第19話

「本当にすまなかった!」


 雨水さんは目を覚ますや否や、道場の床に額をこすりつけた。


「いいんですよ。あといっときますけど、あの動画は演技ですからね?」

「わかっている。雫があんな格好をするはずがないからな」


 わかってくれてるならいいんだ。交際とかなんとかいってたけど、これ以上ややこしいことに巻き込まれるのはごめんだからな。


「これからは真面目に働いてくれるんですよね?」

「ああ、もちろんだ。おかげで目が覚めた。俺にはまだまだ雫のためにやらねばならないことがあるとな」

「だそうだぞ、雫」


 少し離れたところで壁に寄りかかっている雫に問いかける。


 ちょっと不機嫌なのは仕方がない。


 父親が女子高生の推し活をしていることが発覚しただけでもショックなのに、性癖まで知ってしまったのだ。


 俺なら家出するレベルだ。まだここにいるだけでも偉い。


 彼女の口からどんな罵詈雑言が飛び出すかと思っていたら、意外にも彼女は諦めたようなため息をついた。


「はぁ……。お父さんも一人の人間だものね。むしろ完全無欠で立派な人であるほうが不自然なのよね」

「うぐっ……ま、まぁそうなのだが……」


 これまで立派な父親として振舞ってきた雨水さんにとって、雫の失望はかなり堪えるだろう。


 つっても、自業自得だ。


「また立派なお父さんに戻ってくれるのよね?」

「ま、任せろ雫! 俺はこの刃に誓ってギルドもお前たち・・も導いてみせる! 必ずだ!」


 たち?


 たちってどういうことだ?


「あの、雨水さ----」

「そう。なら許してあげる。幹也くんは、そろそろ帰るでしょ? 送るわ」

「お、おう」


 雫はさっさと道場をでていってしまった。


 俺も彼女に背中を追いかける。


 聞きそびれちまったけど、まぁいいか。なんにせよこれで雫の悩みは解決したわけだしな。


 門をでると外は黄昏時。西の空で明けの明星いちばんぼしが瞬いている。


「ここまででいいよ」

「家まで送らなくていいの?」

「そしたらこんどは俺が君を家まで送らなきゃいけなくなるだろ?」


 そういうと雫はくすりと笑った。ずっと仏頂面だったから心配だったけど、杞憂だったみたいだ。


 強い子だな雫は。本当に、尊敬するほど強い。


 今日のことは一生物のトラウマになっても仕方ない騒動だったぞ。


「わたしはそんなに弱くないわよ」

「知ってる。でも俺だって弱くはなかっただろ?」

「そうね、あなたは強いわ。だから一つ提案があるの」

「提案って?」

「わたしたちのギルドに入らない? これは演技なんかじゃなくて、正式なお誘いよ」


 雫は俺の目をまっすぐみてそういった。


「いや、俺は……」

「いますぐ返事をくれなくてもいいわ。これから気が変わることもあるでしょ?」

「それはまぁ、そうだけど……」

「いまはその可能性が聞けただけで十分よ。それじゃ、幹也くん」


 雫は俺の右手を両手で握ると、にこりと微笑んだ。


「またね」

「おう、またな」

「…………」

「…………」


 長くないか、握手。


「…………手、離さないのか?」

「え!? あ、ごめんなさい! つい握り心地が良くて!」


 ぱっと両手を上げる雫。


 握り心地がいいってなんだよ。


―――――――――――――――――――――――――――――


 同時刻、道場内にて。


「うーむ」


 雨水は一人正座しながら顎に生えた無精ひげを撫でていた。


「結婚費用にマイホーム、男女の駆け引きもか……俺が教えるべきことはまだまだ多そうだ!」


 彼は晴れやかな顔で拳を握りしめたのだった。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 アパートに到着。


 今日は疲れた。なんかもう精神的に非常に疲れた。


 時刻は夜の八時すぎ。いまから飯を作る気にもなれないし、今夜はカップ麺でいいにしよう。


 たしか豚骨醤油があったはずだ、なんて考えながら階段を登り終える。


 すると、部屋の前に人影が見えた。


「……なにしてんだお前」

「すぴー」


 見るとそれは鍋を抱えて気持ちよさそうに眠りこけている陽詩だった。


 なんでこいつ、人んちの前で涎垂らして寝てるんだよ。


「おい起きろ」

「あだだだだだ! な、なんじゃあ!?」


 頬をつねりあげると陽詩の奴は飛び起きた。


「あ! 幹也ではないか!」

「なんで人んちの前で寝てるんだお前」

「これを渡すためじゃ!」


 陽詩は抱えていた鍋を差し出してきた。


「なんだこれ?」

「カレーじゃ!」

「いや、中身じゃなくて」


 なんでもってきたのか聞いてるんだよ俺は。


「一生懸命作ったんじゃぞ! いいから受け取るがよい!」

「お、おい……」

「お主、こういうのにぐっとくるんじゃろ?」

「なっ!」


 陽詩は悪戯っぽい笑みを浮かべると、くるりと振り返った。


「感想は明日聞く! またの!」


 ててて、と階段を駆け下りる陽詩。


 手すりから見下ろすと、彼女は一度だけ振り返り投げキッスをして去っていった。


「なんなんだよあいつ……」


 あいつがいってた秘策ってこれのことだろうか。


 まぁ、限りなく正解に近いっちゃ近い。


「ったく……ありがとよ」


 手料理は素直に嬉しかった。


 自炊ができるできないというより、俺のために作ってくれたってところがすごく嬉しい。


 さてさてどんなカレーかな。

 

 俺はうきうきしながら鍋の蓋を開いた。


「なんか黒いな?」


 鍋の中には妙に黒いルーが入っている。


 香りも独特だ。もしかしてスパイスから手作りしたのだろうか。


 だとしたらかなり期待できる味かもしれない。


 さっそく白米といっしょに皿によそってレンジでチン。


 一口頬張ると、強烈な刺激が襲いかかってきた。


「かっら……!」


 陽詩のカレーは尋常じゃないほど辛口だった。


 これ、黒いんじゃない。赤すぎて黒く見えるだけだ。


 嫌がらせで作ったわけじゃないよな……。


 ちょっと食の好みが異次元すぎるというかなんというか、どうやらまだまだ好きになる権利を使う日は遠そうだ。


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