価値の無い人質

三鹿ショート

価値の無い人質

 彼女の父親を呼び出すために、私は彼女を連れ去った。

 だが、彼女は自身を指差しながら、

「人質としての価値など、私には存在しません」

 私はその言葉を理解することができなかった。

「それは、どういう意味だ」

「言葉通りの意味です。私の父親は、私のことなど、気にしていませんから」

 いわく、彼女の父親は、娘よりも息子に執着しているらしい。

 それは息子の容姿が己に似ていることに加えて、学業成績や運動能力が優れていることが理由のようだった。

 息子が誕生するまでは、娘である彼女が父親から愛情を注がれていたが、今では見向きもしないようだ。

 たとえ彼女が事件を起こそうとも、父親が叱るなどということはありえないと、彼女が断言したほどだ。

 やはり、彼女の父親の身勝手さは、健在のようだった。

 私が彼女の父親を呼び出そうとした理由は、私の妻に手を出したためである。

 実際には、私の妻となる以前の話だが、私の妻は彼女の父親に襲われた過去があった。

 それは、私の妻の肉体を一度で良いから味わいたかったというだけの理由だった。

 事情を知らないとはいえ、私が何の疑いも無く愛情を注いでいたために、黙っていることが出来なくなった妻から、私はその話を聞かされた。

 私は妻を愛していたために、彼女の父親の蛮行を許すことができなかった。

 ゆえに、彼女を利用したわけだが、彼女にも彼女の事情が存在しているらしい。

 しかし、私には関係の無い話である。

 社会的に立場のある彼女の父親の過去を公のものとすると告げれば、黙っているわけにもいかないだろう。

 だが、言葉だけでは行動までに躊躇いが生ずるだろうと考え、私は彼女を利用することにした。

 たとえ娘に関心が無くとも、彼女を見殺しにすれば、それこそ大きな問題と化すに違いなかった。

 だからこそ、私は彼女の父親が姿を現すだろうと考えていた。

 しかし、約束の時間を過ぎても、彼女の父親が姿を見せることはなかった。

 彼女は呆れた様子で、

「言った通りでしょう」

 人質としての価値が無い彼女だけならばともかく、自身の秘すべき過去が露見したところで問題は無いと考えているのだろうか。

 私は、彼女の父親が恐ろしくなった。

 だが、目的を果たすまで、彼女を解放するわけにもいかない。

 私の望みが叶わなかったとはいえ、彼女を誘拐したという事実は明らかであり、それを然るべき機関が知るところになれば、私は無事では済まないからだ。

 私の不安を察したのだろう、彼女は逃げる様子を見せることなく、

「拐かすのならば、私の弟にするべきでしょう。幸いにも、私は弟の毎日の行動を把握しています。その情報を使えば、私のように誘拐することも可能でしょう」

 私は、その言葉に驚いた。

「きみは、自分の弟を差し出すというのか」

 私の問いに、彼女は首肯を返した。

「父親を尊敬しているわけではありませんが、愛情を独占されるということは、面白くありませんから」


***


 彼女の情報に従い、私は彼女の弟を誘拐することに成功した。

 自分が差し出したにも関わらず、泣き喚く弟を宥めるその姿に、私は父親に負けず劣らずの性根を見た気がした。

 息子が誘拐されたことで彼女の父親も本気になったらしく、約束の場所に姿を現した。

 私は彼女の弟の背中に刃物を突きつけながら、私の妻に謝罪するように求めた。

 彼女の父親は考える素振りも見せることなく、即座に頷いた。

 それほどまでに息子が可愛いのかと思いながら彼女に目を向けると、その表情は怒りに染まっていた。

 迷うことなく土下座をする彼女の父親の姿を撮影していると、彼女は素早く父親に近付いて行き、いつの間にか私から奪っていた刃物を父親の首に突き刺した。

 息子が涙を流しながら悲鳴をあげるが、彼女は笑い声をあげていた。

 生命活動が終了したにも関わらず、彼女は己の父親に何度も刃物を突き刺していく。

 やがて、額の汗を拭いながら、私に輝かしい笑みを向けてきた。

「これで、あなたも私も、気分が晴れましたね」

 私は、これからどうするべきか、まるで分からなかった。

 彼女の父親からの謝罪さえ得られれば、娘や息子を傷つけることなく返すつもりだったのだ。

 まさか、人質たる娘が己の父親を手にかけるなど、想像もしていなかった。

 驚いている私に向かって、彼女は人差し指を立てると、

「一つだけ訂正すると、私に対する父親の興味は、完全に消えていたわけではありません。歪んだ欲望を満たすための道具として、私を見ていたのです」

 彼女がどれだけの仕打ちを父親から受けていたのか、私には分からない。

 しかし、迷うことなくその生命を奪ったことを考えると、想像を絶する仕打ちを受けていたに違いなかった。

 彼女は赤く染まった手で私の手を握りしめながら、

「我々は、共犯者です。ゆえに、あなたが私のことを見捨てることなど、ありえないことだと信じています」

 彼女は、価値の無い人間などではなかった。

 価値が無いどころか、彼女の父親に負けず劣らずの、害悪たる存在だったのだ。

 私は、最初から彼女やその父親などと関わるべきではなかった。

 素直に、己の妻だけを愛する人生を送っていれば良かったのだ。

 後悔したところで、既に遅かった。

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価値の無い人質 三鹿ショート @mijikashort

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