46話 出勤しよう2

 俺の家がある”プレハブ長屋”は、10階建てだ。


”プレハブ長屋“は、オオエドシティーの貧民街でよく見られる建物だ。


それは、無骨なブリキ製の直方体を縦横に敷き詰めた集合住宅だ。


狭い土地に100~300世帯が詰め込まれる。正に“うなぎの寝所”と言える。

 

 ちなみに俺が住む長屋の名前は、”メゾン一国いっこく”と言う。


ここに住めば誰だって一国一城の主って訳だ。



 俺と月影シノブは、そんな”メゾン一国”の共用部の鉄製の無骨な20人乗りエレベーターに乗り込む。


俺達を乗せたエレベーターは、ぶっ壊れそうなモーター音と共に動き始める。

”エレベーター酔い”をする程に、よく揺れる。


 そんな、おんぼろエレベーターの中で、俺は落書きだらけで錆びだらけの鉄製の壁にもたれ掛かり、”メキシカンチリドック焼きそばパン”をかじろうとしていた。


 その時、月影シノブは俺に言う。


「プロデューサーさんは昨日の夜……

お姉ちゃんと2人っきりで、呑みに行ってたんですね?」


「げほ!!ごほ!!」


 彼女の断定的かつ唐突な質問に俺は咳き込む。

パンを食う前で良かった。食っていたら、きっとパンを吹き出していただろう。


「ど、どうして?……その事を、知ってるんだ?

 タマキに聞いたのか?」


「いえ。

 プロデューサーさんの着物から、お姉ちゃんの香水の匂いがしましたので」


 どうやら、天然系と見せかけて月影シノブの嗅覚は、鋭いっぽいな。

いや逆に、天然系だからこそ……か?


 そんな俺の様子を、まじまじと見ながら月影シノブは、さらに質問を続ける。


「プロデューサーさんは、お姉ちゃんと、どこに呑みに行ったんですか?」


 ここで俺は考える。


 月影シノブの質問に対して、正直に答えて良いのだろうか?


「君のお姉ちゃんの家に言って、酒を呑んで接吻せっぷんしてたんだ」と言って良いのだろうか?


 おそらく、ダメだ。いや、間違いなくダメだ。

俺は一人っ子だから気持ちが分からないが、おそらく彼女達姉妹のタブーに触れる可能性がある。


 そしてさらに俺は、前回の配信から、月影シノブが俺に惚れているのでは無いかと疑っている。


 その事について、お前達からして――


「自意識過剰過ぎ乙」とか、

「ハーレム主人公ムーブ(藁藁藁)」とか、

「百合の間に挟まる男は切腹しろ」とか、


 ――色んな意見があるのは理解している。


 だが一方で事実として……俺はサイバーデビル状態の月影シノブに、直接的に「好き」と言われたんだ。


しかし、そのセリフが本心なのか……

あるいは、一時的な気の迷いで言ったのか……

俺には判断が付かなかった。


 ていうか、10代の美少女で登録者数1000万人のアイドルが、俺のようなアホでうだつが上がらないオッサンを好きになるのだろうか?


そんな事は、非現実的な二次元コンテンツの中だけの話であって、現実世界でありえないと、俺は思う。


 しかも、そんな出来事があってからも、月影シノブの俺への接し方は以前と変わりは無かった。


つまり、それらの状況や事実からして……俺は、月影シノブの今の感情がまったく理解できなかった。


あるいは俺のようなオッサンが、少女の気持ちを理解する事は永遠に不可能なのかもしれない。


 

 ともかく、状況は色々と複雑で、俺が理解できる範囲を越えている。


しかし今は、月影シノブの質問に答えなければならない。



 だから俺は、ひとまず当たり障りの無い事だけを答える。


「二次会として、俺と所長はニューシンジュクのバーに行った」


 月影シノブの表情は変わらない。続けて彼女は俺に聞く。


「その……ニューシンジュクのバーは、女性がバーテンダーをしているところですか?」


「いや。俺達が行ったバーのバーテンダーは、カラクリアンドロイドだったな」


「ふーん。なるほど……」


と言った月影シノブは、考え込むような様子を見せた。


セミロングのシノブがうつむく事で、彼女の表情は薄紫の横髪によって隠された。


 このときの月影シノブの様子は、普段の彼女の様子とはどこか違って見えた。


しかし……「具体的に何が?」と言われると困るが……。


ともかくこの時の月影シノブの様子は、いつもと違って俺には・・・見えた。


 そんなシノブは、呟くように言う。


「つまり……お姉ちゃんは……

 “元カノのお店”には、行かなかったんですね……」


「ああ。‘元カノの店“には行かなかったな。

 え……?

 ……元カノ?

 ……って誰の?」


「お姉ちゃんの元カノです」


「え?

 は?」


月影シノブがグリーンの瞳で、俺をまっすぐ見上げる。

そして彼女は、もう一度、改めて言う。


「ですから……

 私の姉の万錠ウメコの”元カノ“です」


 それを聞いた俺は、滅茶苦茶に驚愕し――


『え?

所長の元カノってどういう事?

百合!?

 え?

でも俺と昨日、接吻せっぷんしたんだけど?

あれって遊び!?

 やっぱ、俺は所長にもてあそばれたの!?』


――と言いそうになったが、頑張って平静を装って、つっかえながらも月影シノブに聞く。


「じゃ、じゃあ……所長って、百合属性持ちなの?」


「いえ。お姉ちゃんは、“全人類を愛せるタイプ”の人です」


「という事は……

 所長ってバイセクシャルなのか?」


「はい。そうです。

 私も詳しくは知りませんが、一応、メインは女性らしいです。

お姉ちゃんの彼女に何人か会ったことがありますから」


「え?何人か!?」


「はい。お姉ちゃんは、女性にモテモテですから」


 『なんだって!?……

 って事は、やっぱり俺は弄ばれたのか!?』と俺は、再び大きく動揺した。


 しかし一方で月影シノブは、再び下を見てボソッとつぶやく。


「それでも今まで……

男の人の話は聞いた事が無かったです……。

 だから、嫌なんです……」


 と彼女が言った時、俺達を運ぶエレベーターが1Fに到着した。


エレベーターの扉は、壮大かつ耳障りな騒音を立てながら開く。


そして、扉の隙間からもれる光に照らされた月影シノブの表情は、何の感情も浮かべていなかった。


しかし、だからこそ逆に、彼女の複雑な内面を表しているように俺には思えた。



 だから俺は、この話題を止めて、シノブから貰った”メキシカンチリドック焼きそばパン”に齧り付いた。


口の中いっぱいに、強烈な異国の味がひろがった。


「うお!なんだこれ!?からッ!!」




――――――




 ”メゾン一国”を出た俺達は、町の喧噪けんそうに呑まれる。


俺が住むイーストブリッジ地区の”ミカエルストリート”は、そこそこのスラムだ。

もちろん、悪名高いアキヴァルハラには負けるが……。


 道路には、ゴミを漁ったり、シケモクを吸ったり、電子ドラッグで意識をぶっ飛ばしている浮浪者が目につく。


こんな場所を月影シノブのような美少女が歩いていると、かなり目立つ。


当の月影シノブは、平常運転に戻ったようで、呑気な笑顔で歩いている。


 一方で俺は、浮浪者達の視線を感じまくって、かなり落ち着かなかった。


 しかし、シノブはそんな事は一切気にせず――


「♪ 衆生しゅじょう一切いっさいが目を奪われていく 君は唯我独尊ゆいがどくそんNEHANねはん ♪」


 ――と変な鼻歌を歌いながら、手に持った学生カバンをブラブラさせ歩いている。


  俺は上機嫌そうな月影シノブに聞く。


「その鼻歌は何なんだ?」


「知らないんですか?

 YOFUKASHIよふかしが歌うアニメのOPですよ?」


「夜更かし?

 ……深夜アニメって事か?

 どんなアニメなんだ?」


「『釈迦しゃかの子』ってアニメで……

 お釈迦様と浮気相手の間に隠し子が居たって設定の、センセーショナルなアニメです」


「それは、センセーショナル過ぎるな。

 一歩間違えれば宗教戦争に発展しそうだ」


「ええ。

 ”十二ちゃんねる”では、”ブッディストガチ勢“達が日夜レスバトルを繰り広げ、スレが立ちまくっています。正に戦争です。

 ちなみに、私が好きなシーンは、アニメ版の5話でして……

 空腹のトラに自分の身を捧げようとするヒロインを、お釈迦様が身をていして守る……言わば、殉教と純愛が交錯する新機軸の展開が素晴らしかったと思います。

 もちろん、時々発生するお釈迦様とお弟子さん達の、ちょっと危ない関係性も見逃せない要素でして……」


 という感じで、シノブが話し始めた瞬間、彼女の“ヲタスイッチ”を入れてしまった事を、俺は後悔した。


しかし、時は既に遅かったようで、彼女は“立板に水”でアニメの解説をしてくれる。


 俺が、「なるほど」「そうなのか」「それは萌えるな」という感じの相槌をしながら、アニヲタ話を“傾聴けいちょう”していると、晴れたスモッグの薄水色の空に、ホログラム広告が浮かびあがった。


 オオエドシティの空には、常時何かしらのホログラム広告が浮かび上がっているから、普段の俺なら目に止めない。


しかし、その広告には「アイドル」とあったのでプロデューサー魂がうずいた俺は、ついつい無意識に音読してしまう。


「……あちきは、花魁おいらんアイドルの兎魅うさみナナ!!

 Fカップの、20歳!!

身体は大人!見た目は子供のロリ巨乳(恥)!!

 チャームポイントは、ウサ耳とミニ丈の着物と、ピンクのドリルツインテールだよ(ぴょん)!!

 このホロを見た“ヲタクちゃん”は、“よいね”と“登録”ぜーったい!お願いだよ(きゅるん)!!

 プレミアム会員になってくれたら“イイコト”してあげるかも??

 みんなであちきの電脳を一杯にしてね(悦)!!」


 そのホログラムを独り言として読んだ俺だったが……。

突然、冬よりも冷たい”何か”を感じ、凍り付きそうになった。


 『もう春も越えて、梅雨も近づきつつあるのに変だな』と身震いをしながら俺は思ったが、横を振り向いて、理由はすぐに分かった。

 

その理由は、さっきまでアニヲタ話に大輪の花を咲かせていた月影シノブが、黙り込み、冷たい視線で俺を見ていたからだ。


月影シノブのその視線には、冷たさを越えて殺意まで感じた。


 焦った俺は、言い訳をする。


「ち、誓って言うが……

 ”個人的趣味“で見ていた訳じゃないぞ?

 彼女がアイドルだから、見ていたんだぞ!?

 プロデューサーとしての”仕事上“の興味だぞ!!」


 そんな俺の渾身の説明を聞いてもなお、月影シノブは無言のまま、緑色の大きな瞳で冷え冷えとした視線を俺に送っていた。


しかし、しばらくして諦めたような表情で「やれやれ」と言いながら、シノブは口を開く。


「私が視線でプロデューサーさんを殺そうとしていたのは、事実ですが……まあ、もう、どうでも良いです」


 シノブが許してくれて少しホッとしたが、視線の殺意は本物だったようなので、俺の気持ち的には『トントン』だった。


 月影シノブは、肩をすくめながら呆れたような苦笑いを浮かべて、続ける。


「それに、プロデューサーさんは——

『ロリコンに加えて、頭の中がお尻とおっぱいで一杯のヒモ体質の変態さん』

——ですので、仕方ありませんね」


 みんな、すまない。俺の間違いだったようだ。


 訂正しよう。『トントン』では無かった。


 月影シノブの俺に対する”変態さん認定”は、確実に上方修正され、新しい領域に達してしまったようだった。

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