第18話

 三人で屋敷内の道場にやってきた。


「あまり無理はしないで。お父さんは強いわ」

「大丈夫だ。俺も強い。それより、もう落ち着いたか?」

「う、うん……さっきはごめんなさい。やっぱりわたし、ただ男の子にドキドキしてただけ……だと思うの……」


 冷静になってようやく気づいたか。


 惜しい気もするが、これでよかったんだ。うん。 


「いいよ。人間だれだって不器用なところくらいあるもんさ。そうだ、落ち着いてきたついでに親父さんのこともっと教えてくれよ」

「……わかったわ」


 雫は雨水さんのことを語り始めた。


 なんでも雨水さんはもともと剣術道場を開いており、ギルドは片手間だったそうだ。


 けれど人々がダンジョン攻略に注目し始めると同時に道場もギルドも繁盛し、いまでは一財産を築くまでになった。


 もともとこだわりが強い性格だったそうで、剣術においても自身が求める一太刀を求めてきたらしく鍛錬を怠らない。努力は実力に昇華してギルドマスターの名に恥じない実力者となった。


 彼に憧れてギルドに入りたがる人も多かったらしい。


「なんでそんな人が女子高生配信者なんかにはまるんだよ」


 体をほぐしながら尋ねると、雨水さんは正座したまま顔をあげた。


「きっかけはさっきも言った通り妻の死だ。俺はずっと彼女のためだけに剣を振るってきた。彼女を失い、俺は剣を振る理由を失ったのだ。それから雫を育てることに全力を尽くしてきたが、それももう終わる時期が来た。季節が移ろいゆくように、俺もまた次なる奉仕先へ行く時がきただけのこと」


 奥さんとの死別に子離れか。


 俺にはどっちも経験したことがないから、なにが正しいのかなんてわからない。


 だからといって、間違っていることがわからないわけじゃないがな。 


「同情はする。でもだからって、心に空いた穴を推し活で埋めるのはどうかと思うぞ」

「お前になにがわかる! 人は己のためだけに生きることはできん! 誰かを支えて初めて生きる喜びを得ることができるのだ!」

「なら娘を大事にしろよ!」

「雫はもう一人前だ! これからは己の力で人生を切り開かねばならない! 余計な手出しはかえってこの子の人生を狂わせる!」


 いいたいことはわかるさ。俺だって、いきなり異世界を放浪するはめになって初めて生きるってことを理解した。


 それまでの俺はやる気もなくただ毎日を浪費するだけのうんこ製造機だったんだ。


 でも、人間ってほんとは違う。


 人は生きるためにいろんなことをしなきゃならない。いろんな人がいろんな役割を担ってる。


 野菜を作る人がいて、道を作る人がいて、魔王を倒す人がいる。


 みんなが自分の役割を果たすから社会は回って人は生きていける。役割を果たす人がいるから感謝されるし感謝できる。


 お金だとか職種だとかそんなの関係ない。働く人ってのは、だれもがみんな尊敬されて当たり前の存在なんだ。


 そうして社会って奴を知ることができたのは、たった一人で異世界に放り出されたからだ。


 だから雫を突き放そうとする雨水さんの考えもわからないわけじゃない。たしかに世界の尊さを知るにはさっさと自立するべきだろう。


 でも、だとしても、たとえ子供が自立しても、どんなに立派な人になっても、父親は父親なんだぞ。


 辛い時に頼れるはずの人が、この人がいるから安心して前に進めるって人が、よそ見してたら駄目だろ。


「だがマオマオたんは違う! あの子は常に誰かに支えてもらわなければ生きていけないのだ! 目を離すとまるで幼子のようにふらふらとどこかへいってしまう危うさがある! 俺が、いや俺たちが彼女を支えてあげなければならないのだ!」


 俺の思いなんて知るよしもない雨水さんはさらに熱弁する。


 この人がっつり陽詩の客層に合致してるんだよなぁ。


 きっと本来は真面目で面倒見がいい人なんだけど、ちょっと暴走してるっていうか、空回りしてる。


 陽詩だって最初からみんなに支えられていまの配信者としての立場があるわけじゃない。


 ベルンドでの記憶を引きずって、魔力も腕力も弱くなって、それでも必死に頑張って人並み以上の配信者になったはずだ。


 あいつは雨水さんがいうほど弱くない。


 逆に雫は、ちょっと男に触わられただけで好きになったと勘違いするような弱さもある。


 雨水さんが見ている世界は、雨水さんにとって都合がよすぎやしないか。


「いいや、違うね。あんたはただ陽詩に甘えているだけだ」

「なに?」

「あんたは誰かを支えることでしか自分の存在を実感できない。だから、だれでも無条件に好きになっていいと公言する陽詩に惹かれたんだ。支えるのが難しくなった娘をないがしろにして、楽に支えている気分にさせてくれる人にすり寄ったんだよ!」

「きっさまあああああ!」


 雨水さんは刀を抜いて一気に距離を詰めてきた。


 速い。けどよけれないほどじゃない。


「図星をつかれて怒ったのか!?」

「ええい黙れ黙れ! 貴様のようなガキに、他者に身を捧げることの尊さがわかるものか!」

「わかりたくねーよそんなもん!」


 隙をついて胴体に一発、拳を叩きこんだ。


 壁まで吹っ飛ばすつもりだったが、雨水さんは爪先で踏ん張り二メートルほど後退したところでとまった。


 さすがの膂力りょりょくだな。


 騎士団、いや国王近衛兵クラスか。


「やるな……がふっ」


 それでも俺の拳を受けたんだ。ただじゃすまない。


 雨水さんは口から血を吐いて膝をついた。


「俺は誰かに尽くすだけの関係なんか願い下げだ! 尽くして尽くされて! 互いを思いやる関係ってのが理想だと思ってる!」

「甘いわ! この世は常に上と下にわかれている! 上に立つ者の土台となること! たとえ踏みつけられても一生を捧げたいと思う人に尽くすことこそが幸せだ!」

「なら聞くが、あんたの奥さんはあんたを踏みつけてたっていうのかよ!」

「ああ! 毎晩のようにな!」

 

 雨水さんは刀を脇に構えて床を蹴った。


 ……ちょっとまて、いまなんて言った?


「はあああああ! 藤堂流奥義! 水龍縦横無尽剣すいりゅうじゅうおうむじんけん!」


 雨水さんは刀に水を纏わせ、凄まじい速度で振るってくる。


 速さと切れ味が売りの剣術か。


 俺は避けるので精一杯だ。体の端々が切れ、切り裂かれた頬から血が流れる。


 駄目だ、戦いに集中できない。


 俺の耳が正常ならこの人さっき毎晩っていったよな。毎晩って、なんだ。


「どうした十七夜月! 貴様の実力はそんなものかあああああ!」


 毎晩? 毎晩踏みつけられてた?

 

 なんだ。どういう意味だ。考えられるとすれば……いやいや、まさか、そんなわけないよな。だって娘の前だぞ。


 いやでも、他に考えられない。


「トドメだああああああ!」


 黒光りする刃が振り下ろされる。


 脳天をかち割られるその刹那、俺は真剣白刃取りで受け止めた。


「くっ、まさか受け止めるとは!」

「なぁ……ひとつだけ聞いてもいいか……?」

「なんだ!?」

「毎晩踏まれてたって……その……あれか? あの……いわゆる……」


 駄目だ。雨水さんを直視できない。


 人んちの親になにを聞いてるんだ俺は。


「夜の営みだ馬鹿者おおおおおお!」


 雨水さんが叫ぶと、雫がぼそりと「サイテー」と呟くのが聞こえた。


「ただの下ネタじゃねーかああああああああ!」

「ぐはあああああああああああああああああ!」


 俺の渾身のアッパーが雨水さんの顎に直撃した。


 どさり、と床に落下する雨水さん。


「ぐっ……まさか負けるとは……」


 床の上でもがいている雨水さんに、俺はびしりと人差し指をつきつける。


「推し活という沼に足をとられたあんたじゃ、俺には勝てないぜ!」

「む、無念……」


 雨水さんは白目を向いて大の字に倒れた。


 それっぽいこともいったし綺麗にまとまったな。うん。


 ただまぁ、あれだな。


 人様の家庭問題に首をつっこむのはもうやめよう。


 知りたくないこととか知っちゃうし。

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