第45話

 八月の中ごろ。気温が四十二度をマークした超真夏日。


「あちー」


 蒸し器のような部屋の中。俺はトレードマークのジャージの上着を脱いで白シャツ姿のまま団扇を扇ぎ、スマホをいじりながらコメント返信に勤しんでいた。


 魔法を使えば部屋を冷やすのは簡単だが冷やし続けることに集中力を使うのも煩わしい。


 それにいまはせっかくの日本。四季を楽しもう。


「ほれもうそんなにだらだらしくさって! ちょっと足をあげんか!」


 なぜか俺の部屋に掃除機をかけているのは、かつて異世界ベルンドを手中に収めようとして俺に倒された魔王、ディストリビュータ・アッシュタロト・シュバルツヘザー。


 配信者としての名前はマオマオ。この世界での本名は朝比奈陽詩。


 三つも名前があるなんて贅沢な奴だ。


 そんな彼女はいままさにこの地球を征服しようと目論んでいるのだが、なぜか近頃は俺の部屋に入りびたり家事全般をこなすようになっている。


 世界征服と俺の部屋の清潔感になんの因果関係があるのかは不明だが、ここのところ妙に熱心だ。


「ふいー、台所もトイレも居間もこれでよしじゃな。玄関もばっちりじゃ」


 頭につけていた三角巾を外し、陽詩はまっすぐ冷蔵庫に向かっていく。


「アイスをもらうぞ」

「あいよ」


 最近は料理も掃除も陽詩にまかせっきりだし、アイスくらいいくらでももってってくれ。 


 陽詩は冷蔵庫からジョリジョリくんを二本取り出すと、一本を俺に渡した。


「ん」

「サンキュ」

「食べスマホ禁止じゃ!」


 ぱっとスマホを取り上げられちゃぶ台に置かれた。


 そのまま陽詩はさも当たり前のように俺の隣に腰掛ける。


「ちかくね?」

「でもこういうのがぐっとくるんじゃろ、お主」

「なんでお前そんなに俺のツボを心得てるんだよ……」


 最近は飯も甘口だし、なんかもういろいろとこえーよ。


「ふふん、わらわはただ無意味にお主の傍にいたわけではない。この目でしかと観察してお主の好みを把握したのじゃ」


 勉強熱心すぎる。


 さすが本気で世界征服を目論むだけのことはあるな。世界中の人々の心を掴むのに比べたら、人ひとり分析するくらいわけないってことか。


 二人で並んで足を投げ出しながら、アイスを舐める。


 よく冷えた人工甘味料が火照った体を冷やしてくれる。


 開け放された窓の外には大きな入道雲。ぬるい風が吹き込んできて、俺たちの前髪を揺らした。


 ぼーっとアイスを舐めていると、陽詩が俺の肩に頭を預けてきた。


「……あちーよ」

「これくらい我慢せい。たまにはわらわにもご褒美があってもええじゃろが」

「ご褒美?」


 俺の肩によりかかることが?


「あ、やっ……べ、別に、なんでもないわ……いまのは忘れるがよい……」


 肩に火傷しそうなほど熱い体温が伝わってくる。


 顔を見るのは恥ずかしすぎてできない。


 なんでこいつの自滅に巻き込まれなきゃならないんだまったく。


「のう幹也よ。そろそろわらわのことが好きになったのではないか?」

「なわけねーだろ」

「なーにが気に入らんのじゃまったく。どうすればお主にわらわを好きになる権利を行使させることができるのかいまだにわからんわ」

「なにがってそりゃ……」


 あれ、そういえばなにが気に入らないんだっけ。暑さで頭が働かない。


 陽詩はいつも明るくて、家事をこなしてくれて、なにより俺のことを一番に考えてくれている。


 そんな彼女に対して、俺はいったいなんの不満があるのだろうか。


「幹也?」


 陽詩が俺の顔を見上げてくる。視線を感じ、俺はあえて窓を見た。青空が広がっている。いや、広がっているのは、世界だ。


 ああ、そうだ。陽詩の目的は世界征服。そのための手駒として俺を必要としている。


 だから俺が陽詩に惚れたら、彼女はきっと俺ではなく世界に目を向ける。


 俺が隣にいても、俺の向こうの窓を見るようになってしまうんだ。


 それが、嫌なのかもしれない。


 てことは、ずっと俺を見てくれるなら、俺はこいつを好きになってもいいのかな。


「もし……」

「なんじゃ?」

「もしもさ……」

「んー」

「お前が俺のことを好きになったら……俺も……」


 心臓が破裂しそうだ。俺はなにをいってるんだ。これじゃまるで、告白みたいじゃないか。


 脳裏にサムズアップするマイケルがよぎる。


 ここ最近、あいつから家族のノロケ話ばかり聞かされていたからか。だからこんな気分になってるのか。どーなんだ俺。


「お主も……なんじゃ?」


 陽詩が俺の服の胸のあたりを握ってきた。


 理由はどうあれ、俺はいまものすごくドキドキしている。


 心臓の音が聞かれそうで怖いのに、陽詩を抱きしめたくてたまらない。


 いうのか。いっちまうのか俺。


 いつのまにか食べることを忘れていたアイスが溶けて畳に落ちる。


 アイスの棒に刻まれた「あたり」の刻印。


 それを見て、俺は覚悟を決めた。


「俺も、お前を----」


 が、しかし。


 俺が覚悟を決めると同時に、玄関が勢いよく開かれた。


「おはよう幹也くーん!」

「アニキ! しずくの姉御がスイカを差し入れしてくれましたよ! いまからみんなで海にいってスイカ割りしましょう!」

「ひゃあああああああ!」


 陽詩が叫んで飛び上がった。


「な、なによ。そんなに驚くことないでしょ」

「そ、そうですよひなの姉御。ただのスイカですよ」


 玄関の下で二人がきょとんとしている。


 陽詩は自身の小さな胸を押さえて肩を怒らせていた。


「う、うるさいわ馬鹿者どもが!」

「あ……ふーん、もしかしてついに告白しようとしていたのかしら?」

「は、はあ!?」

「それは申し訳ないことをしてしまいました。せっかくひなの姉御が素直になりそうだったのに邪魔してしまったみたいですね」


 雫もアゲハもにやにやしている。


 さてはこういえば陽詩がどんな反応をするのか、わかってていってるな。


「ば、馬鹿な! わらわが幹也を好きになるのではない! 幹也がわらわを好きになるんじゃ! じゃろ!? そうじゃろ幹也よ!」

「ならねーよ、馬鹿」


 まったくこいつは。俺が素直になれない理由は間違いなくこいつにある。好きにならないなんていわれて誰が好きになるかってんだ。


 だいたい俺は百年前の世界に戻らなきゃならない。


 この時代で恋人なんか作るつもりはない。そんなの悲しい結末になるのが目に見えてるじゃないか。


 危うく雰囲気に流されるところだったぜ。


「ほんとに素直じゃないわね。ってあら? あなたのアイス、当たりじゃない」

「なぬ? あ、ほんとじゃ。じゃあこれはアゲハにくれてやろう」

「わあ、ありがとうございますひなの姉御」


 アゲハのやつ、エクスカリバーを小脇に抱えてスイカを持ちながらアイスの棒まで握りしめることになるとは。忙しいやつだな。


「ちょっとまちなさいよ! スイカを持ってきたのはわたしなのになんでアゲハにあげるの!?」

「あーん? 貴様にくれてやるアイスなどないわ! ハズレの棒でもしゃぶっとれ!」

「なんですって!」

「なんじゃこのぉ!」


 お互いに頬をつねりあう陽詩と雫。


「ふがー! やふぇんふぁー!」

「あんふぁがやめなふぁいよー!」


 こいつらいい加減仲良くしろよな。


「やめろ暑苦しい。雫には俺の当たりをやるよ」

「あら、ありがとう幹也くん!」


 雫はぱっと陽詩から手を離した。


「なんでそうやって甘やかすんじゃ幹也のアホー!」


 別に甘やかしてるわけじゃない。


 ひいきはしないってだけだ。


「ほらほらみなさん、早く行きますよ! 海ですよ海!」


 ご機嫌なアゲハを筆頭に、ぞろぞろとみんなが部屋から出ていく。


 最後に部屋を出るとき、俺はなんとなく振り返った。


 カビ臭い畳。


 くすんだ窓。


 古ぼけたちゃぶ台。


 粗末な部屋なのに、どこか安心する俺の……いや、俺たちの居場所。


「いってきます」


 誰もいない部屋に向かってそう告げて、俺は玄関の扉を閉めた。


「アニキー! はやくいきましょうよー!」

「幹也くーん! はやくー!」

「ゆくぞ幹也! わらわの水着姿で悩殺してやるから覚悟せい!」


 手すりの向こう側。階下からみんなが急かしてくる。


 しかたない奴らだ。そんなに海が恋しいのかよ。


 ま、俺もだけど。


「いまいく!」


 俺は手すりに手をかけ、いっきに飛び越えた。



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これにて第一章は完結です!

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