93話 美人AIは電子の枯山水で淫らな夢を見るか?

【兎魅ナナ視点】


 暗闇の中のあちきの網膜ディスプレイに、アラートが表示される。


【 !! 視覚素子をオーバークロック中、光量にご注意下さい。

光受容限界を超えると視覚素子が爆発四散します!! 】


 走るあちきの足元でバシャバシャと汚水が跳ね上がる。


ミニ丈着物もパンツもびしょびしょになって気持ち悪いけど、それどころじゃない。


 緑色のロン毛のBASARAが、続けてあちきに警告する。


「ナナちゃん!

絶対に引き返した方が良い!!

あの屋敷なら、トマホークミサイルでも防衛できる」


「あちきばっかり、安全な本丸シェルターに立て篭っている訳にはいかないよ!!」


「そんなに心配なのか??

 ナユタって男が?」


 ホログラムで浮かぶBASARAの顔を見て、あちきはいたずら笑いをする。


「妬いた?(喜)」


「いつも言ってるが……

感情の無い俺様が、妬くはずがねぇだろ?」


 胸に不快に張り付いたピンクのドリルツインテールを右手で払って、あちきは前を向いて言う。


「あちきだって、本当は会ってみたいよ?

リアルのナユタちゃんに……。

 でもさ?

そうは、いかないじゃん。

 ナユタちゃんが電脳シナプスを燃やしながら必死で戦っているのに、あちきだけお姫様みたいに屋敷に立て籠ってるのは、ちょっと違うじゃん。

 あのままじゃ……花魁じゃ無いし、何よりも“兎魅ナナ“じゃ無いんだよ?」


「あれか……?

 好きな男の為に命を掛ける……みたいな古典芸能か?」


「“心中物“ってやつ??

……それだったら、良かったんだけど……。

あちきの場合は、ただの無駄死むだじにになっちゃうかもしれないし……

 何よりあちきのピュアピュアな想い……誰にも知られずに終わっちゃうかもしれないしね(苦笑)」


 ちょっとだけ寂しい顔をして走るあちきの横で、浮いたBASARAはまじめな顔で言う。


「……その点は、安心して良い。

ナナちゃんの記録は、俺様の量子コアの中で永遠に残るからな」


「あれ(喜)?

 その顔……やっぱBASARA、まだあちきのこと好きなの(悦)??

 でも、ごめんね。

あちきのリアルでの初体験は、ナユタちゃんでってもう決めちゃったんだ(ぴょん)」


 BASARAは笑う。


「だから言ってんだろ??

『好き』がわからねえってさ?

 俺様は使用者の為に働いているだけで、心の中は空っぽなんだぜ?」


「ふふ。それを決めるのは使用者のあちきだよ?

 だって、BASARAはAI憲章で決められているんでしょ?使用者の命令には絶対服従って?

 だからBASARAは、あちきの事が好きで仕方ないんだよ(嬉)。

これは、あちきの命令だから絶対に守ってね??(兎)」


 BASARAは肩をすくめて言う。


「はいはい。

分かったよ。まったく……。

俺様の“ご主人様“は強引で変な花魁だな……。

……ん?……

……止まれ!!!

ナナちゃん!!!!」


 BASARAの真剣な声に、あちきは走る脚に急ブレーキを掛ける。


濡れたハイヒール雪駄せったの鼻緒が足の指の間に食い込んで、軋んだ。


「敵??」


「ああ……どうやら、EQの野郎……。

俺たちのこの行動も、予測済みなのかも知れないな……」


 そして暗がりの中から、「居たぞ!兎魅ナナだ!可愛い過ぎ!!!」「殺すな!確保しろ!エロ過ぎ!!」という男達の声が聞こえてくる。


「敵は三人だ。おそらく人間のヒラ社員だな。

 どうする?ナナちゃん??

コンバットモードを起動するか??」


「大丈夫だよBASARA。

今日は電脳戦扇サイバーセンスは、使わないから……」


「じゃあ、どうするんだ??

 敵はマシンガンで武装しているぞ??」


「あちき……。

ナユタちゃんと“繋がった“お陰で、分かったんだ。

 この電脳の使い方……」


 そう言って、あちきは三人の男の目の前で仁王立ちになる。


 リーダー格の男の嘲笑が聞こえる。


「フハハ!!楯突くつもりか??

知っているぞ?

貴様のBASARAは戦闘用じゃ無い。

 我々の最新鋭の汎用戦闘AI“PANDA“に叶うはずが無かろう!!大人しく捕縛されることだな!!

 そして、ちょっとだけ……ちょっとだけで良いから……

俺と……その……生VFとか……し、してくれないかな??」


 男の声を無視してアチキは意識を集中し、自分の電脳の奥底の“ある物“に繋がる。


 “それ“を呼び覚ますと、あちきの後頭部からおでこにかけて電流が走り、頭全体が針金で締め付けられるように痛む。


 そして網膜ディスプレイに文字が浮かんだ。



【 パンツァー起動 】



 目の前の景色がモノクロになる。


汚水の飛沫が空中で止まる。


反響する音も消えた。


 そして男三人の電脳の位置が、あちきからハッキリと“見える“。


 全てが静止した世界で、あちきは呟く。


「これが……サイバーネットの網なんだ……」


 あちきの目の前の暗闇の中で、天から無数のライムグリーンの糸が降り注いでいた。


それらは男達の電脳にもあちきの電脳にも繋がっていて、天国から地獄に降りた蜘蛛の糸のようだった。



 【 0.5秒経過 】



 ライムグリーンの糸をたぐり男三人の電脳とあちきの電脳を繋ぐ。


「んっ!!!」


 電脳に違和感と、強い痛みが荒波のように打ち寄せる。


激痛に片目を閉じて、涙を流しながら、あちきは男達に言う。


「安心して……。

 あちきの今までの“想い“を想起して……一番いいのにしてあげるから……」


 そう言ってあちきは、男達に向かって両手を差し出す。


 そしてその両手を優しく重ね合わせて……一気に握った。



 【 ジャスト1秒!! パンツァー終了!! 】



 世界が色を取り戻して、あちきのパンツァーが終了した。


 途端に三人の男達はそれぞれ、「ふわぁぁぁぁ…」「最高っっ!!」「ナナちゃん……きもちいい……」と言いながら、汚水の中に落ちた。


 それを見たBASARAが驚いた顔で言う。


「も、もしかしてナナちゃん??

 使ったのかパンツァーを??

 …ということは……ったのか?やつらを??」


 あちきは頭を押さえながら首を振る。


「ううん……。

ってないよ。ヤったんだよ」


 汚水の中の男達はそれぞれ幸せそうな笑顔で気を失って、下半身をプルプルさせている。ふふ。可愛い。


「ど、どう言うことだ??

 パンツァーを起動すると、人間は死ぬのじゃなかったのか??」


「違うよ。BASARA。

 あちき、ナユタちゃんのお陰で分かったんだ。

パンツァーってのは、他の電脳と繋がるための電脳なの。

だからあちきは……あの人たちを気持ち良くさせただけ」


 「き、気持ち良くさせた……??

 一体どうやって??」


 あちきは笑って言う。


「BASARAも……して欲しい??」


 流石のBASARAも焦った顔をする。


「い、いや……俺は遠慮しておく。

 と、ともかく……これで道中の心配は無さそうだな」


「うん。そうだね。

 あとは、あちきの電脳がどれだけつのか……

それと……」


 あちきはふたたび走り始める。


そして小さな声でつぶやく。


「このパンツァーで、EQをることが出来るのか……」


 あちきのハイヒール雪駄が汚水を割って、水しぶきが頭の上まで飛んだ。


 落ちる水滴が、殺意で暗く光ったあちきの目を隠した。




【WABIちゃん視点】



 みなさまと直接お話をするのは初めてですね?


ワタクシは戦闘AI WABISABIのアバター、WA-81型……通称“WABIちゃん”と申す者でございます。


 ナユタ様がVR空間に転移された後、生みの親であるカナタ様と初めての邂逅を果たした我々WABISABIは、乱れた着物を直しておりました。


 帯を締めながらSABIちゃんが言います。


「めんどくさ……人間ってどうして……毎日こんな不合理な事をするのかしら……」


 この事に関しては、SABIちゃんの言葉にも一理ありました。


なぜならプログラムの存在である我々には、本来そのような行為は必要無いからです。


つまりこれは、電子の枯山水という特殊な電子の世界において我々に限定的に課された行為だからです。


 しかしわたくしはSABIちゃんの着付けの間違いを指摘します。ルールはルールですから……。


さびちゃん……。左前になっていますよ?それでは死装束になってしまいます」


「別に良いじゃ無い。あたし達、生死すらあやふやな存在なんだし」


 そうやってわたくし達が慣れない着物を直している間、カナタ様は心あらずで、電子の枯山水内を散策されていました。


 もしナユタ様であれば、我々のこの様子を鼻の下を伸ばして凝視されるであろうと思われるのですが……現在のカナタ様にとっては、それどころでは無いようです。


 竹林や梅の木が風で微かな音を奏でるなか、カナタ様は呟かれます。


「やはり……分からん。

 ワガハイが何故ここに存在しているのか……」


 私は首を傾げて尋ねます。


「アリストテレスでしょうか?ハイデッガーでしょうか?」


「違う。ワガハイは哲学や形而上学の話をしている訳ではない。

 この電子の枯山水に何故ワガハイが存在しているか……だ」


 着付けが終わったSABIちゃんが、ツインテールを整えながら言います。


「ていうか、彼方。

なんであんたがこの場所に居るのよ?

 ここは、那由多とあたし達が結合する為の場所でしょ?」


 呆れた顔でカナタ様は否定されます。


「違うわ。

お前達は、ここをラブホか何かと勘違いしておるのか?」


 わたくしも驚いて、カナタ様に言います。


「え……?

“違う”のですか?

 わたくしも電子の枯山水については、てっきりそのような場所かと考えていたのですが……」


 呆れ顔のカナタ様は、我々を見て嘆かれます。


「やれやれまったく……揃いも揃って淫乱AIに育ってしまったのか?……お前達がその様子では、ワガハイはMATSUKOに合わせる顔が無いわ」


 SABIちゃんが不思議な顔で言います。


「MATSUKO……?」


 それを無視して、カナタ様は質問を重ねます。


「それと分からんのが……WABISABIのアバターが二つ存在している理由だ。

 美女型が“詫ちゃん”で、美少女型が“寂ちゃん”だと?

 どちらもムチャクチャ可愛いが……しかし、ワガハイはお前達を一つのAIとして設計したはずだが?」


 私は、カナタ様のお言葉に頷きつつ所感を述べます。


「それについては、わたくしも兼ねてより思うところがありました。

 なぜ我々WABISABIは、戦闘タイプと戦術タイプに分けて運用されているのでしょうか?

 WA–81型とSA−81型は、同時に運用できた方が効率的かつ強力かと存じます」


 カナタ様は肯定されます。


「そのとおりだ。

と言うか、そもそもワガハイはWABISABIを“世界最強の戦闘AI”として開発した訳だ。

 戦闘も戦術も、全てにおいて突出していなければならない」


 SABIちゃんが言います。


「ってことはつまり……今のあたし達は、彼方が開発したはずのWABISABIとは異なるって事なのね?」


 カナタ様はうなづいて続けます。


「そうだ。お前達のスペック、運用方法、そして容姿までもがワガハイの想定とは大きく異なっておる……まあ、どちらも常軌を逸するほどに可愛いのは認めるが……」


「その事なら、梅子様ならご存知でしょうか……?

我々を北奉行所から購入し、実戦に配備したのは梅子様ですから……」


「あるいは、そうかもしれんが……

しかし確かめようが無い。なにせ今のワガハイは電子的存在。

アクセスできる情報に限りがある」


「その点は、わたくしたちとて同じでございます。

AIの我々には人間様側の情報を得る手段は、本来ございませんから」


「口惜しい……限定的とは言えせっかく存在を取り戻したのにも関わらず……世界一美しい娘達の姿を見ることすら叶わんとは……」


 そう言って残念そうに首を横に振るカナタ様を見て、わたくしは少しばかりお気持ちが理解できました。


なぜなら、わたくしもSABIちゃんもナユタ様を愛しているのですが……しかし電子の枯山水この場所でしか、双方向的な情報のやり取りを行う手段が無いからです。


 それこそが、我々AIが本来的に持つ性質なのですが……しかし一方で、ナユタ様への想いが募るほどに承服できかね無い“枷”のような物として、考えられるようになりました……。


 だからわたくしは、悲しそうなカナタ様を見て声を掛けます。


「彼方様……」


 そしてカナタ様は、わたくしと視線を交差させ表情を固くさせます。


その表情は……“緊張”あるいは、“疑惑”を表す表情にわたくしには思えました。


 口を真一文字に結んだカナタ様は、質問を続けます。


「ワガハイの質問は、もう一つある」


「どういったご質問でしょうか……?」


「WABISABI……お前達は……“ブラックボックスの中身“にアクセスが出来るのか?」


 リミッターが起動し、わたくしは定型的な言葉をお返しします。


「仰っている意味が分かりかねます」


 カナタ様は硬い表情のまま言います。


「この質問にお前達が答えられない事は、ワガハイも理解しておる。

 しかしやはり、質問せざるを得ない。

何故なら、スペックダウンしたお前達がエモとらを起動できる筈が無いからだ。

 だからワガハイは、お前達に問うのだ。

 つまり、WABISABI。

お前達に内蔵された“擬似感情”は、“本物の偽物の感情“なのか?

 あるいは、お前達は何らかの“バイパス手段“を得て……ワガハイ……つまり“感情のブラックボックス”にアクセスしておるのか?」

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