A-side:2-8

 時間というのは不思議なもので、たんなる一日。一週間。来週の予定……今居る自分の時間軸から前後一週間ぐらいが、私の手の内に収まる、日常の範囲での時間なのに対し、一ヶ月、半年、一年、二年……この単位は記録としての時間。私の手の内から過ぎ去っていった時間で、どちらも時間であることに変わりはないというのに、一日一日というのはとても希薄で、薄っぺらで、間延びしていて、当たり前に存在している。しかし、半年以上経過したその年月というのは、何か重要で、濃縮された、単なる一日、単なる一週間とは全く異なる、何か取り返しのつかない時間のように感じ取られる。

 歳を取れば取るほど、この一日の感覚は希薄になっていく。何かを始めて、終えた頃には既に日が沈んでいる――なんてことが頻発する。……今日は疲れた、もう動けないなと万年床で寝転がっていれば、これもまたあっという間に時間が過ぎていく。こうして積み重なっていく時間は、日々それ自体はあまりに希薄で薄っぺらだったとしても、やはりそれはかけがえのない半年、一年として私の細い両肩に重くのしかかってくる。

 半ば身内のライブハウス、そのライブハウスで行うライブ……それ以外の、何をしていると言うでもないような、間延びした、薄められた、場末のカルピスサワーのような、酩酊も怜悧も、まして勤勉さなどどこにもないような、淀んだ川の流れのような日々……。

 そのような時間感覚。間延びした日々を体感し、その時間に甘えるようになったのは、私が住むこの街にも理由があるのかもしれない。

 総武線沿線で、荻窪まで三十分圏内。それが私が部屋を探した時の条件で、錦糸町は途中中央線に乗り換えて三十分ちょっと。言ってしまえばギリギリの範囲だが、私はこの街を選び取った。荻窪より西の方は端から検討の範囲ではなかった。武蔵境ぐらいまでなら悪くないが、それより先は山手線圏内からあまりに遠いし、元が海無し県の生まれだからか、出来ることならば海により近い方に住んでみたかった。ついでに言えば、東京という風土それ自体に或る種のコンプレックスがあり、その点、錦糸町や亀戸周辺であれば今も下町情緒が残されていると信じて疑わなかった。……では、実態はどうか。

 錦糸町は、煤けた街だった。

 駅前には場外馬券売場があり、荒川沿いには競艇もあるこの周辺には、昼間から賭博に勤しむ中年男性がたむろしていて、これまた煤けた飲食店に入れば一発当てたおじさんが客全員に酒を振る舞うような場面も稀にある。そうした消費者の動向を反映してか、何か脂ぎった中年男性が喜びそうな飲食店も数多く、女性である私が消費者としてお世話になることは絶対になさそうな店も多数ある。

 住吉・白河の方まで行けば、私が想像していた江戸前情緒を残す町並みの中に点在する手頃なお寿司屋があり、少し遠出とバスに揺られていけば潮風香る夢の島公園。そこから電車に乗れば葛西臨海水族園まで手が伸びるこの土地は、私が求めていた海の香りと江戸の空気を併せ持った魅力ある土地だった。錦糸町駅前が再開発されて、多数の飲食店やお洒落な服屋が入った大きなビルが出来ても、この地域の根本的な性格が変わることはなく、多数の人々がそれら施設に吸い込まれていっても、やはり周囲には、片手に競馬新聞、もう片方の手にワンカップを持った男性がそこらじゅうを歩いている。

 そんな街で暮らしていると……本来であれば否定的に取り扱われるような物事について、酷く寛容に、悪く言えば無頓着になる。

 別に、昼間から酒を飲んでいたっていい。

 別に、職なんかなくったって構わない。

 私は、このぬかるみの中に居続けてもいい。

 ふと何かしらのきっかけがあって、そうしたぬかるみから抜け出そうと努力することもあるが、せいぜい一週間ぐらいしか継続しない。求人サイトを開いてみれば、過去に私が受けてきた不条理かつ理不尽な仕打ちの数々が脳裏をよぎる。……そういう時にはそう、お酒を飲むに限る。ウィスキーその他強い酒で得られる酩酊は全ての不安に対する最高の特効薬だ。心の痛みにも、身体の痛みにも、内臓のきしみ、将来の不安、自分自身のあり方について悩む時――ありとあらゆる場面で酒は有効に機能する。

 何もない日。

 ライブハウスのバイトも、ライブも、それ以外の用事も何もない日。私のここ何年かでもっとも多いこの時間、このような日に私は大抵お酒を飲む。家にあるペットボトルに入ったブラックニッカをスキットルに入れて、チェイサー代わりのチューハイを手に持って散歩すれば、この街はいつでも私を受け入れてくれる。気分が乗れば鯛焼きやたこ焼きでも買い食いすればよいし、お金があればたまには寿司でも食べてみるかという気持ちになり、酒の気分じゃないのであれば水族館にでも行って魚とにらめっこして、図書館でCDを借りるついでに本を読んだりするもよい。近くの飲み屋が飽きたのなら亀戸まで行けばまた違った色彩を持つ飲食店が多数あるし、気まぐれで浅草花やしきに行くこともあり、両国で一つ相撲を観るというのも一興だ。そこらじゅうにあるカラオケに入り、一人エイジアやキング・クリムゾンを歌うのも良いし、家の中で寝転がってエニド含むプログレッシブ・ロックの名盤に親しむのもよい。

 言ってしまえば私の普段の生活というのはこのように、江戸下町の空気と荒川・隅田川、流れる先の東京湾の空気に包まれて、常によどみ、ぬかるみ、優しく、生暖かく……そして、無駄に消費され続けている。こうした毎日を自分なりに楽しんでいるのは紛れもない事実だが、こうした時間がいつまで続いていくのか検討がつかないのもまた事実で、毎日をこのように過ごして一年経過しては、毎年毎に頭を抱えて悩んだりもする。そうした時にもやはり酒は現れ、私の現実を――曖昧に、してくれる。

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