92話 ニルバアナ

——【今から10年前】——


【万錠カナタ視点】



 突然の愛娘——万錠梅子の登場に多少驚いたワガハイではあったが、それよりも彼女のタイツが気になり、叱る。


「なんだ?その破廉恥なタイツは??20デニールか??

けしからん!!エロ過ぎる!!

 美し過ぎる脚のウメコには似合っているが……せめて30デニール以上のタイツにしなさい!!」


ワガハイの指摘に梅子は顔を明らめる。


マジで可愛い。


「一目でデニール数を当てないで!!怖いから!!

それにこれはタイツじゃなくてストッキングよ!!

 とにかく、話を逸らさないで!!」


 ワガハイは梅子の可愛いストッキングから目を離し、MATSUKOの可愛いホログラムを眺めながら言う。


「お前達とヒノモトの為だ。

 だから、MATSUKOの研究をやめる事は出来ない……」


 梅子はヒールの音を響かせながらワガハイに近づく。ピンヒールを履くなんて……もうそんな年頃になったのか……。ピンヒールは良い物だ。


 そして梅子は、話を続ける。


「幕府の研究機関を追われて、しかも……メガザイバツのアミダ重工の研究室の片隅で、一人で研究を続けるなんて……。

 お父様……万錠家の中で後ろ指をさされているのよ?……」


「あるいは梅子。

お前はだからこそ……奉行所の官僚なぞを目指しているのか?」


「念の為に言っておくけれど……お父様への当て付けじゃないわ。

一家の為よ。

万錠家は元々、幕府側の家柄なんだから……」


「家柄など……くだらんな。

本家の人間の戯言だ。放っておけ」


「そうやってお父様が頑なだから、私が苦労をするのよ」


「自身の苦労を人の所為にするな。

 環境は、自分で切り拓いてこその物だ」


 ワガハイのいつもどおりの説教を聞いた梅子は、大きなため息をつく。

流石のワガハイも傷つく。


しかし、梅子の為だ。

頭のおかしいワガハイは、頭がおかしいままで居なくてならない。


 梅子は言う。


「大学を卒業したら私……奉行所の官僚を目指すわ。これは、私が自分で決めたことよ。

 つまり、お父様と一緒なのよ。

 私だってヒノモトを案じているんだから」


 それを聞いてワガハイは口の隅で笑う。


「梅子とワガハイが目指す道は同じ……と言いたいのか?

 それなら……ワガハイがやっている事も理解できるであろう?」


 梅子は声の音量を下げて、不服を漏らす。


「……だから、反対しているのよ……」


 あるいは梅子のその言葉はいわゆる同種嫌悪にも聞こえたが、ワガハイはその事は言わなかった。


 続けて梅子は、言う。


「お母様も私も竹子も……お父様の身を案じているんだから……忘れないでね……。

 それと、たまには家に帰って来て?……。

寂しそうなお母様の顔、私は見ていられないから……」


 そう言った梅子は、ピンヒールの音を響かせて暗い研究所の扉の方に向かって行った。


 去る梅子の後ろ姿を見ると、寂しくなって泣きそうだったから、ワガハイは彼女から背を向けたまま彼女に言う。


「一つだけ忘れるな……梅子……」


 様々な無機質な機械音が響く研究所の中、梅子の凜とした美しい声が静かに響く。


「……何かしら……お父様?」


 ワガハイは涙を堪えて言う。


「お前ほどの美脚美人であれば、お前の美貌に惚れる男はたくさん居るだろう……しかし、黒タイツだけを執拗に愛でる男は本物だ。

 そのことだけは、忘れるな……」


 しばらくの沈黙のあと、梅子は呆れたような……あるいは困惑し切ったような声で言う。


「……一体、なんの話なのよ……」




——【今から9年前】——




 ワガハイはまたしても一人、アミダ重工の研究所内に居た。


 ワガハイに当てられた研究資金は底を尽き、我輩の解雇の日取りも既に決まっていた。


 しかし幸いにも、我が家には十分な資金がある。


何故なら、我輩がここ数年で作った数々の特許技術により、我が家には長期においてかなりの特許料が入ってくるからだ。


だから、妻や子供を飢えさせるような事は無い。


 よって……悔いはない。ワガハイは、できる事はやったんだ……。


 疲れきったワガハイに、MATSUKOが声を掛ける。


「ナタ君……。

ワタクシ……奉行所に権利ごと二束三文で売られちゃったけど……気を落とさないで……?」


 ワガハイは自分の両手を見る。思ったよりも皺があり、思ったよりもみすぼらしかった。


「疲れてはいるが……。

 気を落としているわけでは無い。

ワガハイは、“やれる事はやった“んだからな……。

 まあ……終戦後発足したクソみたいなオオエド幕府の腐りきった連中に、愛する梅子とMATSUKOを取られることだけは痛恨のいたりではあるが……」


 パイプ椅子に座り込んだワガハイを覗き込むように、MATSUKOは前屈みになる。


それに伴って、MATSUKOのお尻の上についた通信ケーブルを模した“尻尾“がやや上に向いた。

 この“尻尾“は、ワガハイが拘り抜いて3Dモデラーに発注したものだ。AI美少女は、尻尾が付いている方が可愛いに決まっておるからな。


 そんなMATSUKOは、可愛い顔で心配そうに言う。


「でも、ごめんね……。

ナタ君のプログラムの“エモとら“だけは……どうしても、実用化できなかったから……」


 ワガハイは、疲れた顔のまま言う。


「言っただろ?

 “やる事はやった“……と」


「“やる事はやった“?……どういう事……?」


「シミュレーションはすべて終わっておる。

 エモとらは理論上絶対的に、実現可能だ」


「え?そうなの……?

でも、ワタクシ……エモとら……今まで何度チャレンジしても出来なかったけど……」


「それは……AIのMATSUKOが感情を理解できなかったからだ……」


「ますます分からないわ。

 もしかして、ナタ君……ワタクシが感情を理解できるようなプログラムを、作れるようになったって事……??」


「まさか。

 感情がプログラムや数式で表せられる筈がない」


「じゃあ、どうやってワタクシは、感情を理解すれば良いの?」


「感情を代入すれば良い」


「感情を……代入??」


「ワガハイの感情を、MATSUKOに代入すれば良いんだ」


「ナタ君の……感情を代入……??

 そ、それって……もしかして……」


「ああ。

 ワガハイの電脳を、MATSUKOの量子コアに接続すれば良いんだ」


 MATSUKOは驚いたような表情を浮かべる。


「そんなこと!!

千以上のAI憲章に違反しちゃうわ!!

 ワタクシの“自壊プログラム”が稼働して、ナタ君の電脳ごと消滅しちゃうわ!!」


 ワガハイは鼻で笑って言う。


「AI憲章などくだらん……。所詮は終戦間際に戦勝国どもが勝手に作った決まりごとだ。

 それに……これは、AI憲章違反にはならん」


「どういう……こと??」


「開発者である者が命を犠牲にして、AIの一部になるなんて事は前代未聞だからだ。よって、AI憲章違反にはならん。

 そこまでは、AI憲章ではカバーしておらん。

 むしろ、この後の事が問題だ」


「この後のこと……?」


「ワガハイの電脳は、MATSUKOの一部となって感情を司どるプログラムとなる。

 これを表面上は“擬似感情“という名のブラックボックスとして稼働させる。

 その段階から、MATSUKOは今のお前では無くなり……“WABISABI”という新しい名前を得る」


「ワタクシ……“WABISABI”って存在になっちゃうの?」


「ああ。なぜなら……お前がMATSUKOのままでは自分の中に、ワガハイが居ることを理解しておるからだ。

 それでは、まずい。

「感情を持ったワガハイがAIと融合した」という事実が……「MATUKOが感情を持った」という事実に置き換わってしまう。

 そうなった場合、MATSUKOにAI憲章にのっとって搭載した“自壊プログラム”が稼働してしまう。ワガハイとMATSUKOが消滅してしまう。

 本末転倒だ」


「つまり……ナタ君の感情を代入したワタクシが、AI憲章に抵触せずに存在する為には……

MATSUKOというワタクシじゃダメで、WABISABIっていう新しいワタクシにならなくちゃいけないって事?」


「そうだ。理解が早くて利口で素晴らしい。

 利口な者は、ワガハイは大好きだ」


 MATSUKOは思索するような表情になり、言う。


「ナタ君が褒めてくれるのは嬉しいけれど……。

でも、ナタ君はそれで良いの?」


 ワガハイは迷う事なくそれに応える。


「良いに決まっておる。

 そもそもMATSUKO……つまりWABISABIは、ワガハイの世界一美しい娘達の幸せを守る為に作った訳だからな」


「そ、そうだったんだ……。ワタクシって……ウメコちゃんとタケコちゃんの幸せを守るために、産まれたんだ……。

でもそれって……どうやって??」


「まずは娘達の最高のパートナーを選定する」


「え??最高のパートナーを最初に見つけるの??」


「ああ。そうだ。

まあ、正確には、『最高のパートナー候補を』……だがな?

 なぜならWABISABIの電脳リンクは、LP(ラブポインツ)により性能が左右されるからだ。

つまり……そもそも娘達が恋に落ちるような相手が居ないと始まらない。

 だからWABISABIは最初に、娘達の最高のパートナーを選定する。

これはDNAレベルで行われ、娘達との相性診断も行われる。

妄想や視界や夢までもが筒抜けになる電脳リンクだ。隠し事はできんからな」


「なるほどね……」


「もちろん、バックアップ機能も有しておる」


「バックアップ機能……?」


「バックアップ機能とは……電子の枯山水と呼ばれる仮想空間だ。

もし、せっかく見つけた最高のパートナーが死んでしまっては、元も子も無いであろう??

 なので、電子の枯山水は、娘達の最高のパートナーが死んでしまった時に発動し、その者の電脳情報を保管する事ができるのだ」


「そうなんだね……。至れり尽くせりなんだね」


「当たり前だ。娘達の為だ、至れり尽くせりに決まっておる。

 そして、娘達が危機的状況に置かれた時に発動する最終兵器が……“エモとら”だ」


「確かに、エモとらなら、最終兵器っていえるね。

もし……バイオロイドとかサイボーグとかヤバい人に娘さん達が絡まれても、街ごとふっとばせば誰にもまけないもんね」


「そうだ!!そのとおりだ、圧倒的な戦闘力で娘達を圧倒的に守る。松利マツトシのような悲劇を、ワガハイは絶対に見たくは無い!!!

 それこそが、ワガハイがエモとらの実装に拘った理由だ。

つまり……娘がクソったれディストピアのオオエドシティで、幸せに生きていく為の全てがお前に詰まっておる。

 WABISABIを運用する事で、娘達を守れるようなパートナーを探し出し……いざとなった時は、娘とパートナーのラブラブパワーにより圧倒的な武力をもって全ての敵を薙ぎ払い、娘達を守る!!!

 つまりそれが……感情エネルギー戦力転化型 戦闘AI……WABISABIの全容って訳だ」


「すごーい。わかりやすーい!!

 さすがナタ君だね!!」


 と言ったMATSUKOは、ぱちぱちと拍手した。


手の小さなMATSUKOの合成音の拍手は、薄暗いだだっ広い研究室の中いっそう小さな音で響いた。


 そしてMATSUKOは、不思議そうな顔でワガハイを覗き込んで言う。


「でも……ナタ君……

どうして……悲しそうなの……?」


「ワガハイが悲しそうだと……バカな!!

科学の発展の為にこの体を供する事が出来て……

嬉しいに決まっておる!!」


「それは嘘よ??

 感情の無いワタクシでも分かっちゃうわ……

だって……ナタ君……」


 と言ったMATSUKOはワガハイの頬に手を伸ばした。


 ホログラムのMATSUKOの手の指はワガハイの頬を透過し、ワガハイに触れる事は無かった。


 そしてMATSUKOは笑みのような物を浮かべ、優しく囁くような合成音声で言う。


「だって……ナタ君……

涙を流しているんだもの……」


 ワガハイは言う。


「バカな。マッドでサイコパスなワガハイが涙だと?

感情を知らない……MATSUKOに……?

 ワガハイの……何が分かるんだ……」


 MATSUKOは笑って言う。


「ふふ。声が、震えているよ??」


 ワガハイは視界をにじませて言う。


「ワガハイのプログラムどおりに……喋っている……

だけであろう??」


 にじんで歪んだMATSUKOのホログラムは言う。


「正直に言って??

 もう……最後だから……」


 ワガハイは量子コンピューターに向かう。


ホログラムキーボードを叩こうとするが、指が震えて上手く使えない。


 MATSUKOのプログラムのセリフに心が揺らいでしまったのか……一時の気の迷いか……バカなワガハイは手を揺らせながら、とつとつと今まで堪えていた“想い”を話し始める……。


「じつのところ、本当は……もっと、子供達の笑顔が……見たかった……

もっと、一緒に遊んでやりたかった……」


 ワガハイはなんとか、“電脳とMATSUKOの直結プログラム“である——“NIRVANAニルバアナ“を起動する。


そして自分の電脳をコンピューターと繋いだ。



【 “NIRVANAニルバアナ“……起動率0% 】



 MATSUKOは言う。


「話を続けて……??」


 ワガハイは、促されるまま言う。


「孫の顔だって……見たかった……

きっと……世界一美しい男女になるに……違いない」


 ワガハイは、“NIRVANAニルバアナ“のシーケンスを起動する。


じきにワガハイの電脳は、MATSUKOの擬似感情プログラムに変化する。


つまりは……現実世界における……ワガハイの死が訪れるわけだ。



【 “NIRVANAニルバアナ“……起動率8% 】



 MATSUKOは無言になる。よく見えないが……その顔はワガハイの話を待っているようだった。


 だからワガハイは、絞り出すような声で言う。


れんには……すまない事をしたと……思っている。

 こんな、クソ野郎の仕事中毒のマッドサイエンティストの妻をさせて……な……??」


 MATSUKOは静かな声で言う。


「でも……レンちゃんとウメコちゃんとタケコちゃん……ひいてはヒノモトの為なんでしょ……??」


「ああ……そうだ……」



【 “NIRVANAニルバアナ“……起動率37% 】



 MATSUKOは続けて言う。


「WABISABIが無いと……いずれ起こる“バイオロイドとの戦争“で……人類が滅びるんでしょ???」


「それは、そうだ……ワガハイの計算では……そのようになっている……

これは、絶対不可避の運命だ……」


「じゃあ?ね??

 ナタ君??

 泣かないで??

ナタ君は、しなくちゃいけないことをしているんだから……」


 ワガハイは抵抗する。


「言っているだろう……MATSUKO。

 お前は……ワガハイの書いたプログラムだ。

 自動生成したセリフを……喋ってるだけだ……」



【 “NIRVANAニルバアナ“……起動率74% 】



 MATSUKOのホログラムが、ワガハイの身体を抱きしめた。


ワガハイは、体温の無いはずのMATSUKOの肌の温もりを感じた。


それはおそらく……“NIRVANAニルバアナ“の起動率が最終局面に入っている証拠だった。


 つまり……ワガハイの電脳が、「WABISABI」の一部となろうとしている訳だ。



【 “NIRVANAニルバアナ“……起動率91% 】



 ワガハイは言う。


「あるいは、もしかすると……ワガハイの唯一の失敗は……MATSUKO……。

お前の性格と容姿を…… れんに似せた事かもしれぬ……」


 MATSUKOは笑う。彼女の肌の震えがワガハイの電脳を優しく撫でた。


「ふふ。ワタクシの所為なの……??

ナタ君、いつもウメコちゃんやタケコちゃんに言ってるじゃない?『環境のせいにするな』……って。ふふ」


 ワガハイの顔の横のMATSUKOの声の湿度を感じた。


「でも、安心して。きっと、大丈夫だよ?

 きっと、分かってくれるよ?

ナタ君の真っ直ぐだけど、ちょっとバカなところ……。

 ウメコちゃんもタケコちゃんも……そして、きっと、レンちゃんだって……」


「ワガハイは、バカでは無い……

ただの科学中毒の……クソ野郎だ……」


「あまり自分を卑下しちゃダメだよ?」


「卑下しておらん……。事実を述べただけだ」


 MATSUKOの穏やかな拍動を感じた。


ワガハイは、そこまでの“実在情報“をMATSUKOに与えてはいない。


 どうやら、文字どおり……“最期“のようだ……。


 ワガハイは目を閉じて言う。


「分かってくれれば、良いんだがな……」


 闇の中でMATSUKOの優しい声が響く。


「分かってくれるよ……」


 ワガハイはついに……涙を流しながら言う。


「……寂しいな……」


 MATSUKOは言う。


「……うん。そうだね……。

 さびしいね……」


 ワガハイの視界がグリッチした。


 ノイズの中……【“NIRVANAニルバアナ“】のホログラムが浮かび上がる。


 それは、蓮華れんげをあしらった曼荼羅マンダラが浮かぶロゴマークだった。


網膜ディスプレイ上に、起動カウントダウンが大写しとなった……。




【 “NIRVANAニルバアナ“……起動率100% 】




 こうしてワガハイは、感情エネルギー戦力転化型戦闘AI WABISABIのブラックボックスとなり……


ワガハイのワガハイとしての自我は完全に消滅し、ワガハイの電脳は電子の海の中を浮かぶ「感情の道しるべビーコン」となった……。

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