43話 バット・ノット・フォー・ミー2

【ナユタ視点】



 時間停止中の俺は、万錠ウメコを両手で抱えた。


 いわゆる「お姫さま抱っこ」という体勢だ。


 月影シノブの時にも思ったが、時間停止中の人間は実際よりも重く感じる。


しかし今は、そんな事はどうでも良かった。


俺は何よりも、彼女に”仕返し”がしたかった訳だからな。


 とにかく俺はパンツァー終了まで、そのままで待った。



―――【 パンツァー終了 】―――



 そして時間停止が終了する。時間が再稼働する。



 空中で停止していたワイングラスが、紺色のソファーの上に落ちる。


 はじけた無数のワインの液滴は、人工皮革に弾かれ、ガラスのローテーブルと絨毯の上に飛散する。


絨毯に落ちたワインは、しみこみ、ひろがり……紫色の絨毯じゅうたん深紅しんくのドット柄を作った。


 万錠ウメコは自分の急な体制の変化に驚き、身体を小さく縮こめた。


その時に、「きゃっ」と小さく叫んだ万錠ウメコの様子がとても可愛いかったので、俺は「ざまぁ」な気持ちになった。


 しばらくして万錠ウメコは状況を理解し、 「どうして?」と俺に言う。


 俺は笑みを浮かべ、それに答える。


「こうなるとは流石の所長様でも、予想が付かなかったか?」


 万錠ウメコは、少し冷静になったのか、驚いた表情のまま呟くように言う。


「え、ええ……。確かに……それは、そうね……」


 万錠ウメコは、俺の腕の中で両手を揃え、身を小さくしている。


彼女のむき出しになった肩が強張っているのが、触れた素肌から伝わった。


 そんな万錠ウメコに、俺は勝ち誇った顔をする。


「仕返し……。成功だな?」


「し……仕返し?」


「そうだ、仕返しだ。

 つまり、

 俺の勝ちだ!」


「ナユタ君の勝ち……?」


「ああ。

 俺はあんたを驚かせて、しかも、落ちてくるワインから俺とあんたを守った。

 流石のあんたでも、予想外だったろ?

 つまり俺の勝ちだ」


 俺のそのセリフを聞いた万錠ウメコは、少し考えたが……すぐに破顔する。


「あはははは。

 そんなくだらない事にこだわっていたの?」


 俺はムッとする。


「『くだらない事』とはなんだ?

”罠”を張ったあんたが言えるセリフか?」


 彼女は悪戯っぽく笑う。

その笑顔はいつもどおりの腹黒そうな笑顔だったが、でも今は少し愛嬌があるように見えた。


「ふふ。”罠“って事は……つまり……。

やっぱり。気付いたのね?」


「当たり前だ。俺は確かにアホだが……。

 煩悩に易々支配されるほど、下半身メインで生きていないからな」


「ふふ。あんなに・・・・大きくしていたのに?」


「あ、あれは!!

 不可抗力ってやつだ。

 ともかく負けを認めるんだな。万錠ウメコ」


 それを聞いて彼女はまたして「あはは」と笑った。


その表情はとても柔らかかった。

心の底から笑っているように、俺には見えた。


 そんな無邪気な彼女の笑顔に、俺は不覚にもまたしてもドキッとしてしまう。


「ふふ……。やれやれ。

分かったわ。認めるわ。

 私の負けね」


「でもどうして、あんな事をしたんだ?」


「罠を張った事?

 ふふ。教えてあげようかな?

 どうしようかな?

 ……でもとりあえず先に、私を降ろして?」


「だめだ」


「え?なぜ?」


 実のところ……俺が万錠ウメコをお姫様抱っこし続けているのには、理由がある。

それは俺の下半身がいまだに”煩悩”から解放されていないからだ。


しかし今は、それを万錠ウメコに知られる訳にはいかない。せっかく彼女の罠を回避して”勝った”んだ。だから今は俺の情けない下半身の状況を、彼女に見られるわけにはいかなかった。


俺だってたまにはカッコをつけたいんだ。わかるだろ?


 だから言い訳をする。


「俺があんたを、抱き続けていたいからだ」


「え?」


 驚いた万錠ウメコは目を見開く。

彼女の淡い黄色と漆黒の瞳が天井の照明を映し出し、濡れたようにキラリと光った。


 俺はまたまた、ドギマギした。


「だ、抱き続けたいって言うか……なんて言うか……

 た、たまには……こういうのも良いだろ?」


「ま、まあ……それは……悪くは無いけれど……。

 でもナユタ君……ツラくないの?」


 それに関しては、ツラい。

万錠ウメコには悪いがハッキリ言って重い。もう無理だ。

しかし一度ウソを言った手前、いまさら正直に言う訳にはいかない。


 今はとりあえず“男のプライド”の為に、よく分からない言い訳を続けるんだ。


「ツラくはない。あんたは軽いからな」


「本当に?私、最近太ったんだけど?」


 腕がツラ過ぎて目線が下がり、彼女のDカップの立派な谷間を目にした俺は「確かにそうだな。おっぱいがパンパンだもんな?」と言いそうになったが、とにかく言い訳を続ける。


「ふ、太ったとか……そんな事は気にするもんじゃない。

 あんたは十分に……スリムだぜ?」


「ふふ。

腕を震わせながら言う事?

 それでも……嬉しいわ」


 と言った彼女は微笑み、両手を俺の肩に回した。


 その事によって、俺の首が下に垂れた。


 俺の顔の鼻が、万錠ウメコのDカップの谷間に、あと5mmまで近付く。


 それは大迫力だった。


名ドキュメンタリーホログラム作品の「世界の斜陽から」でも見れない程の絶景だった。


これ程までに柔らかそうな”人”の文字は、最高品質の筆を使った弘法大師にも書けないレベルだろう。


 そしてそんな絶景の中、万錠ウメコの囁き声が俺の耳に聞こえる。


「ありがとう。ナユタ君。好きよ」


 その瞬間、俺の肩の後ろに回された万錠ウメコの手が俺の後頭部をとらえた。


そして彼女の指の動きにより、俺の頭は左に回り……俺の唇は柔らかい物に包まれた。


 ”柔らかい物”……だって??


 その”柔らかい物”は、万錠ウメコの唇だった。


 俺の唇と万錠ウメコの唇が交わっていた。


 もしかして、これは……”接吻”!?


 接吻に気付いた俺は、万錠ウメコを抱えたまま呻く。


「ん゛!?ん゛ん゛ーー!?」


 そしてさらに次の瞬間、“何か”が俺の唇の間から入り込んで来た。


 その“何か”は、俺の舌先を一度軽く撫でる。


 続いてその“何か”は、俺の前歯をなぞり……


最後にゆっくり俺の舌に絡まって来た。


“何か”は温かく、溶けるような感覚が俺を襲った。


 それはとても柔らかく、とても甘く、とても良い感じの、最高に柔らかい最高の”何か”だった。


 その瞬間、俺の下半身が再び警報を上げる。


「不味いぞ!!ナユタ!!その”最高の何か”については、深く考えるな!!

 落ち着いてきていた俺が再び”変化”してしまう!!

 エッロ!この接吻エッロ!!」


 という感じで、俺の下半身と電脳が再び煩悩に飲まれようとした瞬間……


 唐突に俺は、無音の闇に包まれた。


その闇は、隕石のように俺の電脳に落ちてきて、津波のように俺の意識を飲み込んだ。


 もちろん俺は、その瞬間を知覚する事は出来なかった。


 一瞬で俺の全ての感覚が消失した。



―――――


――――


―――



【万錠ウメコ視点】



 私がナユタ君に抱かれたまま、彼とキスをしていると、ナユタ君は唐突に力が抜けたように崩れ落ちたわ。


「きゃっ!!」


 私は二度目の急な重力の変化に、またしても驚いたわ。


 最初は彼のイタズラかと思ったんだけれど、仰向けに倒れ、目を閉じた彼の顔を見て、彼が本当に気を失ったのだと私は理解したわ。


「ナユタ君?ナユタ君!!??」


 私は彼に声を掛けて体を揺すったけれど、反応は無かったわ。


だから私は目の前にあったナユタ君の胸に耳を当て、心音を確かめる。


そこには確かな鼓動があったわ。


 次いで目線を上げると、彼の胸は上下していて呼吸をしている事も確認できたわ。


 念のため、私はWABISABIを呼び出す。


「へい!WABISABI!!ナユタ君のバイタルを確認して」


 WABISABIがホログラムで出現して、ナユタ君のバイタルを報告する。


「ナユタ様が気絶されましたので、”パンツァー監視プログラム”による緊急プロトコルを起動。

 バイタルは既に確認済みです。

現在、ナユタ様の電脳とお身体に異常はございません」


「彼は突然気絶したのよ?本当に?」


「はい。ウメコ様。

 ”本当“でございます。

 ナユタ様の電脳には萎縮なども見られず、至ってご健康でございます」


「分かったわ。ありがとう。WABISABI」


「いいえ。滅相もございません。

 それではウメコ様。失礼します」


 と言ってWABISABIは、ポップアウトしたわ。


 そして私は再びナユタ君に視線を戻して、現状について思考を巡らす。


『ナユタ君がかなり純情な男性で、キスで昏倒したのなら話は別だけれど……

 状況から考えて、パンツァーが原因で倒れたとして間違いは無いでしょうね?』


 そして私はソファーの上に視線を移す。

座面の上には間接照明に当たり、光る物体がある。


その光る物体はナユタ君が持って来た、例の“四角い銀色の袋”だったわ。


 私はそれを拾い上げながら思わず笑う。


「これを私が見つけた時の、彼の慌てようったら無かったわね」


 ちなみに……

彼が倒れているにも関わらず、私が冷静なのには訳があるわ。


もちろんWABISABIの報告により彼の無事が分かった事が大きな理由なんだけれど……それよりももう一つ“大きな理由”があるの。


それは彼の下半身が、まだ“屹立”していたからよ。


 だから私はナユタ君に背を向けたまま、四角い銀色の袋を見ながら呟く。


「せっかくナユタ君が持って来てくれたんだし……。使っちゃおうかしら?

 ナユタ君も準備出来てるみたいだし……。

 でも、勝手に使っちゃうと犯罪になるから、一応は本人に許可を取らなくちゃね?」


 ――と言った私はもう一度、ナユタ君の方を振り向くわ。


 そしてその瞬間、私はまた驚く。


「えっ!!??」


 驚いたことに……私の目の前に、倒れた筈のナユタ君が立っていたわz


警戒しながら、私は恐る恐る彼に尋ねる。


「もう……目を覚ましたの?

 ナユタ君?」


そう言って直ぐに、私は彼の様子の異常さに気付く。


 私の前に立ちはだかった彼は、目はうつろで表情が無かったわ。


 つまり今、私の目の前に立っているナユタ君は、私が普段から知っているナユタ君とは全く別人のようだったって事よ。


 私は恐怖を感じて、後ずさりながら彼に声を掛ける。


「ど、どうしたのナユタ君……

 いつも以上に目が死んでるように見えるけれど……」


しかしその時には、既に遅かったわ。


 彼の両手がいきなり私のナイトウェアを掴んだの。


 私は、恐怖のあまり声が出なかったわ。


 そして彼は物凄い腕力で私のナイトウェアを引きちぎったの。

 その瞬間、私が身に付けている物はショーツだけになったわ。


その時になって私は、ようやく声を絞り出す事が出来たの。


「いや!!やめて!!ナユタ君!!」


そんな私の声は今の彼には全く届いていないようで、両手を前に出した彼は、そのままの勢いで私に近付いて来たわ。


 彼の両手が、私の肩と胸を乱暴に鷲掴みにする。


「痛い!!」


 しかし彼は止まる様子は無く、力づくに私を押し倒そうとする。




 だから、私は仕方なく……




 ナユタ君の頭に、”上段後ろ回し蹴り”を浴びせたの。


「ごめんね。ナユタ君。

 シノブに空手を教えたのは、私なのよ」


 私の渾身の蹴りを頭に受けたナユタ君は、きりもみに飛び……


 ガラスのローテーブルを破壊して、再び意識を失ったわ。



 そして戦闘の姿勢を解いた私は、両腕で剥き出しの胸を隠して呟くの。


「どうしようかしら?ローテーブル……

 ちょっと、気に入っていたのに……」



—————

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