1-2|出会いと喪失
ここは学園都市スカラロポリス。エールマーレ大陸の東の海に面しており、名前の通り多くの学校がある。その学校のうちの一つである魔剣士学園に通う一人である黒髪・長身の男、オーウェン・リーが朝の走り込みをしている。
彼は学校指定の運動着を着用して、雨が降ろうと、雪が降ろうと、風が強かろうと毎朝走り込みをしていた。
朝の走り込みで最後に向かうのは、スカラロポリスの東端にある砂浜だ。走り込みで疲れた脚を、走りづらい砂地でさらに追い込むことで負荷をかけ、走力ないし体力の向上に努めているのだ。
この日もいつもと同じように砂浜にやってきていた。オーウェンは、気持ちよく頬を撫でる潮風に満足そうな表情をしながら、ラストスパートとして砂浜をかけていく。
太陽が水平線から半分顔を出している。雲が空を悠々と飛んでいる。ずっと続いているかのような薄黄色の砂浜。その上にはずぶ濡れの少女が一人、倒れている。いつもと変わらない砂浜の景色。
「…女の子!?」
いつもと変わらない砂浜に、いつもとは違う異物が混入していた。オーウェンは少女が倒れていることに気が付いた。いつもと変わらない砂浜に普段は絶対にいないはずの少女が倒れていた。
オーウェンは息を切らしながら少女に近づく。
「ねえ、キミ!大丈夫!?こんなところで寝てると風邪ひくよ!?」
少女は目を覚まさない。オーウェンが少女をよく見てみると、着ていた白色のワンピースも、亜麻色のきれいで長い髪もまるでそのまま海に飛び込んだかのようにずぶ濡れだった。
「ねえ、キミ!起きてってば!なんでそんなに濡れているの!?」
オーウェンが少女を揺り起こしても全く起きる気配がない。
「学校の医務室まで連れていくか…。」
オーウェンは全く起きる気配の無い少女をよっこいしょと背中に負うと、学校までの道を歩き出した。
* * *
少女は夢を見ていた。少女は海が見える丘の上の木の下で誰かの膝の上に頭を乗せて眠っている。ふと目を開けると、顔がはっきりしない女性の顔が見えた。その女性は少女の髪を手ですきながら、ゆったりと微笑んでいた。それを見て、少女は女性に微笑み返す。
急に空が暗くなった。全ての光を飲まんとするかのように雲は渦を巻き、強烈な嵐になった。暴風がすべてを吹き飛ばそうとし、空には雷がその威容を轟かし、海には大波が大量にでき島をのみ込もうとしている。
少女は逃げ出した。どこまでも遠く、遠く逃げられるように。
しかし、少女は逃げることができなかった。島を取り囲むように大波が島を襲ったからである。
少女は脚に力が入らなくなってしまい、ペタンとすわりこんでしまった。
波はそんな少女のことなどお構いなしに迫ってくる。やがて波は島もろとも少女を飲みこもうとした。
「ひっっ!!」
少女は目を覚ました。今見ていた夢があまりにも具体的だったからだろうか。額には脂汗が浮いている。
少女は起き上がって周りを見回す。ここはどこだろうか。
「…倒れていて、それでここまで連れてきたんですよ。」
「そうだったのね。昨日の嵐に巻き込まれたのかしらね。」
扉の向こうから話し声が聞こえる。そして、扉がキィ、と音を立てて開いた。
「あら、目を覚ましたのね。オーウェン君、彼女、目を覚ましたみたいよ。」
「本当ですか、エマ先生!」
バタバタと音を立てながら、エマと呼ばれた女性とオーウェンと呼ばれた少年が部屋へ入ってくる。
「助かって良かった〜!キミ、体は何ともないかい?」
「はい、なんともないです。」
少年が安心したように息を吐く。少年の質問に少女は簡潔に答えた。
少女が回答したのを聞いて、オーウェンは自己紹介を始めた。
「よし!俺の名前はオーウェン。オーウェン・リーだ。キミの名前は?」
「オーウェン…。私の名前はイリス・オルティス。」
「イリスっていうのか。よろしくな、イリス!」
「ええ。」
オーウェンはニコッと笑うと、イリスが座っているベッドのふちに座った。
「それじゃあ、後は若い二人に任せて、私は自分の仕事をしてくるわね。」
「処置していただいてありがとうございました!エマ先生!」
エマがひらひらと手を振って部屋から出ていった。
「さて、いくつか質問があるんだが、答えてくれるか?」
「答えられることなら。」
「よし、じゃあ、今日砂浜にずぶぬれで倒れていたわけだけど、昨日は何があったんだ?」
「昨日かはわからないけど、太陽教団の船に乗って…あれ?」
イリスは太陽教団の船に乗って、エールマーレ大陸のどこかに行くつもりだったのだが、自分がどこからきてどこへ行こうとしていたのか、全く思い出せなかった。
オーウェンはイリスの様子を見ていぶかしげに様子をうかがう。
「太陽教団の船に乗ってどこかに行こうとしていたのだけれど、そこで嵐に遭ったわ。」
オーウェンは納得した様子で会話をつなぐ。
「そっか、やっぱり嵐に遭ったんだな。それで、どこかに行こうとしていた、っていうのはどういうことだ?」
「思い出せないの。私がどこからきて、エールマーレ大陸のどこに行こうとしていたのかが。」
イリスは、ベッドの自分の膝があるあたりをじっと見つめながら思い出そうとするが、全く思い出せない。
「思い出せないっていうのは、言いたくないってことか?」
「いえ、言葉通り本当に思い出せないの。」
オーウェンは、思い出せない、というイリスの言葉が信じられないことを隠さずに伝えた。しかし、イリスは本当のことを言っているので、それ以上何も言えることがない。
オーウェンはそのことについては諦めたようだった。オーウェンは次の質問に入る。
「そっか、思い出せないなら仕方ないよな。なら次の質問だ。キミの出身はどこだ?」
「私は…あれ?どこの出身なの?何も思い出せない。」
「なんだって!?」
「どこで生まれ育ったのか、親が誰だったのかが全く思い出せないの…!」
イリスの顔には驚愕がありありと現れていた。
オーウェンも信じられないという表情でイリスの方を向いたが、嘘をついているようには思えなかったので、嘘をついていることを疑うのを止める。
「ってことは、イリス。キミは記憶喪失になってしまったってことかな?」
「でも、故郷や親のことだけ忘れてしまう記憶喪失なんてあるのかしら!?」
「確かに…そうかもしれないけど、記憶喪失であることには変わらないんじゃないかな?」
「っ…!!」
イリスは焦燥感に苛まれて思わず感情的に返してしまう。オーウェンはその勢いに少し驚いたものの、困った表情をして一般的には正しいと思えることを返答として返す。
忘れてしまった情報が限定的ではあるものの、記憶喪失であることに違いはない。なぜ故郷や親のことをすべて忘れてしまったのか。イリスには全く覚えがなかった。
落ち込んだ表情をしているイリスを察してか、オーウェンはイリスを励ますように明るい表情をして向き合った。
「まあ、忘れてしまったものはしょうがないよ。でもたぶん、キミはこの街の出身ではないだろうから、俺がこの街を案内するよ。」
「そう…ね。お願いするわ。」
オーウェンはイリスの手を引いて部屋を出た。オーウェンとイリスは医務室で仕事をしていたエマに再び感謝を告げて、スカラロポリスの街に繰り出したのである。
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