先輩がコンビニに行った

在都夢

先輩がコンビニに行った


 三原先輩の家にゲームやりにきたのに、肝心の先輩がお菓子用意するの忘れてたとか何とか言って部屋から出ていってしまって、あっちゃんさんと同じ部屋に残されて困る。どうしようかな?

 あっちゃんさんは私と同じく先輩の後輩だけど、歳上で、先輩が間にいないと集まることもしない。

 話しかけよっかな? と気まずい時間を過ごしていると唐突にあっちゃんさんが、「先輩さ、こういうとこあるよね」と言い出す。

 私は勢いに任せて頷く。

「わかる。わかります」

「だよなあ」

 と、あっちゃんさんが薄い眉を吊り上げて笑う。私も笑う。

 そんな感じで心と心が通じ合ったと思っていると「この前もさあ、誕生日にケーキ作ってくれようとしてくれたんだけどさ」といきなりあっちゃんさんのエピソードトークが始まってビビる。あんまり私をビビらせないで欲しい。

「先輩、ケーキを作るのは初めてみたいだったから、とりあえず練習しようとしたみたいなんよ。私の誕生日の一ヶ月前からケーキ作りの練習始めて、大学から家帰ったら一日中練習して、それなりに上手く作れるようになったみたいでさ。試食してもらった人にも好評だったんだよ。でもわかるだろ? 先輩ってポンコツじゃん? だから当然上手くいかないんだ。私が食べたのはあんまり美味しくないケーキで、パサパサして味にまとまりがなくて見た目もちょっと汚くて————というか逆に美味しいって言ったら先輩自身が泣いちゃうような出来だったんだよ」

 とあっちゃんさんがタメを作り、

「どうしてそうなったと思う?」

「ちょっとわからないですね」

 本当は心当たりがあったけれど、そう答える。あっちゃんさんが答えを言いたくてうずうずしてたからだ。あっちゃんさんはここぞとばかりに声を張り上げ、

「先輩は緊張しちゃったんだよ! 私に美味しいケーキを食べてもらいたいって気を張り過ぎて、いつも通りのやり方をできなくて、失敗したんだよ! わかるよな?」

 わかる。

 先輩は基本的にはまともだけど、そのまともさを発揮できる機会はそうそうない。先輩はいつも緊張している。悪い人ではないんだけど、その緊張のせいで悪いことを起こすし大事なことを言い忘れる。

「だからさ、今日のもさ、先輩すっごく緊張しちゃったんだよな」

 しみじみとあっちゃんさんが頷く。

「でもそこが可愛くないですか?」と私が言う。

「まあね」

 共感してくれて嬉しい。

 先輩がただポンコツなだけだったら、後輩としてついて来ていない。先輩はぷにっと丸いけれど太っているほどでもなくて、ハグすると抱き心地が良い。顔も可愛い。その上でポンコツなのが良い。

 と感慨に浸っているとあっちゃんさんが「先輩遅いな」と言う。

 時計を見ると部屋を出てから三十分は経っている。先輩の暮らすアパートからすぐ近くにコンビニがあったはずだけど。

 またポンコツ発揮してしまったんだろうか?

「ちょっと私見て来ますよ」

「ちょい待ち」とあっちゃんさんが私を止める。「行く前にさ、スマホで連絡してみようよ。ほら? 先輩迎えに行ったら、情けない姿見せたって泣いちゃうかもじゃん?」

「まあそうですね」

 ということで先輩にかける。先輩は意外にもすぐに出る。

『もしもし』

「先輩今どこですか?」

『セブンにいるよ』

 うん? 確かにセブンの音が聞こえる。

『レジが混んでてなかなか終わらないの』

「はあ、そうですか」

 レジ? 三十分も待つことなんてあるんだろうか?

『全部のレジで会計が終わらないみたいなんだ』

「全部のレジで? 何ですかそれ? 何かの手続きとかしてるんですか」

『違くて普通に買い物してるだけだよ』

 私はあっちゃんさんと視線を合わせる。あっちゃんさんは肩をすくめる。先輩はポンコツしたけどそれを私たちにバレたくないために嘘をついているんだろう。全く先輩は。

「別のコンビニ行ったらどうですか? ほらファミマとかちょっと先にありますよね」

『いや、でも次が私なの』

 先輩は頑なだった。

「じゃあその前の人たち、そんな三十分も何買おうとしてるんですか?」

『うーん。普通にお弁当とかだけど………………え? 今なんて言ったの?』

「え?」と私は言う。「何って? そのレジ占領してる人たちが何を買ってるかについてですけど」

『三十分って言った?』

 先輩の声が震えている。それを聞いて私はまさかと思う。まさか先輩は三十分も過ぎたことに気づいていなかったのだろうか? いやいやいくら先輩がポンコツだからといって、時間感覚を喪失することは流石にない。先輩はやらかすことはあるけれど、失敗には自分で気づける人なのだ。

『三十分……』

 と先輩の独り言のような声がスマホから響く。

「何かあったのかな先輩……」私の横であっちゃんさんが言う。

 何かはあっただろう。なきゃおかしい。先輩は意味不明な嘘なんて言わない。

「迎えに行くか?」

「はい。ちょっとこれは……」と言う途中で先輩が『私三十分もここにいないよ』と言うので私たちは固まってしまう。

「いや、三十分過ぎてますけど」

『こっちじゃ一分も経っていないの』

「……はい?」

『時計全然動いていないの』

「はあ」

『だから一分も経ってないんだって』

「……わかってますよ。一分も経ってないんですね?」

『どうしてこうなっちゃってるんだろう……』

 先輩は心底不安そうに言うけど、朴訥な口調のせいで何処かとぼけたような感じになってしまっている。

 私は先輩にちょっと待ってくださいと言って、あっちゃんさんと話し合う。

「何ですかこれ。先輩、時の止まった世界にでも行ってしまったんですか?」

「みたいだな……って言ってもわけ分からんけど」

 私はは眉根を揉みほぐして、スマホをポケットに入れる。

「とりあえずセブンに行って来ますね」

 と言って、出て行こうとしたらあっちゃんさんに引き止められる。

「待てって。先輩が本当にそこにいるかどうかわからねえじゃん。時が止まった世界が何なのか知らないけどさ、普通そういうのって現実とは違う場所にある感じじゃん? つーか実際に時が止まってるとしたら、私たちにも影響出てないとおかしいし」

 あっちゃんさんが意外によく考えていた。というか考えてないのは私だった。

 まあだけど、とにかく行動を先にしないといけない。行ってみたら案外普通に先輩いたりして。

 と思っていると先輩が

『びじゅん!』

 びじゅん?

 嫌な汗が垂れる。

「先輩!」

『お天気模様の空飴が、ワタクシ後藤に貫きます』

 それは先輩の声だったけれど、抑揚がデタラメで、インコの声真似みたいだった。

「せ、先輩……?」

『軟観音と訊かれれば、口からタワシを飲み込みます。水疱瘡の書き方を、昆布に巻いて無効にしてから伸びてく順位におはよして、一昨日日和に暮らしを突き立て、はんぺん回りに建設よ』

 わけの分からない言葉の羅列を聞くうちに視界が回り始める。気持ちが悪い。耐えきれなくて私は床にゲロを吐いた。でも手は接着されたみたいにスマホから離れなくて先輩の声を聞き続けている。先輩の声は質量と形を持って私の胃の中を掻きむしり、吐き気をもたらしている。

『議長の住まいに漆売り、十日干して——』

「やめろ!」

 とあっちゃんさんが私からスマホを奪い取ると、電源を消して投げ捨てた。

「先輩が……」

 上目遣いで見上げるとあっちゃんさんの息も荒かった。彼女は荒い息のまま台所から包丁を持ってきて、部屋から出て行こうとした。

「ここで待ってろ」

「私も……」と腕を伸ばすけど、体に力が入らず倒れてしまう。

「馬鹿、そんな状態で行けねえだろ」

 あっちゃんさんはまたしても冷静だった。

「お前はここで待機して、警察をあのコンビニに呼ぶんだ。いいな?」

「はい……」

「頼んだぞ」

 と言ってあっちゃんさんはあっさり出て行った。

 残った私は這いずるようにしてスマホに辿り着き、通報した。

 それから壁に寄りかかり長く息を吐いた。気持ち悪さはマシになっていた。でも今度は手が震えてくる。先輩は大丈夫だろうか? それに先輩を助けにいったあっちゃんさんだってうまく行くんだろうか? 二人ともどうなっちゃうんだろうか? 

 私が不安に震えているとスマホが鳴る。あっちゃんさんからだ。

『セブン着いた』

「ど、どうですか?」

『外からじゃ詳しいことは分からない。でも窓から見る感じだとレジの店員も、並んでる客も普通っぽい』

「先輩はどうなったんですか?」

『分からん……棚に隠れて見えない』

「棚……」

『警察には連絡したんだよな?』

「はい。でも私たちは動いちゃいけないって……」

『行くしかねえな』とあっちゃんさんが言う。『何もなかったらそれでいいんだ。でも結局、行かなきゃ確かめられないし、警察待ってたら手遅れになるかもしれねえ』

「……気をつけてください」

『わかってるよ。先輩を助けるのが目的なんだから……通話はそのままにするぞ。変な声聞こえたら、すぐに切れよな』

 とあっちゃんさんが言うと、自動ドアの開閉音がした。

 コンビニに入ったんだ。

 あっちゃんさんが息を呑むのが聞こえた。

『ここ地獄だ』

 その瞬間、耳を何か生温かいものに舐められて、私はスマホを落としてしまう。

 床で何バウンドかして画面にヒビが入ったスマホから、あっちゃんさんの声が、最大音量で響く。

『やめてください……お願いします……勘弁してください……』

 さっきまであったコンビニの雑音は一切聞こえなくて、あっちゃんさんの懇願の声だけが聞こえる。

『ううううううううううううう』

 私は二人の先輩を助けに行かなきゃと思うけれど、そのまま動くことができない。


 あっちゃんさんの言葉が私を冒す声に変わっていく。


 





 






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