112話 オオエドパンツァー

【 ナユタ視点 】



 落ちる夢を見た。



 軍にいた頃の俺は、軍用のヘリコプターから降下訓練を行おうとしていた。


扉が開いたヘリコプターの下には汚いオオエドシティのスモッグが広がっていて、その上にはどこまでも青く無機質な空が広がっていた。


 思わず自分の体を抱く。


震える足の振動がハーネスに伝わり、俺をさらに不安にさせた。


 俺の肩に重い手が乗る。


「ビビってんのか?」


 俺は自分の後ろから声をかけた男に言う。


「むしろ新兵でこれをビビらない奴の方が……どうかしてるだろ?」


 俺は振り向く。ブルーの短髪でグリーンの瞳の男が居た。


彼は笑って答える。


誰か・・に聞いたコツを教えてやろうか?」


俺は訝しむ。


「『コツ』だって……?

 こんなことにコツなんてあるのか?」


「まあ……そんな顔するな。

 大した事ない簡単なコツなんだ……」


 余裕があるのか無いのか、あるいは……何かを諦めているのか……ショーリは降下訓練中、恐怖のそぶりをわずかにも見せなかった。


 ショーリは続ける。


「こういった恐怖を克服するコツは……

自分が置かれた状況を正確に認識することだそうだ」


 思わずオウムがえしをした。


「置かれた状況を認識する……だって?」


「そう。現実を認識するんだ。

お前は今、上空600mに位置するヘリコプターに乗っていて、そこから身を投げて落ちようとしているわけだが……

その事を正確に認識するんだ」


「いや、待ってくれ。

 余計に恐怖が湧き上がってきたんだが?」


「だからさ?最後まで聞けよ。

 ともかくナユタ……お前はそんな死に向かうような事をするわけだが……幸いなことに、この行為には前例がある。それにこれは“訓練“だ。

 死ぬ可能性はかなり低い」


「ま、まあ……それはそうだが……」


「そしてお前の体には、落下を和らげる為のハーネスやパラシュートが装備されている。

 それらを目的の高度で開くことが出来れば……まあ、万一も死ぬことは無いよな?」


「でも……パラシュートが開かなかったら……?」


「心配なら、もう一度装備の点検をしたらどうだ?」


「だがもし……俺が途中で気を失ったら?

恐怖ですくんで……パラシュートの操作を誤ったら?」


「はは。

その場合は、仕方がないな?

 地面に衝突して死んでしまうかもしれない。

しかし俺はお前がそこまでマヌケだとは思わない。

 それに俺は、“信じて“いるんだ……」


「信じている……だって?

 神か何かか?」


「ははは……。

今のオオエドに神なんて居ないさ。

それについては、お前もよく知ってるだろ?

 ……俺が信じてるのは……お前の土壇場の強さだ」


「俺の……“土壇場の強さ“だって?」


「ああ……。

 お前は『やる時はやる』人間だ。

 それだけは……俺は信じている」


「『やる時にはやる』……か……。

なんか……できそこないの子供を励ましているみたいセリフだな……」


「はは……。

それはそうかもしれないが……

ともかく少しは、納得してくれたか?」


「ショーリのその笑顔が……なんとなくムカつきはするが……。

 多少は納得したかもしれない……」


 俺のその言葉を聞いたショーリは、さらに笑った。


 そして彼は笑ったまま言う。


「俺は先に行っている。

下でもう一度会おう。ナユタ」


そう言ったショーリはパラシュートを担ぎ直し、オオエドシティの空に消えていった。



———

——



 風を切る音が、俺の耳を覆っていた。


 激しく揺れるまげが、俺の裸の背中を叩いていた。


 やかましすぎる風の音の中、かすかに声が聞こえる。


「ナユタさんっっっ!!!!!」


 その声が俺の意識を電脳に繋げさせた。


 そして女の子の声がもう一度、言う。


「ナユタさんッッッ!!!!!」


 懐かしさすら感じるその声のぬしの名を、つぶやく。


「シノブ……」


 俺は目を開けた。


 澄み切った青過ぎる空の中で、俺に向かって手を伸ばすセミロングの美少女の姿が映った。


 だから俺はもう一度、その女の子の名を呼んだ。


「……シノブ……」


 笑顔になったシノブの瞳から大粒の涙がこぼれた。


涙は丸く小さなプリズムになり、青の光を虹色に変えた。


 繊細な右手を大きく広げたシノブは、嬉しそうな笑顔で俺の名を何度も呼ぶ。


「ナユタさん!ナユタさん!!ナユタさん!!!」


 涙を天に向かって上昇させ続けるシノブが、手を伸ばす。


 俺も手を伸ばす。


二人の距離が近づく。


俺たちの中指が触れそうになる。


が……しかし、届かない。


 だから、俺は千切れんばかりに腕を伸ばす。


声があふれ出た。


「シノブッッッ!!!!!!」


 彼女が泣き笑って、それに答える。


「ナユタさん!!!!!!!」


 落下を続ける俺たちの間を空気が流れ、白い雲を引いた。


 俺は、さらに右手を伸ばす。


風に負けないように腕を真っ直ぐと突き出す。


 シノブの中指の爪が光を反射した。


俺は叫ぶ。


「シノブッ!シノブッッッッッッ!!!!!」


 ついに俺の人差し指が、シノブの中指をとらえる。


「シノブッッッッッッ!!!!!」

「ナユタさん!!!」


 俺は死の物狂いで彼女の手に指をからめる。


強引に引っ張る。


「いッ!!!」


 シノブの顔が苦痛に歪んだ。


しかし俺は彼女の体を一気に引き寄せた。


俺の胸に彼女の剥き出しの胸が、衝突した。


 肋骨と肋骨がぶつかる音が聞こえそうだった。


シノブは咳き込みながらも、俺の腕の中で笑う。


「ごほっ……ごほっ!!

あはは!!

ら、乱暴過ぎます!!ナユタさん!!!」


 そんなことも構わず、俺は片腕で彼女の体をさらに強く抱きしめる。


 「んっ!!」とシノブが声を漏らした。


柔らかい小さな彼女の上半身が俺の腕で壊れそうだったが……しかし俺はできる限りの力でシノブを抱きしめた。


 安堵とともに、俺の中で何かが壊れたような音がした。


今まで感じたことが無いほどに、心が暖かい物で満たされる。


 そしてずっとうまく言えなかった言葉を吐き出す……


シノブが俺から離れないように……

シノブが俺を忘れないように……

そして何よりもシノブのことが欲しくて……俺は腹の底から唸るように、吠えた。


「愛してるっ!!!

シノブ!!

 俺は心のそこから!!!

君のことを!!!

愛しているんだッッッ!!!」


 シノブの震えが、肌から伝わった。


 彼女の熱い息遣いが、俺の耳を掠めた。


 甘い恥ずかしげな声が、右耳から聞こえる。


「はい……私もです。ナユタさん」


 俺は続ける。


「もう離れたくない!!

 君がどう思うが、みんながどう思うが知ったことか!!!

 俺はシノブを離したくないっ!!!

だから、俺は何度だって言う!!!!

 俺はシノブを愛している!!!!

愛しているんだ俺は、君を!!!!

 この宇宙で最も俺が!!!!

シノブのことを愛しているんだっ!!!!」


 シノブの胸が震えて、俺の鼓膜を揺らす。


「私もです!!ナユタさんっ!!!!!

 私もナユタさんのこと、愛しているんですっ!!!!!」


 オオエドシティの青い光が、俺の目の前を流れていた。


 シノブの涙はさらに量を増して、俺の髪も濡らしていた。


彼女の肩に俺の髪が張り付いていた。


 風切り音はやかましく、晩春の空気はやはり身を刺すほどに冷たかったが……そんなことは全く気にはならなかった。


重なったシノブの柔らかい胸から体温が伝わり、シノブの鼓動が俺の体を優しく包み込んだ。


 俺は少し彼女から離れる。


その瞬間シノブが両手で、俺の腰を強く抱いた。


 彼女の少しの動揺が肌を通して伝わった。


 しかし俺は微笑んでシノブを安心させる。


涙を浮かべたままのシノブだったが……俺につられて微笑んだ。


 俺は少し赤くなった彼女のグリーンの瞳と、視線を交わらせた。


 濡れて揺れる彼女の瞳はどこまでも透明で、宝石のように美しかった。


そしてシノブが口を開いて声を漏らす。


「ナユタさん……」


 俺は彼女のピンク色の滑らかな唇を見る。


 半開きになったシノブの唇は、あきらかに俺を求めていた。


しかし俺は、あえて冷静な声で彼女に告げる。


「待ってほしい……。

 もう一つだ……もう一つ……決着をつけないといけないことがある」


 寂しそうな表情を浮かべたシノブは言う。


「もう一つ……?」


 俺は冷静な表情のまま答える。


「ああ。もう一つだ……。

俺達には『もう一つ』……ぶっ壊さないといけない物がある……」


 そう言った俺は、シノブから目をそらして足元を睨んだ。


そこにはお馴染みのグレイで汚すぎる、オオエドシティを取り巻くスモッグがあった。



 あるいは俺がこれから行うことについて……お前達ですらこう思うかもしれない……


「そんなことしても無駄だって」とか、

「そもそも意味無いんじゃないか?」とか、

「アホすぎて呆れる」とか……って……。


 もちろん俺だってそう思う。


普段の俺だったら、絶対にこんな事はしない。


 だがしかしこの時の俺は、完全に頭がおかしかったし……異常な興奮状態にあったわけだし……何よりも俺は……右腕で抱いたシノブのことが、いとしくてたまらなかったんだ。


 だから……たまには良いだろ??


 普段は絶対に言わないような……フザケたことをのたまっても・・・・・・……さ……?



 ……ともかく『最高にハイってヤツ』になってしまっていた俺は叫ぶ。


右腕でシノブを抱いたままスモッグに向かって、喉が枯れんばかり叫んでしまう。


それは、俺の魂の叫びって言うか……まあ……「気まぐれ」とでも思ってもらえれば嬉しい。



「おい!!!お前ら聞いてるか!!!

 そうだ『お前ら』だ!!!

EQの配信か、北奉行所の配信か……なんか分からんが……とにかくどっかで『見てる』お前らに、俺は言っている!!!


 最初に言いたいのは、『フザケるな』って言いたい!!!!

命を散らしながら戦っている女の子を見て何が楽しいんだ????

歯を食いしばりながら生きてる人間を見て何が楽しいんだ????

 俺はそんなのはもう見たくない!!!!

そんなのは戦争で嫌ってほど見た!!!

 いや、むしろそんなのはオオエドシティの路上で繰り広げられている日常じゃ無いのか????

 だから俺はお前達にもう一度言いたい、『フザケるな』ってな????


 そして次に俺がお前達に言いたいことは、俺が今抱いているのが……この世界で最も!身も心も美しい女の子ってことだ!!!!


俺はこの子の為に命を捨てても良いって思っているし……この子の為になら、来世だって捨てたって良い!!!


なぜなら俺は、この月影シノブを愛しているからだっ!!!


俺の『二次元と三次元を超えた次元の向こう側に存在するレベルの推し』は、この月影シノブだからだ!!!


 だから!最後にお前達に俺が言いたいことは……


俺のこの担当アイドルである世界一美しい月影シノブを、『お前達の命が尽きるまで推せ』ってことだ!!!!!


フザケたEQの配信や腐り切った北奉行所の配信を見て時間を浪費して、奴らの広告収益になるぐらいなら!!!!

俺の『最強の嫁』である月影シノブを推せ!!!!!


シノブの愛に触れろ!!!!


そしてお前達のその腐った根性を浄化しろ!!!!!!


 ただ一つだけ残念な事は、この宇宙一美しい女が俺に惚れてしまっていることだが……


だがしかし!!!


そんな事はお前達に関係無いだろ???


そんな事はピコレベルのくだらなさ過ぎる問題だろ???


なぜならこの世で推すべきアイドルは、この月影シノブたった一人だけだからだっ!!!!


なぜなら身も心も美少女である月影シノブは、世界一で!!


いや、宇宙一で!!!


じゃ無くて!銀河も超えて!!!


末法まっぽうが訪れてもっ!!!!!


天上天下てんじょうてんげ!!!!!唯我独尊ゆいがどくそん!!!!


さいっっっきょぅうううの美少女だからだッッッ!!!!!」


 ……そう叫び終わった俺の息は、激しくきれていた。


叫びながらも俺は、シノブを抱いたままオオエドシティの空の中を落ち続けていた。


今まで生きた中で最も大きな声で叫んだ俺の体は、熱くなり過ぎて全身が汗まみれになっていた。


 急に狂ったように叫ぶ俺を見ていたシノブが唖然としていたので、俺は「あ?引かれた?」と思ったが……まりが転がるような心地良いシノブの笑い声で救われた。


「あはははははははははは。

 ナユタさん……。

何を言い出すのかと思えば……

 ふふふふふふ。

そんなことをみんなの前で暴露しちゃったら……私これから、アイドルなんて出来なくなっちゃいます……」


 心の底から笑うシノブの表情で俺のココロは満たされた。


こんなに可憐で美しい女の子っているんだろうか?


 いや、やっぱ……いないな……。


だから俺は、無邪気に笑うシノブの顎に手を添えた。


 シノブが不意に笑いを止める。


「ナユタさん……?」


 色んな種類の涙で濡れてしまったシノブの顔だったが……しかし彼女は薄紫のセミロングを揺らして、俺を見て微笑む。


「次は……なんですか?

また変なこと言うんですか?」


 俺はシノブの瞳と視線を真っ直ぐ合わせる。


 シノブが微笑みながらも少し動揺したような表情を作る。


 俺は自分の顔を、可愛い顔に近づけ続けながら言う。


「さすがのシノブでも……次に俺が何をするかぐらい分かるだろ?」


 照れて少し顔を染めたシノブだったが、しかし潤んだ目はそらさなかった。


「ナ、ナユタさんがしたいこと……そ、それは……分かってはいるんですが……。

なんと言うか……その……」


 俺はシノブの腰を右腕で強く抱く。


「『その』……?」


「その……ナユタさんの『それ』が……凄い感じで、私のお腹を押し返してくるんですけど……」


 俺はさらにシノブの唇に近づく。


「……当たり前だろ?」


 ちょっと慌てたような可愛い声が聞こえる。


「あ、当たり前なんですか?」


「ああ。あたりまえだ。

俺は変態だし……」


 笑ったシノブの震えが伝わる。


「あ。ついに認めるんですね?

 ナユタさんが変態ってこと?」


 俺は恥ずかしがるシノブの唇に近づく。


「ああ。変態だ。

俺はちゃんとした変態だ。

 だから訳のわからない事を叫ぶし、下半身を硬くしている。

 しかしそんな事、問題ないだろ?

だって……この世でもっとも愛する女を抱いてるんだから……」


 シノブのピンクの唇が開いた。


「ナユタさん……」


 俺も彼女の名を呼ぶ。


「シノブ……」


 そう言いながら俺はゆっくりと、シノブの唇と自分の唇を合わせた……。



———


———


———



 もちろん後になってから知った事なんだが……


この時の俺達の様子はなぜか配信に乗っていたらしく、俺とシノブの「初ちゅー」は全世界同時生配信されてしまった。


 そしてその事により、シノブはもちろんのこと、俺までもがオオエドシティで一躍有名人になったしまったわけだが……


さらには俺に、不名誉な二つ名まで付いてしまった。


 その二つ名は……「オオエドのパンツ職人オオエドパンツァー」という、常軌を逸するほどに恥ずかしい物だった。


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