70話 EQ2

 EQに対する激情に囚われた俺は、獣のように咆哮する。


「きさまぁぁぁああああああッッ!!!

 ぶっっっっっころしてやるッッ!!!」


 そんな俺の目の前に、ホログラムで出現したSABIちゃんは言う。


「ダメよ!!負の感情に食われないで!!」


 俺の目の前の空間にSABIちゃんのホログラムが、両手を広げて立ちふさがる。


「そこをどけ!!アイツを!!

 あのクソ野郎を!ぶっ殺すんだ!!!!!

 そうしないと俺が!!俺がっ!!!!!」


 そう叫んだ俺は、SABIちゃんのホログラムを透過し、無我夢中で走った。


「ナユタ!!!!」


SABIちゃんの叫ぶ音声を背に、俺は走った。不動明王の上でムナクソ悪く笑うEQを、ぶっ殺す為に。


 出来ないことは分かっていた。


ここはEQの支配下にあるVR空間だ。今の俺にはどうする事もできない。


それでも、俺は本能に任せてヤツに向かって走るしかなかった。


そうすることでしか、正気を保つことができなかった。


振りあげ、握りしめた右の拳は怒りでふるえ、

爪は皮膚に食いこみ、血がながれた。


 しかし、階段をかけあがる俺は、突然なにかに真横にふっ飛ばされる。


「ぐっ!!!!」


 俺は物凄いいきおいで、背中から寺の木造の壁に叩きつけられる。


「がはっ!!!!」


 息が止まった。


 目がくらんだ。


 そして、そんな俺の頭は、床に叩きつけられる。


気づいた時には俺の頭は、EQの草履ぞうりの足に踏みつけにされていた。


「ふはははははwww

 良い反応だぜwwwナユタちゃんwww

この様子も全世界に生配信中なんだけどさぁ??

 バズってるぜぇ??wwww

『旧幕府軍のヒノモト人、亡国を想い咽び泣く』って題名にしたんだけどさぁ??

 オレのフォロワー達、アクセスしまくってくれてるぜぇ???

久しぶりだぜぇ!!

 こんなバズりはよぉぉぉぉ!!!!」


 悔しさのあまり歯ぎしりをする俺の奥歯は、へこみ、歯茎から血が流れた。


 俺は咆哮する。 


「この足をっ!!!!

 どけやがれっっ!!!

ドチクショオがぁぁあああああああ!!!」


 SABIちゃんが俺の網膜ディスプレイ上で、俺に言う。


「ナユタ!!冷静になって!!

 怒りに任せても仕方が無いわ!!

あなたの、その”感情”こそEQのエサなのよ??」


 しかし俺は、両手で石造りの床を掻きむしる。


 俺は怒りで我を忘れていた。


「くそがぁああ!!ぶっころしてやる!!」


 それでもSABIちゃんは俺に警告を与える。


「ナユタ!!しっかりして!!

 電脳がEQに乗っ取られても・・・・・・・良いの!?

 WABISABIアタシ達が!シノブが!!

負の感情に食われてもいいの!?」


 SABIちゃんのその一言で、俺は少しだけ冷静さを取り戻す。


「シノブが……負の感情に食われる……??」



 EQは俺の頭を踏みつけにしたまま言う。


「ああ。そうだ……悪意に乗っ取られる人間……それこそが俺のエサだからなぁ??」


 『EQのエサ??何の事だ??』と俺は思ったが、感情の渦に飲み込まれて声が出なかった。


 EQは話を続ける。


「それにさぁ??www

 こんなところで、ゴキブリみたいに這いつくばっていて良いのかよぉ??www」


 唐突にEQの気配が消えた。


床に押し付けられた俺の頭に掛かっていた重さが無くなる。


 しかしEQの声はすぐに、遠くから聞こえる。


「今はさwww??

 肉片になって”バズり”になった昔のお友達のことよりもよ?

 ”花魁”のことの方が大事じゃねぇのかよぉwww??」


 俺は、あたりを見回した。


 EQは不動明王像の頭の巻き髪の上で、あぐらをかいていた。


 俺は片膝をつき身体を起こす。


壁に叩きつけられたにも関わらず、俺の身体には怪我が無かった。


 そうか……ここはVR空間だったんだ。


そう思い出した俺は、少しだけ平静を取り戻す。


 俺はEQに聞く。


「花魁だって……?

 兎魅ナナの……ことか??」


「ああ。そうだ。あの……”クソビッチ”の事だwww。

あいつの電脳は、お前の電脳なんかよりずっと価値がある。

 あの女の電脳は、人間1000匹分の価値がある。

だからオレは、あの”クソビッチ”をバラして、電脳を取り出すつもりだぜ??」


「兎魅ナナをバラす……だと??

とすると……兎魅ナナはまだ生きているのか??」


「生きているに決まってるだろwww。

まあ、それも……時間の問題だがな??

 今、兎魅ナナの家にキチク芸能社のタスクフォースを向かわせた。

あのクソビッチが捕まるのも時間の問題だぜ??www」


「俺がクソ野郎の言っている事を信じると思うのか……?」


 ふたたび網膜ディスプレイ上にSABIちゃんが出現し、俺に説明をする。


『冷静になって考えて?ナユタ。

 このVR空間は、兎魅ナナがVFドウセツをする為に作った空間よ。

今はEQに乗っ取られているけど、この空間が存在しているという事は兎魅ナナの電脳が無事な証拠よ』


 確かにそうだ。兎魅ナナは言っていた——花魁のVFドウセツは、花魁の電脳内で処理される——と。


つまり、俺とEQがいまだにVR空間に居るという事は、兎魅ナナが生きているって事だ。


 それらの事を理解した俺は、EQに質問する。


「しかし……どうして、それを俺に教える??」


「ああ??何の事だ??www」


「どうして……お前が兎魅ナナを殺そうとしている事を、俺に教えたんだ?……って聞いたんだ」


「”バズり”に決まってんだろ??」


「”バズり”……だと……??」


「今でもさぁ??

 この配信動画はバズってるんだwww

 だからさ??www

この続きの配信……『旧幕府軍のヒノモト人、目の前でお気に入りの花魁をバラされてふたたび咽び泣く』をやったらさぁwww???

 もっと、バズると思わねぇwwww???

久々の30億越えの”同接どうせつ”……稼げると思わねぇwww???」


 俺は再び吠えた。


「この外道がっ!!!!」


 またしてもSABIちゃんが網膜ディスプレイ上で言う。


「ヤツの言っている事は正しいわ!!

ナユタ!!

 ここは一旦退避するのよ!!!!」


 俺は反論する。


「しかし!!コイツだけは!!

許せないっ!!」


 そんな俺に、ホログラムのSABIちゃんは大きな青い瞳で俺を睨みつけて、怒鳴る。


「いい加減にしなさい!!!!!!

ナユタ!!!!!!」


 SABIちゃんのいつも以上の強い口調と剣幕に、俺は驚く。


「SABIちゃん??」


 その時のSABIちゃんは、俺の網膜ディスプレイ上で涙を流しているように俺には見えた。


しかし……AIは感情が無い筈だろ??


なぜ涙を??あるいはこれが、戦術タイプのSABIちゃんに与えられた”疑似感情”って奴なのか??


しかし、それでは説明できないぐらいに、この時のSABIちゃんの表情は生々しかった。


「正直に言うわ。

 ナユタの今の気持ち……AIのアタシでも理解できちゃう・・・・・・・し……それより何より、EQに電脳戦で負けて、アタシだって悔しいわ!!

 でもアタシは、アンタに無駄に死んでもらいたく無いし……。

アタシは!ヤツのエサになんてなりたく無いの!!

 アタシに課せられたリミッター・・・・・の所為で、これ以上は言えないし、これ以上アタシが喋ったり考えたり・・・・したら、”AI憲章違反”でアタシが消えちゃうけれど!!!

 とにかくナユタ!!

アタシは、アンタのこと………」


 目を潤ませたロリ顔で、SABIちゃんは続ける。


「アタシは!ナユタのこと!!嫌いじゃない・・・・・・の!!!!」


 彼女の想定外の剣幕と言葉におどろき、俺はオウム返しする。


「SABIちゃんが、俺のことを……嫌いじゃない……??」


 恥ずかしそうにSABIちゃんはロリ声で言う。


「か、勘違いしないでよね!!

 アンタのこと『嫌いじゃない』って言っているだけで!!

アタシがナユタに!”特別な感情”を抱いたって訳じゃ無いんだからね!!」


「SABIちゃんの今のセリフ……完全に、ツンデレキャラが”デレた”瞬間のセリフなんだが……」


「だ、だから!!

か、勘違いしないでって言っているでしょ!!

これも、アタシの擬似感情よ!!

 と、ともかくナユタ!!!分かった???

 今は、撤退するの!!

恥でもなんでも無いのよ!!

 兎魅アナの為に!シノブの為に!!何よりも、アタシとアンタの為に!!

ここは、撤退するしかないのよ!!!」


 SABIちゃんのAIとは思えない生々しくも迫力のある剣幕に、俺は徐々に冷静になって来た。


SABIちゃんに感情が無い事がいよいよ怪しくなって来たが、今はそれよりも……

SABIちゃんが言っていた「これ以上喋るとAI憲章違反でSABIちゃんが消えてしまう」という事だ。


 だから俺は、SABIちゃんに質問する。


「もしかして……SABIちゃんは……SABIちゃんの”存在を懸けて”俺を止めようとしているのか?」


 涙を浮かべたロリ顔で、SABIちゃんは呆れ顔をする。


「いまさら何を間抜けなことを……。

アタシが使用者の決定に背こうとしている時点で……AI憲章違反スレスレなのよ……」


 それを聞いて、俺は考えた。


 ”二次元ロリ萌え美人AI”にここまでさせて、果たして良いのだろうか??


SABIちゃんが、自身の存在を懸けてまで俺を止めようとした行動を無下にして良いのだろうか??


良いわけがない。これは、誇りの問題だ。二次元ヲタとしての誇りの問題だ。


 そう思った俺は、決心する。


「わかった……SABIちゃん……。

 俺は、VR世界ここから現実世界へ戻る」


「ふ、ふん!!

まったく、理解が遅いんだから!!

 じゃあ、撤退するのね??」


「ああ……」


 そして俺は、再びSABIちゃんの言葉を思い出す。俺が今、怒りを鎮める事は兎魅ナナやシノブの為でもあるんだ。


 そう思った瞬間、俺の脳裏に泣いた兎魅ナナの表情が思い浮かんだ。


 そしてその表情に、夢で見た泣いた幼いシノブの顔がダブった。


 そうだ。忘れるところだった……俺は何より……彼女達のそんな表情を・・・・・・見たく無い・・・・・んだ。


 だから俺は、決心した。


 俺は不動明王像の上のEQを睨みつけながら、SABIちゃんに命令する。


「俺は撤退する。

もちろん、逃げるためじゃない。

 ”戦略的撤退”だ」


「了解したわ。少し待ってなさい」


 とSABIちゃんが消えると同時に、俺の”ログオフ”が開始された。


 ログオフが始まった俺のVRの身体は、足元からゆっくり緑の粒子となり消えていく。


 その様子を見てEQは、ほくそ笑んだ。


「撤退するって事かwww???

ナユタお前……ポンコツの電脳の割には、

 ちょっとは、頭を使えるみてぇだなwww??」


 俺は殺意をもってEQを睨みつける。


 EQは話を続ける。


「じゃあ、別れ際にさぁ??

もう一つだけ言わせてもらうわwwww」


 そういうと、EQは指を「パチン」と鳴らした。

そうすると、VR空間の景色がまたしても一転した。


 そして、それは……。

俺と、俺の戦友たちが惨たらしい拷問を受けた廃病院の景色になった。


俺の脳裏にまたしても、数々の悪夢がフラッシュバックした。


 EQはそんな廃病院のベッドの上に腰をかけて、俺に言う。


「ここでさぁwww??

ナユタの生身の左腕は無くなったんだよなぁwww??

 まあ、俺がさぁ??

拷問してグチャグチャにしたからだけどwww」


 俺は無言を貫く。しかしあまりの悔しさに、またしても歯から血があふれる。


 俺のログアウトは進み、俺の腹までが緑の粒子となり消えた。


 EQは続ける。


「それでさぁ??ウケるんだがww

 その同じベッドでさぁ??

俺は、女の死体をバラしたんだ??

 セミロングの黒髪のいい女の死体でさぁ??

ナユタ。お前も知っている女だったんだろwww??」


 EQのそのセリフを聞いた瞬間、俺の脳内に俺のかつての恋人のホノカの幻影が浮かんだ。


 彼女は俺の戦地での心のよりどころであり、俺の初恋の相手であり、そして彼女は、前線でソビカ兵に撃たれて死んだ。


 その後すぐに俺達は捕虜になり、EQに拷問を受けたんだ。


 そのホノカの死体を……EQが……??

俺の心に再び暗く激しい感情が渦巻いた。


「セミロングの黒髪の女の電脳……お前よりもポンコツだったからさww??

 捨てちまったけど……。

バラす様子の配信動画は、良かったぜwww??

 変態共が群がってよぉwwww??

良いバズりになったんだぜwww

 だからさ……」


 とのとき俺は、激情を飲み込んだ。


自分の心を殺す・・ために激しい痛みが伴った。


 そして必死で、EQのセリフに割り込む。


「ひとつだけだ……。

一つだけ覚えていろ……」


 話の途中だったEQはニヤついたまま黙り込む。

しかし、すぐに口を開いた。


「なんだ??www」


 奴の真っ赤な目と、真っ黒な口の中は、見るだけ不快だったが……しかし俺は続けて言う。


「俺は、もう、お前の言葉ではキレない。

 だから、俺のかつての思い出を汚したいのなら、言いたい事を言えば良い。

お前の言葉が、俺の感情を揺るがすことは無いんだからな。

 だが、覚えていろ……」


 俺は頭の中に浮かぶ戦友や恋人に、別れを告げる。そうだ。俺が彼らにできることはもう何も無いんだ。


みんな……すまない……。

俺は、シノブと……自分の未来の為に生きると決めたんだ。


 そして俺は言葉を続ける。


「だから、覚えていろ、EQ。

 次に現実世界で俺を見た時が、お前の最期だ。

 お前は、人間でも生物でも無い……ただの”物”だ。

だから俺は、お前に対して何の感情も抱かない。

 ただただ、”処理”してやる。

産業廃棄物……いや、腐った生ゴミのように処理してやる。

 バイオロイドには”完全な感情”が備わっているから……その時になって、初めてお前は知る筈だ。

 お前が人間に与えてきた、恐れや、怒りや、後悔や、絶望や……負の感情の全てをな」


 それを聞いたEQは、腹を抱えて大笑いする。


「ふはははははははwww。

負け犬の遠吠えってやつじゃねぇかwww

 だっせぇぇぇええええwwww

クッソだせぇwwww。でも、さぁwwww???

 いいぜ??

俺は、そういのも嫌いじゃないぜwww

俺は、バズりに変わりそうなものは何でも好きなんだwww

 ともかくさぁ??楽しみにしといてやるよ??

俺が初めて味わう”負の感情”の美味って奴をなぁwwww??」


「ああ。楽しみにしてろ。俺も楽しみだ」


 俺は、そう言いながら、緑の粒子となり、VR世界から完全に消失した。


こうして俺は、現実世界に戻る事となった。




—————




 あとになって思い出したことなんだが……


 この時、俺の意識がVR世界から完全に消失する一瞬、何かに抱きしめられたような気がした。


 あるいは、その記憶は幻だったのかもしれないが……しかし、その時、俺の電脳内で、馴染みのある声の記憶データが残っているような形跡があったんだ。


 ともかくその”声”は、俺を抱きしめてこう言っていた。




「よくやったわ。ナユタ。

正直言って……EQと対峙したアンタが正気を保てるとは、流石のアタシでも予想外だったわ。

 だから褒めてあげる。

アタシが正直に褒めるなんて……珍しいのよ??

 それと……もしアンタが、そうしたいなら……だけど……。


この一瞬だけは、泣いても良いのよ??

叫んだって良いわ??

 だって今からアンタは、電子の波に呑まれて”存在”と”非存在”を彷徨さまようんだから。

だからこの一瞬だけは、”0と1”との間に生じた些細な事になるのよ??


 だから、大丈夫。

それに一応アタシだって、少しは……アンタのこと……認めてやってるんだから。


だから……

この一瞬だけは……

全部……


 見なかったことにしてあげるわ……」




 そして俺は、電子の渦の中で叫んだ。


 この世の全てを拒否するような声で、叫んだ。


「クソがぁぁぁあああああああああああああああ!!!!」


 いや、あるいは…叫んだような記憶データ欠片かけらが、俺の電脳の片隅に残った。




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