35話 月影シノブ

 紫電セツナと月影シノブの、”チート暴力”のとばっちりで意識を失った俺は、すぐに意識を取り戻した。


「最早、死んでいない自分が不思議だ」


――と言いながら、目を開けると……。



 俺は、またしてもシノブの胸の谷間の中に居た。


しかし、今回の俺は、寝転がっていなかった。


 俺は空を飛んでいた。


 何を言ってるのか分からないと思うが、マジで空を飛んでいた。


どうやら、災婆鬼サイバーデビル化したシノブが俺を抱きしめて、空を飛んでいるようだった。


 俺達はオオエドシティーのスモッグの上を飛んでいるらしく……

目の前にはアホみたいにデカい満月が浮かんでいて、

俺のブーツの下には一面灰色の雲が広がっていた。


春の上空の風は、滅茶苦茶に冷たかったが……


俺の身体を包むシノブの剥き出しの肌は暖かく、凍える事は無かった。



 色んなことの意味が分からなさ過ぎて、現実感を失った俺は、レモンイエローの巨大な満月を見ながら呟く。


「……綺麗だな……」


 ツノ付きピンク髪で、ふんどし姿の月影シノブは、翼で羽ばたきながら言う。


「……月って、

 汚いスモッグが無かったら、

 こんなに綺麗なんだね?」


 俺の耳に、

シノブが羽ばたく音が、聞こえる。

同時にシノブの心音が、聞こえる。


それらは、遅くも無く、早くも無く。

リズミカルで、ただただ心地が良かった。


 月影シノブの身体を通して、彼女の声が聞こえる。 

「ねえ?ナユタ? ……楽しい?」


 俺は答える。


「なんのことだ?」


「毎日だよ?

 日常だよ?

 ……楽しい??」


「……楽しい訳が無いだろ?」


「どうして??」


 俺は、ここぞとばかりに不平不満を垂れる。


「書類の山に追われて……

 所長様にこき使われて……

 タマキの下ネタトークに振り回されて……

 暴力の応酬に巻き込まれて……

 最終的に死にかけて……

 俺の日常に楽しい要素なんてどこにあるんだ?」


「……しかも……

 3年ローンだけ残して、バイクは爆発しちゃったしね?」


「やめろ。思い出させるな……。

 また涙が出てくる……」


「ふふふ。ウケる」


「ウケねぇよ」


 彼女が笑う事で、彼女の胸の上にある俺の耳の鼓膜は、くすぐったく揺れた。


 空の世界は、静かだった。


 生まれてこの方、五月蝿うるさい戦場か、五月蝿うるさいオオエドシティーしか知らなかった俺にとって、スモッグの上の世界の静けさは、おとぎ話の世界のようだった。


 冷気に触れる俺の耳に、シノブの声が聞こえる。


「ねえ?私の心臓の音……聞こえる?」


「ああ。聞こえている」


「私の音……好き?」


「ああ……悪くは無いかな?

 なんか……“人間っぽい”」


「“人間っぽい”って何?

 意味わかんない。

 ふふ。ウケる。

 私は“普通の女の子”だよ?」


 ここで彼女の声の音質が突然、変わる。

それは大人の女性の声に、俺には聞こえた。


「私ね? ナユタと一緒に”堕ちたい”の」


「”俺と一緒に堕ちたい”……だって?」


「うん。私ね?

 やる気が無くて覇気のない……

 ”何も無いナユタ”が好きなの……」


「シノブが?……”何も無い俺が好き”だって……?

 冗談だろ……?

 俺は自他共に認める甲斐性なしのクソ野郎だぜ?」


「冗談じゃないよ?

 本当だよ。

 私は、ナユタの事が好き。

でも……つまらないのは嫌」


「つまらない……?

 俺は、いつも”つまらない男”だと思うんだが……」


「そうだね。ウケる。

 ナユタはいつも“死んで腐った”魚の目をしてて……

 ”つまらない男“だもんね?」


「“つまらない”に関しては仕方ないが……

 “死んで腐った“っていう表現はやめてくれ。

 2回死んでるような雰囲気があって、マジで俺の事を言っているみたいだ」


「3回じゃない?死んだの?」


「いや、”2回“だ。

 さっきのは気を失っただけだ。

 だから、2回だ。

 俺は経験者だ。ちゃんと把握している」


「あはは。経験者だって。

 ウケる」


「だから、ウケないって」


 ここで、少しの沈黙があった。


その間に彼女の心音が少し早まったように、俺には聞こえた。


「ねえ?好きだよ?

 本気だよ?

 ナユタ」


 俺は言葉に詰まる。


 シノブの胸の鼓動は、さらに早くなる。


「ナユタは好き?

 私の事?」


「どういう意味でだ?」


「もちろん異性として……。

 決まってるでしょ?」


「……アイドルとして……なら、

 好きと言える。

 ただ……俺は仕事に私情は持ち込まない」


「なにそれ?」


「俺はプロデューサーで君はアイドルだ。

 それ以上の意味は無い」


「ふーん。そうやって大人なフリをするんだ?」


「フリじゃない。大人なんだ」


「それって、そんなに気持ちいいの?」


「気持ち良くは無い。

 でも、そういうもんなんだ」


 シノブは不服そうな声で言う。


「つまんない」


「俺は、つまらない男だって言ってただろ?」


「誤魔化さないで」


 と少し怒った声で言ったシノブは、俺の頭をさらに強く胸に押し付けた。


俺はシノブの乳房の素肌の弾力と、その奥にある肋骨の硬さを感じた。

“満月が輝くおとぎの世界”の中で、シノブの胸には、唯一の存在感があった。


そして彼女の肌の匂いに包まれた俺は、眠ってしまいそうな程の安堵を感じてしまった。


 しかし、そんな俺の”束の間の感情”を打ち消すように、彼女は言う。


「でも、まあ、もういいや。

 とにかく……私は、ナユタと一緒に”堕ちたい”の。

 どこまでも、どこまでも……地中を越えて……地獄を越えて……どこまでも、深く深く……。

すーーーっと、ずーーーーっと、

……”堕ち続けたい”の」


 そう言った彼女は、突然、俺を胸から離した。


途端に、俺の全身が寒空に放り出される。


俺の体が重力に引かれ、自由落下が始まる。


俺の内臓が浮き上がる。


春の冷気が俺を切り刻む。


 スモッグの雲が凄いスピードで上昇していく。


 そして彼女は、「あはは。浮いてるみたい」と無邪気に笑う。

風で巻き上がった彼女の前髪の下からは、透き通る白の頭皮が見えた。


「どう? ”堕ちる”のって最高じゃない?」


 着物が激しくはためく音の中、俺は叫ぶ。


「どこが最高なんだ!?」


「死にそう?」


「ああ!寒くて!怖くて!

 死にそうだ!!」


「あはは。可愛い!

 『生きてる』って感じがするでしょ?」


「『死にそうだ』としか思えない!!」


 微笑むシノブの瞳には、バカでかい満月が映り込んでいた。

それは彼女の燃えるような赤の瞳に溶け込み、黄昏たそがれの色を俺に思い起こさせた。


 そして彼女は、その“黄昏の瞳”を少し伏せて、どこか哀憐あいれんが漂う笑顔を浮かべて俺に聞く。


「ねえ?わたしの事、好きでしょ?」


「は?」


「ナユタって、わたしの事、好きなんでしょ?」



 その瞬間、俺達はスモッグの雲の中に突入する。


視界が暗闇に覆われる。


 そして闇の中、シノブは言う。


「だから……

 ねえ?好きって言って?」


「・・・」


「ナユタの全て・・で、好きって言って抱きしめて?」


「・・・」


「また誤魔化すんだ?」


「誤魔化してない」


「じゃあ、何なの?」


「……なんて言って良いのか……今は、分からない」


 そして俺達は、スモッグの雲の中を抜けた。


 ネオンとホログラムで彩られた、小汚い夜のオオエドシティーが、目に飛び込んで来た。


 暗闇に慣れつつあった俺の目を、極彩色の光が突き刺す。


俺は光から逃れるように、天を仰いだが……空はスモッグに覆われ、バカでかい満月は灰色の朧月おぼろづきとなり、浮かんでいた。


 そんな俺に反して、月影シノブはオオエドシティーの狂乱の夜景に、目を落とす。


そして彼女は、独り言のように言う。


「やっぱ、つまんないね」


 そう言ったシノブの表情は、

オオエドシティシティーの夜空に浮かぶホログラムの、ドギツイ水色の反射光により、笑っているようにも泣いているようにも見えた。


 そして俺達は、さらに自由落下を続ける。


 汚い街が俺の目前にどんどん迫る。


 恐怖が高まる。


 生々しい死の予感が、近付いてくる。


しかし、シノブは言う。


「“今のうち”だよ?」


 キンザの街並みが見えて来た。

あのやたらと縦に長いビルが“キンザヒルズ”だろうか?


 シノブは続ける。


「わたしが優しいのも、”今のうち”だよ?

だから、ナユタがわたしに甘えられるのも、”今のうち”なんだよ?」


「俺がいつ、君に甘えたんだ?」


 彼女は俺のそのセリフを無視し、続ける。


「だからね?

 もしナユタが”よそ見”してると……

 大変な事になるからね?」


「大変な事?」


 やはりあれは“キンザヒルズ”だ。

紫色のテカテカとした趣味の悪いビルだ。見間違うはずがない。


 そして、サイバーデビルになってしまったシノブは言う。


「そう。大変な事。

 もし、ナユタが一緒に“堕ちて”くれないのなら……私……」


 ここで彼女は、俺の方を向いて無邪気に微笑む。


「私、ナユタの事……っちゃうからね?」


 そう言ったシノブは、オオエドシティーの街並みに目を下ろし、おもむろに口を開いた。


 そうすると彼女の口から、ピンク色のレーザーが発射され……



“キンザヒルズ”に命中した。



 ピンク色のレーザーに貫かれた“キンザヒルズ”は溶断され、醜い輪切りの切断面を露出し、内装の瓦礫を何度も吐き出しながら爆発炎上し、漆黒の爆流を産み出した。


 さらにキンザヒルズのレーザーの爆発は、すぐに道路にも波及し、キンザの街の一角は完全に黒一色に包まれた。


 スローモーションで崩れ落ちる巨大なキンザヒルズからは、ガラスとネオン菅の破片が飛び散り、キンザの夜の光に照らされて、“狂った七色の雪”となり落ちていった。


 そして爆音と轟音はビルの間で何度もこだまし、地獄の鬼の呻き声のような音で、上空の俺達にまで届いた。



 目前のキンザの街の惨状を前にして、俺は口を開けたアホ面をさらす他、無かった。


 最早、完全に現実感が喪失していた。


 だってそうだろ?


 10代の美少女が空を飛び、街の一角をレーザーで焼き払うなんて、あんまり見たことが無いだろ?


 そして、そんな俺にバサバサと大きな翼で近づいて来た月影シノブは、俺の耳元で囁く。


 その囁きは、俺の電脳にじかに響いた。



「いつか、私の一部になってね?ナユタ?」



 そして地上の熱風は、ビルの間で逆巻きさかまき、黒煙と熱気で俺達を飲み込もうとした。


 次の瞬間、俺は月影シノブに抱きしめられ、彼女の翼と胸に包み込まれた。


 俺の目と耳は塞がれ、静寂の闇の中には、シノブの温もりと心音だけが残った。



 ……だから、

この時になって、やっと俺は気付いたんだ。



月影シノブは、忍者であり、アイドルであり、悪魔であり、女性であり……



 それ以上に、少女・・なのだと。


 

……それも、取り返しが・・・・・付かない・・・・程に…………。




――――――


――――――


――――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る