8
「あいつって、アレックスのこと?」
「他に誰かいるのか」
ギルフォードはひどく素っ気ない。
「もう少し優しい言い方したら? アレックスが監督と言い争うなんて、何があったんだろう。オレ、心配だよ」
レインは少々ムキになって言い返す。
「だいたい、ギルはアレックスと知り合いなの?」
「知り合いと言われれば、知り合いだな。同じ代表メンバーだからな」
ギルフォードは人を喰ったような言い方をする。
レインはますますムッとする。
「だったら、少しは気にしてあげたら? ギルは冷たいよ」
「お前が心配する義理はないだろう? もちろん、俺もない」
首をすくめる仕草をして、身も蓋もなく言い切る。
「チームの邪魔になるのなら、バトラーのように出て行かせればいい。それで解決だ」
「ギル!」
「お前も自分のことを心配したらどうだ? あいつのことよりもな」
まるでレインの胸中を読んだかのように告げると、もう興味は失せたというように背を向けて、またフィールドの外へ出て行く。
「ったく……」
レインはぶつぶつと文句を言う。ほんとにギルって人を不愉快にさせるのがうまいよなあと変に感心しながら、どこかモヤっとしたものが心の底を埋める。
――知り合いかあ。
あいつ呼ばわりには少々びっくりしたが、そう口にできる関係なんだろうと推察した。すると昨日の場面が、再び頭をもたげる。
――見るんじゃなかったな……
レインは後悔するように頭をかいた。
――何であんなに気にしちゃったんだろう。
これじゃいけないと、目の前の練習に集中する。ちょうど、ゲイリーが素晴らしいゴールを決めた。
「……ちぇ」
余裕綽々で新しいボールを足で受け取るゲイリーの姿に、レインは羨ましいと正直に思った。
――オレも頑張らないと。
気持ちをうまく切り替えようとしたが、モヤモヤはなかなか消えない。
その後、レインはシュート練習を繰り返したが、自分自身で納得がいかないまま終わってしまった。
その夜、食事を終えたレインは、トレーニングセンター内にある中庭を散歩していた。
昼間の練習は消化不良のままで、レインは昨日のミニゲームと重ね合わせて、かなりがっかりしていた。表情も元気がないようで、一緒に食事をしたゲイリーやスターンからは、あまり落ち込むなと励まされた。レイン自身も気分転換しようと思い立ち、外の空気を吸うことにしたのである。バートンたちのゲームの誘いを断り、Tシャツにジーンズにスニーカーという普段着そのままの格好で、綺麗に刈られた垣根の間をうろうろと歩く。
夜空の空気は心地よかった。深呼吸をすると、体内に溜っている疲労感も軽くなって、気分もすっきりする。
「試合は明後日かあ……」
歩きながら、頭の中を占めるのは試合のことだった。
――オレ、レギュラーに選ばれたいなあ。
国の代表として戦うのだからと思うが、選ばれた選手全員が同じことを願っているだろう。
――そうじゃないと、親父もがっかりするだろうし。
スコットランド人の父親ウィリアムの大らかな笑顔を思い浮かべる。イングランド代表を選択した時の電話での落ち込みようは、レインも少しだけ罪悪感が湧いた。だからこそ、余計にレギュラーに選ばれて試合に出たいという気持ちが強くなった。
――やっぱり、力が入り過ぎて、空回りしているのかな。
ずっと、迷路に入ったように悩んでいる。
レインは大きく欠伸をした。
「もう寝るか」
くよくよ悩んでいてもしょうがないと、立ち止まる。
辺りをくるっと見回した。垣根の両側の背後には、高く伸びた木々が植えられている。幹はすらりと細いが、長く伸びた枝が交差し合い、小さな葉が木々を彩るようにたくさんついている。
――どうしよう。
中庭はそれなりに広い。照明灯のランプが至る所で明るく照らしているので、このまま進んでもセンターのどこかには辿り着くはずだが、結局レインは引き返すことにした。
――中庭で道に迷ったなんて話になったら、おっさんたちに大笑いされるだろう、オレ。
それはすごい恥ずかしかったので、大人しく踵を返そうとした。
ふいに、前方から話し声が聞こえてきた。
誰だろうと、レインは肩越しに振り返る。現在トレーニングセンター内には、サッカーイングランド代表とその関係者たちしか宿泊していないはずなので、自分と同じく代表の仲間が散歩しているのかと思った。
照明灯のランプが、二つの影を地面に長く照らし出す。
視力の良いレインは、近づいているのが誰か、遠目からでもわかった。
ギルフォードとハーツだった。
レインはびっくりした。しかし次には素早く見て、垣根が一人分空いている場所から裏側に回り、咄嗟にしゃがんで身を隠す。
――オレ、何しているわけ?
自分の行動に、自分自身が一番驚いた。何で隠れなきゃいけないわけ? と自分へ問いかけたが、明確な答えは返ってこない。ただ、本能的に体が動いて、垣根の裏側に隠れたのである。
話し声はさらに近づいて来る。
レインは胸に手を当てた。心臓の動悸が激しくなっている。何だかとても悪いことをしている気になった。
――オレ、見られてないよね。
ドキドキするレインの耳に、やがて静かな声が入ってきた。
「君は、いつもそうだ」
ハーツだった。
「そして、私を惑わせる。悪魔のようにね」
えっ? とレインは耳を疑った。何を喋っているんだろうと考えるより先に、ギルフォードの冷淡な声が突き刺さった。
「お前が勝手に迷っているだけだ。自分で出口を探せよ」
「その必要はない。何故なら、それが私の望むことだからだ」
「迷惑だ」
ギルフォードは突き放すように浴びせる。
「俺はもう関係ない。お前のプライベートなんか、その辺に落ちている石ころと一緒だ」
「君らしい言い方だ。だから、憎めない」
ハーツは笑っているようだった。だがその言い方には、ほのかな甘い匂いが絡まっている。
「変わっていないよ、ギル。初めて会った時から、ずっと」
どこか感傷的な囁き。
隠れているレインは、二人の会話にびっくり仰天していた。あまりにも驚いたので、あやうく声も洩れそうになり、もう片方の手で口許を押さえている。
――いったい、何なわけ? この二人。
クラブのチームメイトたちからお子さま扱いされているレインでも、さすがに二人の会話が普通の監督と選手がするやりとりの類ではないことを感じ取った。
――まるで……
レインは身を硬くする。自分のすぐそばで、二人の気配を感じたのだ。
「これだけは伝えたい」
ハーツの声が、耳の奥まではっきりと聞こえてくる。
「私は君を忘れたことはない、一度もね」
「俺は忘れた」
即座にギルフォードは言い返す。
「もう、何も覚えていない。思い出すこともないだろう」
ひどく辛辣である。
「俺は国の代表選手として、ここにいるんだ。お前の妄想につきあうためじゃない」
「ではどうして、今私と二人きりでいるんだ?」
ハーツはギルフォードとの会話を愉しんでいるようだ。
「お前が勝手に俺の後をつけてきただけだろう。昨日の夜もそうだった」
対して、ギルフォードは少々苛々しているようだった。
「ストーカー行為はやめろよ。タブロイドの連中は、お前の離婚理由を探している真最中だろう? 莫大な慰謝料を支払う羽目になるぞ」
冷たく脅すような言葉に、だがハーツは全く動じなかった。
「その時は、正直に話そう。私は、昔の恋が……」
そこで、途切れた。
その場が、一気に沈黙する。
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