008●第二章➀キンキラリンと満願全席《まんがんぜんせき》〈20240916再修正〉

008●第二章➀キンキラリンと満願全席まんがんぜんせき〈20240916再修正〉



 そこで腹が鳴った。

 当然である。あちらの異世界から煉獄パーガトリー滞在ののち天国ヘイヴン経由でこちらの異世界へ降臨するという長旅であった上、その間、まともな食事は一度も味わっていないのだ。まあ、ほぼ全行程、幽霊だったからやむを得ないが。

 僕は恥ずかしさで赤面したが、グウと鳴る空腹音を聴いたはずのシェイラは表情一つ変えずに言葉を添える。

「猊下、まずはお召し替えと晩餐を。ご用意はできておりますので」

「それはありがたい!」

 と我輩、こうでなくっちゃ! 色気もいいが食い気が先である。

 見ると輿こしが控えている。金ぴかの単座シートを、家政婦姿の六人の娘が担いでいて、これにお乗り下さいというわけだ。

 目的地は大階段の上、ならば、と俺はシェイラに告げる。

「そういうものはいらない。俺には足があるんだ、走るぞ!」

 赤絨毯あかじゅうたんを敷設した階段を跳ね昇る。あっという間に十段飛びだ。もといた異世界に比べてこちらの重力は三分の一程度、それに二十代前半の元気で壮健な肉体、手足のバネは程よく効いて、軽々とジャンプ。まるでサーカスの軽業師アーティストだ。

「げ、猊下! お待ちください!」

 シェイラが呼び止めるが、僕の身体は止まろうとしない。だって、なんとも言えない、なつかしい香りが、ごくかすかだけれど前方から感じられて、全身を食欲のカタマリに変えてしまったからだ。

 ああ、この香りは……たまらない、あの、昔ながらの鶏ガラスープの!

「猊下、す、凄いですわね。まるで赤い亀鹿かめしかです!」

 赤と金の長衣ガウンひるがえして駆ける俺を、この国で快速を誇る動物に例えて、追いついたばかりのシェイラが感嘆する。亀鹿かめしかが何なのかは後日知ったのだが、額と背中に甲羅を生やしている野生生物だということだ。我輩の前世記憶にあるカモシカに似ていて、公国の天然記念物に指定されている。

「ははは、どうだ、肉体機動は前世より三倍速いぞ!」

 右方向へゆるやかに回る数百段の大階段を一気に昇りきって、我輩は自慢した。

「猊下、お顔が真っ赤です。どうぞ一休みして息をお整えください。」

 どこからともなく白絹のハンカチを出して、シェイラは真っ赤な我輩の首筋の汗をぬぐってくれた。

 我ながら呼吸が早い。急激な酸素消費で血流が増し、前進が熱い、しかし爽快だ。三倍速く走れるうえに息切れしていない。ということは……前世の異世界よりも、こちらの方が空気が濃いのだ。

 大階段を昇りきると、高い天井に楕円形の天窓をずらりと配したホワイエ。そこからずっと先へと大回廊が続き、その通路は左へ緩やかにカーブして消えている。

 のちに図書室で建物の設計図を見つけて確認したのだが、これは“本丸ビル”の建築の特徴で、直径二ロキメルトという巨大なバウムクーヘン形の外形ながら、その内部は幅百メルトほどの長大な蛇のようなむねがぐるぐると左巻きの螺旋を描いて中心の広場へと収束していたわけだ。

 この異世界にも“蚊取り線香”に似た形の、渦巻型のお香があることは後に知ったが、ちょうどそんな感じだ。真ん中に直径五百メルトの大きな円形の広場を開けた、直径二ロキメルトもの超巨大な渦巻線香。

 あまりに建物が巨大なので、公王府パラティヌスとして日常の用に供しているのは全体容積の二割程度に過ぎず、あとは謎の空間らしい。

 ま、それはともかく着替えである。

 大回廊に接する、巨大ワードローブを備えた鏡の間で、スタイリストの侍女が待ち構えていて、枢鬼卿すうきけいの日常的なルームウェアを着せ付けてくれた。

 それまでは一枚の腰巻の上に超豪華な赤っぽい金襴緞子のゴージャスガウンだったのだが、ここからは前世記憶ぜんせきおくのキモノに近い、身体の前で合わせるラフな衣装だ。この国の伝統的な装束らしく、サムライの羽織袴はおりはかまが上下一体化した感じで、お腹周りはゆったりしている。肌触りはシルク感覚で、快適そのもの。

 しかし色彩はド派手であった。金銀に紅のキンキラリンのラメ尽くしだ。

 ヘアスタイルも整えてくれた。最初はオールバックにされてしまい、鏡を見たとたん前世記憶ぜんせきおくの何かを想い出して右手を上げて直立不動、「起てよ国民!」と条件反射してしまった。だがオールバックの髪型は、シェイラに聞くと「先代枢鬼卿すうきけいの御趣味でして」だったので、すぐさま変更した。なるほど独裁者を気取ってやがっただけのことはある。

 しかし次には右から左へと頭髪をキッチリ七三分けにされてしまい、思わず「ハイル・フューラー!」と条件反射、チョビ髭ひとつ追加すると某異世界の凶悪独裁者の猿真似になりかねないので、これも没にした。

 結局あれこれ試したうえで、中二病のガキが粋がっているようなボサボサ髪に落ち着いてしまったが、文句をつける気にはなれなかった。とにかく腹が減っていたのである。

 ようやく晩餐広間ディナーホールへ。

 やはり、だった。

 そこは前世記憶ぜんせきおくに照らし合わせると、超高級ホテルの結婚披露宴会場といった風情の大広間そのものだ。

 インテリアデザインは流体的な曲線が優美なアールヌーボー調と、直線的でモダンなアールデコ調を左右の壁で対比的に見せていた。この公王府パラティヌスを擁する本丸ビル全体の内装が、アールヌーボーとアールデコの対比と混合を基調にしているようだ。我輩の趣味としては十分に気に入ったが。

 しかし、ずらりと並ぶ料理の方は……

 いや、確かに超高級だ。これまでの前世記憶ぜんせきおくの中でも一二を争うゴージャスでデリシャスなメニューが、これでもかとばかりに……

満願全席まんがんぜんせきと申しまして、国教でありますエリシン教の修道院の食膳から発達いたしました調理品目であります。全部で百八種類ございます」と、シェイラがすまし顔で自慢した。

 直径20メルトほどのドーナツ状巨大回転テーブルが三卓あり、それぞれに三十六種類の料理が盛られている。

 手の込んだ調理で芸術的な香りを醸し出す山海の珍味たちと、スパイスも絶妙な肉のソテー、十数種の濃厚なシチュー、野菜と果物のさっぱりしたサラダにマリネ、つややかに柔らかく炊き上げたシリアル、海鮮を蒸した包み料理、丹念に漉し上げた粘りのあるスープ類……

 三つの回転テーブルを前と左右に挟まれる形で、我輩の席が置かれていた。そこに座って食べたい料理に目をやれば、テーブルが回ってくれるというわけだ。

 そこで否応なく目を見張るのは大回転テーブルの上にひとりずつ、仰向けに寝そべった裸体美女をお皿代わりにして、新鮮な野菜サラダやフルーツやスイーツで局所を着飾った“女体盛り”なるものが“俎板まないたの鯉”状態で置かれていたことだ。

 さすがに生身の肉体の上に肉類や海産物の生ものを載せるのは、衛生上の観点から控えているらしいが、胸の上にかぶせたメロン風の果肉やおへその上に載せたプディングなど、舌なめずりして食べていいものやら……

 食卓に用意されている道具はもっぱら箸とさじだった。食材はあらかじめ骨を抜いて適当な大きさに切り分けられるか、ほぐされている。ナイフとフォークはこの世界にも存在するのだが、安全上の観点から、ここでは使われていない。

 そりゃそうだ。性的にアブノーマルなプレイをたしなむ先代の枢鬼卿すうきけいにナイフとフォークを持たせでもしたら、“女体盛り”に供されている哀れな美女がいかように食されてしまうか、危なくて仕方がないだろう。生身の刺身にされて、リアルに血の滴るホラーな惨劇となりかねない。

 そしてドーナツ状の大回転テーブルの内側には、料理の種類に対応した計百八人の少女たちが整列していた。清潔な純白の作務衣風コスチュームを纏い、白いマスクで唾液の飛散を防いでいる。



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