第35話
「ここを通ればいいみたいだな」
「嘘……こんなの行けるはずないわ」
「マグネ」
俺は靴と綱に磁気を帯びさせた。
なんてことはない、これで落下することはないはずだ。
雫を抱えたまま綱をわたる。
「ちょっとまちなさあああああああい!」
背中にものすごいアニメ声の怒声が叩きつけられた。なんだこのかわいい声。甘さの中に清涼感のある透き通った声色で、罵倒ですら耳が心地よくなりそうだ。
声の主をぜひ一目拝みたいと思って振り返る。ところが後ろには誰もいなかった。
「なんだ……? いまの萌え声はどこから……」
まさか俺の脳が作り出した幻想だったのだろうか。
『おおっとー! ここで三人目の四天王! 雑技の北方が脱落したぁー!』
脱落したのかよ。女の子っぽかったけど大丈夫なのだろうか。
助けに行った方がいいのかな、なんて悩んでいると、雫に顔をがっと掴まれた。
「は・や・く。前に進みましょ?」
「お、おう……」
なんか妙な圧を感じたので先に進むことにした。
林道を抜けると、今度は川にぶちあたった。
「どうやら水の試練はいつもどおり泳いで渡るみたいね。……幹也くん、下ろしてくれるかしら」
雫を地面に下ろすと、彼女はぐっぐっと体をほぐし始めた。
「大丈夫なのか?」
「ここは一番得意な試練なの。この川は独特な流れになっているから、わたしについてきてね」
雫は躊躇することなく激流に飛び込んだ。
浴衣姿だっていうのに、彼女はまるで人魚のように泳いでいく。
これは俺もうかうかしていられないな。
いやでも、ちょっとまて。ここまであれほど容赦ない試練が続いたのに、ここだけいつも通りなんてことがあるのか。
飛び込む寸前に思いとどまると、上流から大量の倒木が流れてきた。
「雫!?」
まずい、このままだと雫が巻き込まれてしまう。
考える間もなく、俺は魔法を発動した。
「うおおおおおおお! タイダル・ウェイブ!」
特大の水魔法によって川の下流に大きな波ができる。
波は流れに逆らって進み、倒木ごと川の水を押し返した。
むき出しになった川底で魚が跳ねている。
川の中央には、ぐったりと雫が横たわっていた。
「雫!」
急いで駆け寄るが返事はない。
まさか溺れたのか。無我夢中で魔法を放っちまったから。
ど、どうしよう。どうすればいいのかわからない。
俺が困り果てていると、リストバンドにコメントが表示された。
”人口呼吸しろ!”
”まだ間に合うぞジャージ戦士!”
”最初の三分が勝負だ!”
これは、
なんで彼らが……あ、そうか。この障害物競走は全国配信されているから、きっと俺が出場してるところがSNSかなにかで拡散されたんだ。
にしても、人口呼吸だと。俺が、雫に?
無意識に雫の唇に視線が移る。
瑞々しくて柔らかそうで、思わず生唾を飲み込んだ。
「し、雫……」
やるしかない。恥ずかしいとかそんなこといってる場合じゃない。これは救命活動なんだ。きっと雫だって許してくれる。
よし、やるぞ。人口呼吸。
雫の顎を支えて顔を近づける。
いいんだよな。これでいいんだよな。
じりじりと距離が縮まり唇が触れるか触れないかのその刹那ーーーー雫が咳込んだ。
「ごほ! げほ! ……あ、あれ? 幹也くん?」
「めめめめ、目を覚ましたんだな雫!」
「え、ええ……?」
なんか惜しい気もしたが、無事でよかった。うん。
俺たちは対岸に徒歩でわたり、魔法を解いた。
すると、後方から「ぎゃあああああ」という叫び声が聞こえた。
『ああ、四天王が全滅です! いま不動の湖南が激流に流されました!』
四天王、全滅した。
一人しかまともに遭遇しなかったが、まぁどうでもいいだろう。
第四の試練を越えて長い石段を登り終えると、そこには神社が建っていた。
境内には雨水さんが腕を組んで仁王立ちしている。
「雨水さん……」
「お父さん……」
俺が声をかけると、雨水さんの両目からどっと涙が溢れ出した。
「雨水さん!?」
「おおおお、うおおおおおお……。十七夜月くん……君は……君は……」
雨水さんはおぼつかない足取りで俺に歩み寄ってきて、両肩を掴んだ。
「ど、どうしたんですか?」
「君は、君こそが……選ばれし者だ……ずびっ!」
めっちゃ鼻をすするじゃん、雨水さん。
選ばれし者ってどういう意味だろう。
あ、もしかして。
「優勝ってことですか!?」
「ああ、優勝だよ。もう大優勝だ。一等賞だとも」
俺が、優勝。
てことは松坂牛も俺の物。
「うおっしゃああああああああ!」
「嬉しいか十七夜月くん!」
「はい! すごく嬉しいです!」
「そうかそうか! それはよかった!」
なんかさっきから雨水さんの態度が変だけどまぁいいか。肉もらえるし。
「あ、でも、雫は」
俺が雫をみると、彼女は首を左右にふった。
「ううん。わたしは幹也くんがいなかったらここまでこれなかったもの。優勝はあなたのものよ」
「いいのか?」
「ええ。松坂牛なら家でも食べれるし、それにあなたといっしょに参加できてじゅうぶん楽しめたわ」
さすがお嬢様。太っ腹だ。
そういうことならありがたくいただくとしよう。
でも、そもそも誘ってくれたのは雫だしな。
なら俺から提案することは一つだ。
「いっしょに食おうぜ。一人じゃ食いきれないしさ」
「幹也くんがいいなら、招待されちゃおうかしら」
雫はふっと微笑んで頷いた。
「ふぐっ……これが支え合いの精神か……」
なぜか雨水さんはなぜかさっきから号泣している。
本当に今日の雨水さんは変だ。
いや、やっぱりいつも通りかもしれない。
いつも変だし。
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2023/07/14 誤字を修正しました。
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