第47話

 異世界ベルンド。それがかつて俺が旅した世界の名前。


 新天地を求めた魔界の住人たちが人間界へと侵攻し、豊かだった土地は彼らが纏う瘴気によって朽ちた大地へと変貌していた。


 とにかく食料が乏しく、町によっては鎧や剣などの武具よりも干し肉の方が単位重量当たりの金額が高かったくらいだ。


 結果的に俺は魔物を狩って食いつないできたわけだが、魔物はその名の通り体内に蓄えている魔力量が多い。そのため最初の頃は魔力中毒を起こして血反吐ちへどを吐いたりもした。


 その上、魔界の住人たちの強いこと強いこと。


 身体能力が高く、しかも魔物以上に高い魔力を持ち、極めつけは知能がある。


 ゴブリンなどの比較的弱い相手ですら武器を使うし罠も張る。地味に命ごいをされるのが一番きつかった。

 

 ヴァンパイアやデーモンなんかの魔人級になると、神の祝福を受けた聖騎士団さえ単独で制圧する戦闘力をもっていた。


 一対一ならまだしも三体以上の魔人に囲まれたときには本気で死を覚悟したし、そもそも魔人級なんて等級がつけられている癖にあいつらのビジュアルはまさに化物。魔王を除いて魔界の住人は強い奴ほど醜悪な見た目をしていた。


 覚醒したマイケルでさえ上級の魔人よりも人の形を保っている方だ。威圧感こそすさまじいものがあったが、彼の実力はせいぜい魔界の住人の中でもやや上位格といったところだろう。


 特に記憶に残っているのがサキュバス。砦を占領したのがサキュバスと聞いて喜び勇んで倒しに行ったら、なんかアワビっぽい巨大生物から大量の触手が生えているというビジュアルだったときは本気で絶望した。


 しかもベルンドのサキュバスめっちゃくちゃ強かった。触手を鞭のように振るうしアワビっぽい部分の裂けめで噛みついてくるし、しかも幻覚作用のあるガスを常時垂れ流しだ。


 手下は砦にいた兵士たちで、しかも彼らの目には俺が絶世の美女に見えていたらしく、みんな下半身裸で全力疾走してきた。ほんとに辛かった。いまでもトラウマだ。つーか俺を美女に見せるなよ。俺に美女を見せろよ。


 あの戦いを乗り越えてからそれほど絶望しなくなった。絶望は心の麻酔薬だったわけだ。


 あの時以上に精神的にも肉体的にも辛い戦いはないといままで思っていた。


 そう、思っていたのだ。


 けれどあった。


 たとえ世界を救うほどの苦難を乗り越えた俺でさえ戦慄する恐るべき状況シチュエーション。それはたしかに存在した。


「こーれーはーわーらーわーのーじゃー!」

「やぁーだやぁーだ! これわたしのだもん! あなたのはそっちでしょー!」

「…………」


 俺の目の前には、日本刀を取り合う金髪の幼女と黒髪の幼女がいる。そんな二人をぼーっと眺めているのは銀髪の幼女。


 そう、あの騒がしい三人娘たちだ。


 部屋を爆破されてたまるかと思い時の魔法を発動したのはいいのだが、どうやら部屋といっしょに彼女たちまで若返らせてしまったらしい。


 おかげさまで俺の憩いの場である六畳一間のボロアパートは、いまや託児所状態だ。


 ちょうどいいサイズの服がないのでとりあえずカーテンを陽詩と雫に、布団のシーツをアゲハに巻いて安全ピンで留めている。


”ロリ化マオマオたんロリ度が増してかわいすぎるうううう!”

”はぁはぁ……雫たんもかーいーねぇ……”

”でゅふふ、俺は飴をあげればほいほいついてきそうなロリ丸たん推しでござる”

”いつもかわいいけど、小さいともっとかわいいわねぇ”

”ええいやめんかお前ら! 幼子をそのような目で見るな! というか、これはもとにもどるのか!?”

 

 なんか急激に変な視聴者が湧き始めた。


 一生懸命反論しているのはたぶん雨水さんだ。雫が変な目で見られることに怒っているのだろう。


 あの人、陽詩が出演してる時はほんとにいつでも出没するな。

 

 さすがにいまは陽詩よりも雫が心配みたいだけど。


「あー、みんな。心配しなくても俺の魔力がもどれば元に戻せる。だからあんまり騒がないでくれ」


 ひとまずそういっておくが実は確証がない。


 時の魔法は時間を遡らせることができるのはわかっているが、進めることもできるのだろうか。


”なんだもどせるのか”

”このまま第二の人生を歩むのかと思った”

”よかったわぁ”

”本当に戻せるのだな……?”


 いずれにしてもいまは時の魔法を発動できるほど魔力が残ってないからどうしようもない。 

 

 もう一度魔法を使うには一晩眠らないと駄目だ。


 てことは明日の朝まで三人の面倒を見なくちゃいけないってことになる。


 雫は雨水さんがすでに配信を見ているから問題ないだろう。アゲハは親とかいないらしいし、月に一度国の監察官が来るとか聞いたことがあるからこっちも気にしなくてよさそうだ。


 問題は陽詩だな。


「なぁ陽詩。お前の親に連絡取りたいんだけど、スマホかしてもらえるか?」

「ん-! ん-! はーなーすーのーじゃー!」

「あなたがはーなーしーてー!」


 いまだに日本刀を取り合っている二人の襟を掴んで持ち上げた。


「危ないからもうやめなさい」

「あははは! うかんでるんじゃー!」

「あー! あー! こわいー! おろしてー! もうしないからぁー!」


 雫が泣きそうになったので下ろした。


 彼女はべそをかいて座り込んでしまい、陽詩はけらけら笑って部屋中を駆け回る。


 騒がしい。でもいつもと違う騒がしさでなんか疲れる。


 ため息をつくと、ズボンを引っ張られた。


 振り返るとそこにはアゲハがぼんやりした顔で俺を見上げていた。


「……どした」

「…………ボクも……たかいたかい……」

「よっしゃほーら!」


 アゲハを持ち上げてやったが彼女はずっと無表情で喜んでいるのかよくわからない。


 ぐるん、と一周回してやって床に下ろしてやると、アゲハはよたよたとふらついて尻もちをついた。


「よかったのー! たのしかったじゃろー!」


 そんなアゲハに陽詩が近づいて頭を撫でる。


「ん……」


 アゲハはシーツをたぐりよせて抱きしめると、顔を埋めた。


 喜んでたっぽいな。


「なぁ陽詩」

「なんじゃ!」


 普段の五割り増しくらいいい返事が返ってきた。


「スマホかしてくれるか」

「えー。でも、パパンもママンも、だれにもかしちゃだめっていってたのじゃ……」

「頼むよ。どうしてもパパンとママンに連絡したいんだ」

「じゃあ、わらわのおねがいをきいてくれるかのう?」

「ああ、聞いてやるよ。なにをすればいいんだ?」

「んーとなー、わらわなー、そうめんくいたいんじゃ!」


 そうめん食わせたらスマホかしてくれるのかよ。いいのかそれで。


「わかった。今日のお昼はそうめんにしよう」

「わーい、うれしいのじゃー! アゲハもそうめんすきじゃろー?」

「すき……」


 陽詩の要望どおり、俺はそうめんを茹でた。


 皿に盛り付けてちゃぶ台まで運ぼうとしたら、雫が「て、手伝うっ……」といって二つ皿を持ってくれた。


「かっかっか! しょうがをいれるとおいしいんじゃ! アゲハにもいれてあげる!」


 そういってアゲハの麺つゆの上で生姜のチューブを握りしめる陽詩。


 どびゅっ、と大量の生姜がアゲハの麺つゆに入れられた。


「……えふっ」


 大量の生姜が入った麺つゆでそうめんを啜ると、アゲハは無表情のままえづいた。


「おいしいじゃろー! なぁなぁ、おいしいじゃろー!」

「もうやめなさいよ! アゲハちゃんがかわいそうでしょー!」

「ああー! なんでわらわのしょうがをとるんじゃ! ばか!」

「……えふっ」


 昼飯の時でも騒がしいな。


”ちゅるちゅるおいしいでちゅねー”

”ああ、なんかこういうの懐かしい”

”もう一人作っちゃおうかしら”

”ジャージさん、おそうめんだけだと栄養バランスが悪いんじゃない?”

”茹でた鶏肉とかトマトを添えるのがおすすめよ”


 視聴者層がさらに変わっていまは主婦っぽい人が増えてきた。


 再生数はぐんぐん上昇中。あれ、わざわざダンジョンにいかなくてもこいつらを映しとけば視聴率を稼げるんじゃないだろうか。


 なんて思い始めるも、プライベート配信はせいぜい一週間くらいでやめるつもりだし、いまだけだな。


 みんながちゅるちゅる麺を啜っているあいだに、俺は陽詩のスマホを開いた。


 他人のスマホをいじるのは心苦しいが無断外泊して心配をかけるよりはマシだろう。


 俺は彼女のスマホから朝比奈陽葵ひまりという名前をみつけて、メッセージを送った。


 返事はすぐに来た。


『いまみてるから大丈夫よー。ジャージさん、陽詩のことよろしくお願いね』


 ちょっとまて見られてたのかよ。ま、まぁいいや。なんだかおっとりした人みたいだし、無事に家に帰せば問題ないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る