37話 ご乱心ですかっ?

「えーと……ああ、確か右ですね」

「そうですか。分かりました」


 彼の顔が不意に近付き、ふっと影がかかった。


 エリザがびっくりした次の瞬間、ジークハルトが右頬をペロリと舐めていた。


 舐められたという驚きと、なぜ舐められたのだろうという疑問で頭がいっぱいになった。とにかく咄嗟に彼の頭を押さる。


「なぜ舐めたんですか!?」

「間違えました。ですから、大人しくしていてください」


 あっさり手をベッドに押しつけられた。足をばたばたしても効果がなく、今度はちゅっと吸われる。


 いや、されたのはキスだ。一度離れたと思ったら、ちゅっ、ちゅと位置をわずかにズラしてされて、エリザはたまらず叫ぶ。


「ちょっ、な、何をしているんですかっ!」

「ですから『親愛のキス』です。……俺の方が先にあなたを見付けたのに、許せない」


 低い声が思っていた以上に近く、ぞくりとした直後、今度は左側を舐められてエリザは飛び上がった。


(ま、また舐めた!)


 ジークハルトはエリザの両手をしっかりと押さえつけたまま、頬、目尻、こめ髪、と次々にキスを落としていく。


 くすぐったさと羞恥でエリザは目が回りそうになった。というか、恥ずかしさで顔が真っ赤になっている自信がある。


「こ、これって挨拶のキスとは絶対に違いますよね!?」

「ああよかった、恥じらう気持ちはあるんですね。ですが残念、これは『挨拶のキス』ですよ。ええ、紛れもない親愛のキスです。あなたが知らないのなら俺が教えてあげます」


 舌の感触を強く伝えるように、耳すれすれの位置をわざと時間をかけるように舐め上げられ、エリザはかちーんっと固まった。


 これはキスではなく、舐め、である。


(え、えっ、どういうこと? やっぱり打ちどころがまずかったのでは……!?)


 ルディオめ!と心の中でとりあえず叫んでみる。


 そうでなければ、混乱でどうにかなってしまいそうだった。なぜジークハルトにベッドに引き込まれているのかまるで訳が分からないし、こういう過度な接触はさすがに『聖女の浄化作用』があったとしても、彼に女性恐怖症の症状を引き起こして、性別が女であるとバレる可能性があって大変危険でもあり――。


 というか早くベッドから逃げ出したい。


 もう、思考がほぼ停止まで追い込まれているのが分かる。


 またジークハルトの顔が近付いてくるのを感じた。彼の栗色の髪が触れるのを感じてビクッとしたら、唇の隣まで迫った彼の口がぴたりと止まった。


「……えと、なぜ顔を舐めているのでしょうか?」


 助かったと思って、エリザはちらりと視線を向けて問いを投げかけてみた。


 目を合わせたらジークハルトが、ベッドに広がっているエリザの短い赤い髪を意味深に指で少し撫でた。


「ようやく分かりました。僕は、エリオがこの腕から奪われていくことが耐えられない」


 エリザは、また思考が止まるのを感じた。


 彼の腕の中にいた覚えもないし、つまり彼のものではないはずのだがいったいどういうことだろうか。


(…………うん、質問したけどよく分からない回答がきたな!)


 どういうことなのか急ぎ考える。これも聖女の浄化作用によるものだったりするのだろうか。


 悩んでもすぐにパッと浮かばなかったので、ここは本人に確認してみることにした。


「すみません、信頼する治療係がいなくなるのが怖いとか?」

「違いますよ」


 ジークハルトが断言した。彼に手を取られ、エリザはなんだと思いながら、けれどなんだか嫌な予感もして口元を引きつらせながら見ていた。


「僕が欲しいのは、エリオ、あなたです」


 彼がちゅっと手の甲に唇をつける。


 それはレイヤが触れてきた感じとは全然違っていた。とても落ち着かなくなるような、しっとりとした感触が肌に残る気がする。


 いや、愛の告白日をされているので落ち着かないのは当然か――。


(――うん、なんでそうなる!)


 これは、男だと思われているうえで、さらなるとんでもない勘違いをされている。


 奪われたくないとか思うのは、彼は『呪い』を持っているから無意識に浄化作用の安らぎを感じて、離れたがいと感じているだけなのだ。


「困ります、無理です」


 ひとまず、告白に対して正解と思える返答をしてみた。


「困ると言われないくらい大切にしますし、無理と答えられないくらい僕のものであると愛を刻みます」

「刻むって何!?」


 指先にキスして見据えてきたジークハルトの目が、非常に怖い。


 男だと勘違いしているうえ、本能的に女性だと勘繰って威圧感を覚えている相手にまさか本気で襲いかかろうとはしないはず……。


(こうなったらっ、ハッキリ言おう!)


 もうその方法しかないように思えた。


「ジークハルト様! とりあえず、丸っと全部勘違いなので落ち着いて欲しいです! それを証明できるので、まずは私の話を聞いていただけませんか!?」


 必死に叫んだら、ジークハルトの手がぴくっと反応した。ようやく手をエリザへと返してくれる。


「……勘違いとは、どういうことですか?」


 よし、聞いてくれるみたいだ。


 エリザは心の中でガッツポーズをした。とりあえず手を返してくれたのはいいものの、一緒に私の胸にあてないでくれないかなと内心どきどきした。


(横になっているとふくらみもさらに落ち着くとは家、女だとバレたら非常に怖い……!)


 この状態で彼が蕁麻疹でも起こすようなら、余計にややこしくなるのは目に見えている。


「えぇと、先程のお茶会ですが、ジークハルト様はクリスティーナ様に触ることができましたよね? 特に嫌悪感もなかったんですよね?」

「よく覚えていません」

「覚えてないって、そんなはずは……ひぇ」


 なぜか彼の手がエリザの顔を撫で、指が頬の形をなぞってくる。


「ああ、確かに他の女性とは違っていたように思います」


 答えているのに、ジークハルトの親指が唇をゆっくりと撫でてきて、エリザは困惑で考える能力が飛びそうになった。


「そ、そそそうですよね? ほら、唯一拒絶反応が出なかったじゃないですか? 実はそれ、呪――っ」


 唇をふにゅりと、絶妙な力加減で触れられて身が固まった。


 すごく嫌な予感がする。ものすごく、だ。


 自分の口許にジークハルトの強い視線を覚え続けているのは、エリザの気のせいであって欲しい。心なしか彼の眼差しが熱いとか、もう、全然気付かなかったことにしたい。


「……あのー、なんで触っているんでしょうか?」


 思わず口から質問が出た。


「まだどこにも触れていませんよ」

「えっと、おかしいな、話しているのに視線が合わないんですけど……えぇとジークハルト様? いったい、ど、どこを見ているのでしょうか?」

「小さな口ですね」

「へ? まぁ、そうですね。たぶん小さい方、ですかね……?」

「まるでマシュマロみたいに柔らかそうです」

「マシュマロ!?」


 訳が分からない。これは、確実におかしい。


(ハッ、もしかして『まじない』をした実行者と長らく接したことで、何かしらの異常が起こっているのでは……!?)


 可能性はありありな気がしてきた。『呪い』の作用が強まったせいで、エリザの浄化作用を強く覚えているのでは?


 そうだったら困る。どうよう。


 怪力でジークハルトを投げ飛ばす、なんてことをしたらさすがにアウトか。公爵令息だ。そもそも、それで彼が正気に戻ってくれる気もしない――。


「目の前に僕がいるのに、何か考えごとですか? もしかしてレイヤのことでも思い出しているんですかね」

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