31話 電子の枯山水1

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【SAFE mode 起動 “DENSHI NO KARESANSUI”】


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 縁側えんがわに座った俺は、枯山水かれさんすいの庭の、ピンクの梅の花を見ながら茶を飲んでいる。


竹林から朝の光がもれて、枯山水かれさんすいの白の庭に、グリーンの複雑な影を作っていた。


 ししおどしの音に混ざり、近くの松から鳥のさえずりが聞こえて来る。


「メジロかな?」


 と俺は呟き……茶をもう一口、すすった。


 そうしていると、俺の後ろから衣擦れの音が聞こえて来た。


振り向くと、松の模様が描かれた青緑色の着物の美女が居た。


「わたくしが淹れたお茶は、いかがでしょうか?

 那由多なゆた様?」


 と、その美女は俺に聞いた。


 俺は緑色のショートヘアの彼女に答える。


「控えめに言って…… 最高だな」


 彼女は、慈愛に満ちた微笑みで言う。


「もったいないお言葉にぞんじます」


 彼女のその笑顔は、淡い日差しに照らされて、どこまでも清廉せいれんに見えた。


そして、彼女は、着物の裾を抑えながら、俺のすぐ横に、ゆっくりと正座した。


 ししおどしの音が、また聞こえた。


 彼女は、枯山水の庭を真っ直ぐ見ながら、静かな声で、俺に聞く。


那由多なゆた様は…… この場所がどこか、ご存知でしょうか?」


 俺は答える。


ほがらかな気候の中、美しい枯山水の庭を見ながら美人のWABIちゃんの最高の茶を飲み……。

 なおかつ、WABIちゃんと一緒に“ぜん”な時間を過ごしている……。

 つまり……ここは、天国だろ?

もし、天国じゃ無いのなら、楽園だな。

 じゃなきゃ、こんな最高な状況がある筈が無い」


 WABIちゃんは口に手を当て、また微笑んだ。


 彼女のつつましい笑顔は、ここにある何よりも美しかった。


「あまりに勿体無いお言葉でございます。那由多なゆた様。

 しかし、残念ながら……

 ここは、天国ではございません」


 俺は言う。


「まじか……。

 じゃあ、地獄か……。

 いや……そうなると……地獄の意味自体が崩れるんだが?」


 WABIちゃんは答える。空気を通して伝わる彼女の声は、鈴の音より心地良い。


「ここは……プログラムの中でございます」


「プログラムの中だって?……いや……じゃあ、

 え?俺って、死んでないの!?

 いやでも……

 ……ここってどこ?」


 俺は、かなり混乱して、かなり間抜けな質問をした。


 WABIちゃんは続ける。


「混乱を招き申し訳ございません。

 正確には、ここはWABISABIのプログラムの中でございます。

 さらに子細に申しますと……。

 ここは、『わたくしの中』でございます」


 俺は、聞く。


「『わたくしの中』って事は……

 今俺は、『WABIちゃんのプログラムの中』に居るのか??」


「はい。その通りでございます。

 今、那由多なゆた様は、WABISABIアバターの一つ——WA81型——通称“WABIちゃん”のプログラムの中に組み込まれていらっしゃいます」


「なぜだ??

 なぜ俺がWABIちゃんのプログラムの中に?」」


「わたくしも分かりません」


「WABIちゃんでも分からないのか?」


「はい。

 おそらく、直前まで那由多なゆた様が、ご使用されていたパンツァーと電脳リンクが関与しているかと存じますが……

有機生命体である那由多様が、わたくしのプログラムの中で存在していること自体が、WABISABIにとって理解不能の事態でございます」


「わ、WABIちゃんでも俺の状態は、理解不能なのか……。

 じゃ、じゃあ……、

 俺ってやっぱり……死んだ??」

 


「いいえ。那由多様は、亡くなられてはいません。

生きていらっしゃいます。

 なぜなら、こうして、わたくしと会話をされていらっしゃいますから」


「俺が生きてて、WABIちゃんの中の存在になってるって事か?

 訳が分からないんだが…しかし…

 いや……シノブは……??」


「シノブ様は、現在……

 現実世界にて悲しみに暮れ、

 お泣きになられていらっしゃいます」


「シノブは……

 俺が死んだと勘違いして泣いてるのか?」


「はい。

 シノブ様は、“那由多様の為”に、泣かれていらっしゃいます」


 その話を聞き、俺の心は、なぜか刺し貫かれたように痛んだ。それは、以前にどこかで感じた事がある痛みだった。


そして、その瞬間に俺は、自分のやるべき事を思い出した。


 俺は、プロデューサーだ。

 俺は彼女を守り、彼女をヒノモトで1番のアイドルにしなくてはいけないんだ。


 だから俺は、湯呑みを置き、立ち上がって、言う。


「シノブを守りに行かなければ……」


 しかし、そんな俺の着物の袖をWABIちゃんが、掴んだ。


驚いた俺は、振り返り彼女を見る。


 WABIちゃんの瞳の藍色は海より深く、同時に静かに輝いていた。


 そして、真剣な顔でWABIちゃんは、言う。


「……お待ち下さい。那由多様」


「何故だ?

 俺は急いでシノブの元に

 戻らなければいけないんだ」


「お気持ちは、察しますが……

 しかし、お待ち下さい」


「何故だ?理由を教えてくれ」


「なぜなら、那由多様がお急ぎになる必要は、無いからでございます」


 WABIちゃんは正座のまま俺の方に向き直り、話を続ける。


「”WABISABIの中の世界“では、時間の進み方が、現実世界の10のマイナス12乗になります。

 よって……現実世界での1秒は、この世界の約3万2千年に相当する事になります。

——ですので、那由多様がお急ぎになる必要は、全くございません。」


 俺は、滅茶苦茶に驚いて言う。


「3万2千年だって!?

 ……じゃ、じゃあ、例えば……ここで100年過ごしても、

 現実世界の時間は、ほとんど進まないのか??」


「はい。

 ほぼゼロに等しくなります」


「じゃあ、さっきの茶を飲んでた時間は?」


「同じく、現実世界では0に限りなく近い時間でございます」


 当たり前だ。3万年の時間と比べれば、茶を飲んでる時間なんて微小過ぎる時間だ。


 しかし、俺はそれでも納得がいかずに言う。


「じゃ、じゃあ……?

 今の俺は、シノブを助ける為に、急ぐ必要は無いのか??」


「もし、那由他様が、0.0000000000001秒でも惜しいと仰るのであれば、

その限りではございませんが……

 実際的な観点からすると、お急ぎになる必要は全くございません。

それに……現時点で、ご検討頂きたい事が2点・・・・・・・・・・・ございます」


「俺が……今考えないといけない事だって?

 何のことだ?」


「今、この状態でナユタ様が現実世界に戻られても、紫電セツナ様に殺されてしまう可能性が高い事です」


「そんな事は、分からないじゃないか?

 俺にはパンツァーがある。

 時間停止さえできれば、逆転の可能性がある」


「ええ。もちろん。那由他様のおっしゃるとおりでございます。

 しかし、現時点の那由他様のお身体は、左義腕を失い、重篤な火傷を負い戦闘不能の常態でございます」


「それは……確かに……そうだったな。

 枯山水の庭で”禅”し過ぎて忘れていたが……

俺は、紫電セツナの雷葬を食らったんだった……」


「ええ……直前に電脳リンクのバフにより、直撃を避ける事は出来ましたが、那由他様のお身体のダメージは深刻です」


「そんな状態の俺がパンツァーを使って勝てるのかと言うと……確かに、無理かもな……」


「はい。よって……

那由他様に2つ・・のご提案がございます。

まず1つめとして……”エモとら”――正式名称:エモーショナルトランスフォーメーションシステムのご使用についてです」


「”エモとら”って言うと、

”電脳リンクlv.10”で使えるようになった機能だな?

確か、『緊急時に自動起動する切り札』だった筈」


「はい。シノブ様の語彙を拝借して簡単に説明

いたしますと……。

 ”エモとら”とは、シノブ様が変身して”ツヨツヨアイドル”になるシステムでございます」


「なるほど。シノブが“変身してツヨツヨ”になるのか。

しかし……

”エモとら”がメリットだけの機能なら、今の俺に許可を取る必要は無い筈だ。

つまり、エモとらには、何かデメリットがあるんだな?」


「はい。詳細な説明は省きますが……

 ”エモとら”は、研究段階の試験的なシステムですので、プロデューサー様の電脳への悪影響がある可能性がございます」


「俺の電脳への悪影響って……もしかして、パンツァーみたいに電脳が萎縮する事か?」


「ええ。

 電脳リンク――ひいては、“エモとら”は、パンツァーに対抗する為に万錠カナタ博士が、WABISABIに実装したシステムです。

特に電脳を限界まで使用する”エモとら”においては、パンツァーと同様の悪影響がある可能性が考えられます」


「つまり、シノブを助ける為に……

 俺の電脳へのさらなるダメージを許容できるかって事だな……?」


「ええ。那由他様のおっしゃるとおりでございます。

 パンツァーに加えて”エモとら”……どちらも、那由他様の電脳にダメージがある可能性があります」


 また、ししおどしの音がする。


その音は、この場所の澄んだ空気のなかで、何度もこだました。


「――それでも、那由他様は、”エモとら”のご使用を許可されますか?」


 その、WABIちゃんの質問に俺は即答する。


「愚問だな……。

 俺は、既に覚悟を決めている。

 最早、電脳の萎縮程度で悩まない。

 俺は、エモとらの使用を許可する」


「わかりました。

 それでは、那由他様の電脳をシノブ様の電脳処理に充て、エモとらの起動準備を開始します。

それと合わせて…2つ目のご提案です」


「え?2つ目の提案?」


「はい。2つ目のご提案です。

 那由他様……わたくしと一緒になりませんか?」


「は?」


 俺の間抜けな質問に対して、WABIちゃんは、少し恥ずかし気な表情をしながら、それでも澄んだ笑顔で、もう一度言う。


「那由他様……この“電子の枯山水”で……わたくしと、“結合”してください」

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