55話 現場検証に行こう2
俺がVTOLでニューシンジュクに到着すると、既に万錠ウメコが集合地点で待っていた。
「遅かったわね。
事件現場は、このさきよ」
と笑顔で言った彼女は、さっそく俺の先に立って歩き始める。
昼間のニューシンジュクは、夜のギラギラしたビビッドな様子とは異なり、薄暗い。
落書きだらけのビルの灰色の壁と、空を覆いつくす電線が、
今日の午前中にひと雨降ったのか、狭くいり組んだ道には大小さまざまな水溜まりが出来ていて、腐敗した食べ物の すえた臭いが湿気にのって、路地をただよっていた。
俺は、そんな路地にできた“ほぼ汚水”の水溜まりで、
「一つ聞きたいんだが……所長様?
もしかして、あんた……俺の”顔のこと”を知らないか?」
と俺は万錠ウメコの後ろ姿に問いかけた。
彼女は、40デニールの脚をスローダウンさせること無く答える。
「ナユタ君の”顔のこと”……と言うと……。
その『面白い』……じゃ無かった、『お岩さんみたいな』顔のこと?」
万錠ウメコは もしかすると、何かの配慮”をしてるつもりかもしれないが……。
『面白い顔』も『お岩さんみたいな顔』も、どちらも俺にとって嬉しい表現では無かった。
ともかく、俺は続けて聞く。
「ああ。そうだ。
俺の、この――”腫れ上がった目”のことだ。
どうして俺の顔は、こんな事になっているんだ?」
「それは、私があなたの顔を蹴ったからよ」
「え?は?」
「なるほど……。
やはり、覚えていないのね……」
そう言った万錠ウメコは、歩くことをやめて振り返った。
雑居ビルのあいだから差し込む日差しが、薄暗い通路の中の彼女の青い髪を透けさせた。
逆光を背にし腕を組んだ彼女の表情は、微笑んでいるように俺には見えた。
そんな万錠ウメコは言う。
「あなたが私に、襲いかかって来たから……
私が、あなたの顔を蹴り飛ばしたのよ」
「え!!!!……え゛!!??
お、俺が??『あんたに襲い掛かった』だって???
そ、そんなこと……
まったく記憶にないんだが……??」
「ええ。
それに関しては、私も理解しているわ」
「し、しかし……『襲い掛かった』……だなんて……」
「そこも、安心して?
”大事には至っていない”から……」
「だ…”大事に至っていない”……だって??
そ、それは、一体……どういう意味なんだ?」
俺がそう聞くと、万錠ウメコは腕組みをといて青色ロングヘアーをかき上げた。
彼女の露出した耳が日の光で一瞬、白く
万錠ウメコは言う。
「ふふ……。どういう意味だと思う?
想像してみて?」
逆光により彼女の表情は分かりにくかったが、万錠ウメコが笑っているのは確かだった。
俺は冷や汗をかきながら、彼女に言う。
「『どう言う意味だと思う』って言われても……
俺だって、はっきり言ってくれないと分からない」
「はっきりと言えるのは……『あなたが
「じゃあ……
意識の無い俺が……あんたに危害を加えた訳じゃないって事だな?」
「ええ。そうね。
その前に、私があなたを蹴り飛ばして止めたんだもの。
それに、あなたの電脳についても『安心』して。
今回の件で異常は無かったみたいだから」
「つまり俺は……
あんたに『危害を加えていない』し、『電脳の萎縮も無かった』って事だな?」
「ええ。そのとおりね」
「それで……
あんたは……その……
それで……良かったのか」
「『それで良かった』とは?」
そう言った万錠ウメコは相変わらず、笑顔のようだった。
しかし、逆光で彼女の表情は、正確には分からない。
だから、少しの沈黙のあと、俺は言う。
「いや……いい」
「そう?」
と言った万錠ウメコは、「さあ。急ぎましょう。現場は待ってくれないわよ?」と言って、歩き始めた。
そんな万錠ウメコの様子に、俺の心は大きく
彼女が考えていることが、全く分からないからだ。
俺だって、「一夜限りの愛」がある事は理解している。
しかし今回は事情が違う。
万錠ウメコは俺の上司であるし、それ以上に彼女は、俺の”理想の三次元女子”なんだ。
だから、万錠ウメコの事を適当にする訳にはいかないし、何より俺は、彼女の事をもっと深く知りたかった。
つまりハッキリ言うと……
できれば俺は彼女と、接吻の先の行為まで、してみたかった。
“一方で”……いや……“だから”かもしれないが、俺は知らない間に彼女に襲い掛かっていたらしい……。
それは、もしかしたら“パンツァーの所為”かもしれないが、
俺は、一体どうすれば良いんだ?
以前に万錠ウメコも言っていたし……”責任”と言うのを取らなければ、いけないんじゃないのか?
俺と万錠ウメコは、付き合って………”恋人”ってヤツにならないといけない……のじゃ無いのか?
しかし、当の万錠ウメコ本人は、何食わぬ顔で仕事に戻ろうとしている。
しかも、月影シノブの話を聞くに、万錠ウメコはバイセクシャルな訳だ。
月影シノブは、「お姉ちゃんは女性にモテモテ」とも言っていた。
つまり、それじゃあ……
あのとき万錠ウメコが言った「好きよ」というセリフも……あの濃厚な
俺は昨日の夜の、あの時、完全に彼女に夢中になっていた。
しかし今、その――心を鷲掴みにされたような感情は、戸惑いと混乱で完全に
俺は、この気持ちをどうすれば良いんだ?
俺は、万錠ウメコとどう接したら良いんだ?
―――――――――
事件現場のクラブ――”
以前にも言ったかもしれないが、西アイドル事務所の職員は基本的に女性ばかりだ。
俺と万錠ウメコはクラブの入口の階段をくだり、いわゆる”フロア”と呼ばれる場所に降りた。
そんな俺達を見て、黒髪ボブで大きな眼鏡を掛けた
彼女はこの現場の指揮を
もちろん胸は無い。綺麗にまったいらだ。
見た目だけならSABIちゃんと同じぐらい”ロリ”ってる。
つまり、彼女のことを端的に表現すると「メガネ理系ロリ(仮)」と言える。
そんな”メガネ理系ロリ(仮)”は、可愛らしいアニメ声で万錠ウメコに言う。
「やっと来たな。ウメコ……。
ウチの時間をどれだけ取れば、気が済むんや?」
万錠ウメコが答える。
「ごめんね?ツバキ。
それでも、“仕事”は終わったんでしょ?」
ツバキと呼ばれた”メガネ理系ロリ(仮)”は、ダボダボの白衣のポケットに手を突っ込む。
ちなみに、ツバキの白衣の下は、ノンスリーブの白ハイネックセーターに、黒のタイトスカートに黒タイツだ。
そんな彼女の服装を見て俺は「こんなところにも黒タイツ美脚が?この世も捨てたもんじゃ無いな」と思ったが、仕事中なので口にはもちろん表情にも出さなかった。
そして、二人の会話から察するに、どうやら”ツバキ”は万錠ウメコと同年代の女性のようだ。
ただ、2人が対面して並ぶとそんな風には見えない。
姉妹か……最悪、親子にだって見えなくも無い。
そんな幼女(仮)なツバキは、ダボダボの白衣から指先だけを出して、バカデカ眼鏡を直しながら言う。
「ほんまに……“所長様”の人使いの荒さには、呆れるわ。
まあ、それでも“所長様”のおっしゃる通り、検視はあらかた終わらせておいたで」
「流石、ツバキね。
いつも頼りになるわ」
「どういたしまして。
ああ……それと、もう一つ、情報があるわ。
ウメコの予想どおり、北奉行所が動いているみたいやで?」
それを聞いた万錠ウメコは、腕組みをして考え、言う。
「北奉行所が動いているって事は……つまり……”アイツら”が動いてるのね?」
「まあ、間違いないやろうな。
まあ、後で説明するけど、“普通の状態やない”。
きな臭い匂いがプンプンするで?……。
っていうか……
この男……だれ?」
と言って幼女(仮)のツバキが、俺の方をむいて質問した。
その質問に万錠ウメコが答える。
「ああ。そういえば……二人とも初めてだったわよね?
紹介するわ。
彼は……西アイドル事務所のプロデューサーの、ナユタ君よ」
万錠ウメコの紹介をうけた俺は、「よろしく頼む」と言いながらツバキと握手をしようとした。
しかし黒髪ボブのツバキは、バカデカ眼鏡の中の瞳を見開いて叫んだ。
「えええええええええ!!??
男嫌いのウメコが!!男を雇ってるぅううう!!」
アニメ声でハイトーンな彼女の声は、良く通る。
だから万錠ウメコは、焦ったようだ。
「ちょ、ちょっと!ツバキ!!
声が大きいわよ!!
それに私は男嫌いじゃないわよ!!」
「え?でも、西アイドル事務所の職員って女ばっかりやん??
やっぱウメコが、女をエロい目で見てハァハァする為やろ?」
「違うわよ!!
勘違いしないで!!
うちの所員全員が女性なのは、それぞれわけがあるの!
とにかく、やむにやまれぬ事情があったの!!」
「ほんまに??ウソくさ!!
ウメコってさ?大学時代から女を
知ってる??ナユタ??」
とツバキに言われて俺は、「へ、へえ?……」と言うしかなかった。
周りを見渡すと、現場検証をしていた他の女性職員たちも、どこかソワソワし始めている。
当たり前だよな。
「所長が女性所員をエロい目で見てハァハァしている」……みたいな話を聞いたら、落ち着かないよな。
性別が違う俺だって、よく理解できる。
そして当の万錠ウメコ本人は、珍しくかなり焦っているようだ。
その顔は、真っ赤だった。
その様子を見て俺は、どこか嬉しい気持ちになった。
例えるなら、鬼の弱点を見つけた桃太郎のような気持ちだ。
だから俺はこっそりと電脳内メモアプリを起動し……
『万錠ウメコの弱点はツバキ』とメモった。
そんな万錠ウメコは、赤い顔のまま腕組みをして言う。
「ツバキ。
悪ふざけも、いい加減にしてちょうだい。
私は、
所員にやたらめったら手を出したりしないわ!!」
その万錠ウメコの言葉を聞いて、ツバキは意地悪そうな笑顔で――
「ふーん?ほんまに……?」
——と言い。俺も――
『へー?俺に
――と思った。
そんな俺の視線を感じたのか、万錠ウメコは俺の方を向き、真っ赤な顔で俺を睨んで言う。
「なによ?その顔??
言いたいことがあればハッキリ言いなさいよ??」
しかしその――万錠ウメコの普段見せない表情が、あまりに可愛かったので、
俺はまたもや、アホの一つ覚えみたいにドキッとしてしまった。
だから俺も、顔を少し赤く染めて言う。
「い、いや……何でもない」
くそ!!どっちみちダメじゃないか!!
万錠ウメコの弱点を知ったとしても、結局、可愛いままじゃないか!!
彼女の弱点を突いてもダメージを受けるのは、結局、俺の方じゃないか!!
そんな感じで俺が、万錠ウメコの魅力にまたしてもやられているところで、ツバキが俺の方を向き俺の顔をマジマジと見る。
メガネの奥の彼女のグレイの瞳と、俺の視線が交差する。
マズイ!!顔が赤くなったのがバレたか??
そしてツバキは言う。
「それにしてもナユタ……。
あんたって……
”お岩さん”みたいな不気味な顔してるんやな……」
そう言ったツバキの表情は、真剣そのものだった。
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