませんが、それでエリオの気が済むのなら、いくらでも協力しましょう?」


 彼がにーっこりと笑いかてくる。


「そ、そうですか……な、なら、私、もうどいてもいいですよね?」


 この状況をとりあえず脱したい。エリザは恐る恐る抜け出しにかかったのだが、ぼすんっとジークハルトがベッドに寝転がったと思ったら、彼の方へ背中を向けられて、そのままぎゅっと抱き締められてしまった。


(え――えええぇっ!)


 なぜ、と疑問符で頭がいっぱいになる。


「混乱しているんですか?」

「は、はい、それを自覚していながらなぜ放さないんですかね……?」


 彼の顔が見えないのがかえって怖いなんて、つい直前までの状態からすると妙な感想だとは思うのだけれど。


 胸に抱え込んでいる大きな腕とか、頭にかかる吐息がものすごく落ち着かないのだ。


(そもそもこれバレない……!? 私、平気? じゃなくって、ジークハルト様大丈夫!?)


 頭の中が大変混乱しているのは自覚していた。


 彼の腕はしっかり身体の前に回っているし、先程とは別の意味でどきどきした。


「今日の分のご褒美だけでもください。今までで一番頑張りましたよね?」

「な、なるほど、これ、ご褒美なんですね……」


 抱き締めるのがご褒美になるのか?と疑問が沸く。


(つまり添い寝を希望されてる? ジークハルト様って案外ぱっと起きられないお方なんじゃない……?)


 そう考えてみると――まぁ、納得する。


 ひとまずのところ性別が違うということは察知されていないようだし、もうひと眠りを付き合うくらいなら、いいだろう。


(そう、男じゃないとバレていないなら、それでよし)


 男同士ならおかしくない。というか、そう思っている自分にも泣きたくなるのだが、そうか、抱き締めていても全然女だとバレないのか……。


 なぜ彼の女性を極度に怖がる感知能力は、ここにきても役に立たないのだろうか?


「というわけで、一緒に仮眠してもらっても?」

「まぁ、それでジークハルト様が落ち着いてくださるのなら」


 つい、ぽろっと口から本音が出た。


 これまでの心配事は懸念でしかなかったのだと思ったら、どっと疲れてしまって、バレないんならいいかと彼の腕の中でぐったりする。


(でも『呪い』の副産物とはいえ、ほっぺを舐めるとかキスするとか、懐き度合い、いや親愛度も過ぎている……)


 身を預けたエリザに、ジークハルトがくすりと笑った。


「少し休んだら、軽食を取ると約束します」


 彼が身じろぎして抱え直してくる。


「あの、それ以上密着するのはやめていただけませんかね……?」


 エリザは気になって後ろを見た。思ったよりも近くあった彼の青い目に、もう少しのところで色気のない悲鳴を上げるところだった。


 咄嗟に視線を逃がそうとしたら、首に手が回って彼が顎を支えた。


 そこに感じた高い体温に「うぎゃっ」と今度こそ声が出た。しかも喉をすりすりと撫でるのは、やめていただきたい。


「どうして?」

「あ、いや、別に異変がないんならそれていいんですよ、うん」


 御身のために言ったのだが、言葉を返してくる際に彼の腕が動くらしいと分かって、エリザはもう黙っていることにした。


(しかし、これだけ密着しているのにバレないって、逆に私すごい……)


 なんだかショックを受けた。諦めた気持ちでぽすんっと頭の横をベッドに置いたら、彼の手がようやく首から離れてくれる。


 ジークハルトはそんなエリザを眺め、蕩けるように目を細めた。


「それでは、少しの間、おやすみなさい」


 大事そうにエリザを引き寄せて胸に閉じ込める。同性相手にしては落ち着かない気持ちになる力加減だと思っていたら、頭にちゅっとキスをされるのを感じた。


(ああ、もうだめだ。少し寝よう)


 本気で頭を抱えたくなったエリザは、現実逃避でいったん眠ることにした。


           ◆

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