7

 その日の練習が終わり、夜、チームメイトや監督にコーチたち、代表関係者全員で食事を取った後、トレーニングセンター内にあるラウンジで、レインは一人でくつろいでいた。ラウンジは各フロアに設置されているリラックススペースで、選手たちが練習の疲れや緊張を少しでも和らげられるようにと、パブのような雰囲気をコンセプトに設計された場所で、選手たちからの評判もいい。

 レインはふかふかのソファーに背を埋め、携帯をいじっていた。初めての代表合宿に呼ばれた緊張感からか、疲れが一気にきていた。


 ――あっという間の一日だったなあ。


 気持ちは両腕を上に伸ばして背伸びしたいが、いかんせん、練習のミニゲームでシュートを一つも決められなかったことが、心に引っかかっていた。


「余計な力が入っている、レイン」


 練習終了後、ハーツは見るからに落ち込んでいるレインに近寄ると、背中を軽く叩いた。


「ここが特別だと思い込む必要はない。君はいつも通りの練習をしていけばいい。それが一番重要なことだ」


 力強い声に励まされて、レインはいくらか元気を取り戻したが、気落ちした気分は中々去らなかった。


「お前は空回りし過ぎだ」


 その後、センター内のロッカールームで着替えながら、ゲイリーも監督と同じことを喋った。


「もっと肩の力を抜けよ。シュートが決まらなくても、人生は続くんだ」

「そうそう、ゲイリーを見ろよ。シュートを何度も外したって、全然人生に困ってないだろ」 


 隣にいたスターンが明るく混ぜっ返す。


「お前はもっとリラックスしろよ。緊張し過ぎだろ。前しか見てないぞ」

「そのとおりだ」


 ゲイリーは仲の良いスターンの背中をどついて、しょぼくれるレインを元気づける。


「落ち込むのは、三日後の試合で負けてからにしろ。今から予行練習してもしょうがないぞ」


 ――力み過ぎていたのかなあ。


 携帯をいじりながら、レインは今日のミニゲームの内容を省みる。普段のクラブでの練習と代表での合同練習とでは、やはり勝手が違うような気がした。


 ――でもおっさんもニースも変わらないよなあ。他のチームメイトもさ。


 ロッカールームを出る時に、キャプテンのヴェールにも声をかけられた。少々案じるような顔になっていたので、逆にそんなに変な様子をしていたのかと心配になったが、気にかけてくれたのが嬉しかった。


 ――ここで悩んでても、しょうがないや。


 レインは携帯を切ると、ソファーから立ち上がって大きく背伸びをした。悩んでもくよくよしない性格なので、部屋に戻って寝る準備に入ることにした。

 ラウンジを出て、自由に歩きながら、宿舎のあるフロアを目指す。トレーニングセンターは広く、夜でも各通路は照明がついていて明るい。途中にある別のラウンジで、バートンとモーリスが向かい合って座っているのが見えた。モーリスは元々ノーザンプールFCの下部組織出身なので、バートンとはユース仲間だった。笑顔を浮かべて親し気に話し合っている二人の雰囲気に、レインもにこにこしながら通り過ぎた。決められた就寝時間まではまだ時間がある。選手たちは各々有意義に時間を過ごしているに違いない。

 部屋に戻ったら音楽を聞こうかなと考えながら、ロビーの近くを通りかかると、話し声が聞こえてきた。その声のする方へ振り返ると、ロビーのすみにある円卓のテーブル席に、監督のハーツとギルフォードがいた。先程のバートンやモーリスと同じく、ハーツがレインのいる方へ向いて、テーブルを挟んで座っているギルフォードは後ろ姿だけ見える。


 ――何をしているんだろう。


 会話の内容まではわからないが、レインから見えるハーツの表情はとても穏やかで、親しい相手と会っているような感じだ。


 ――へえ、知り合いなんだ。


 ここで、思い出した。ハーツはアリーナのユースコーチをしていたのだ。ギルフォードはアリーナのユース出身なので、ハーツの指導を受けていたのかもしれない。


 ――ギルはそういうこと、喋らないもんなあ。


 ロビーから目を離して、レインはすっかり忘れていたことを思い出した。練習時でのアレックスである。

 自分のシュートが決まらなかった件で頭がいっぱいだったが、心が平静になってきて、ポッとそれが浮かんだ。


 ――でも、その後は全然変じゃなかったし。食事の時だって普通だったし。


 ロビーを過ぎて、宿舎のフロアへ続く階段をのぼる。

 レインは軽く首を曲げて、肩を回した。アレックスは優しいルームメイトだ。


 ――深く考えるべきじゃないな。


 うんと頷いて、自分にそう言い聞かせると、まっすぐに部屋へ向かった。


 



 翌日も、午前中は練習だった。

 軽くランニングをした後で、レインはゲイリーたちと一緒にブリストルコーチの元で、シュート練習をした。昨日のミニゲームでシュートが一つも決まらなかったレインは、特にゴールに集中していた。


「おい、息を吸うのも忘れるなよ」


 レインの真剣な眼差しに、ゲイリーはからかうことでリラックスさせようとする。


「わかっているよ、おっさん。オレが息をしていなかったら、すぐに教えてよ」


 レインも明るく返事をしながらも、白いゴールポストから目を離さない。

 ゴールポスト前には、カラーコーンやポールを置き、それらをディフェンダーに見立てて、シュートを打つ。レインはゴールキーパーの位置も確かめながら、繰り返し、ボールを蹴る。


「よし、ゲイリーと交代」


 ブリストルコーチが手前で両手をくるくると回した。少し離れた場所でレインの様子を見守っていたゲイリーは、コーチの動作を真似ながらレインと代わる。


「俺たちも、ハムスターみたいにリズミカルに回れれば楽なんだけどな」

「何言っているのかわからないよ、おっさん」


 レインは気安くゲイリーの腕を叩いて、後ろに引きさがる。頭の中では、ゴールを狙うポジショニングや、シュートを打つ際の足の角度を確認する。どうも調子があがらない。


 ――代表合宿に来てからだ。


 ゴールに対する感覚が鈍っているような気がするのだ。

 レインは珍しく溜息をつく。

 そんなレインを尻目に、ゲイリーがシュートを打った。ボールは勢いよくゴールネットに入る。その力強いゴールに、レインはますます思い悩む。


 ――オレ、やっぱり緊張し過ぎて……


 突如、後方から言い争う声が聞こえてきた。

 レインはびっくりして振り返る。すると、もう片方のペナルティエリア内でセットプレーの練習をしていたアレックスとハーツが、顔を突き合わせて口論していた。


「僕はちゃんとマークしています」

「君のマークは、チョコレートのように甘くて、すぐ溶けるんだ」


 周りにいる選手たちやコーチも、呆気に取られたように二人に注目している。

 レインはアレックスを心配して駆け寄ろうとしたが、先にフィールドの外でウォーミングアップをしていたヴェールが慌てて走ってきて、ハーツとアレックスの間に割って入った。


「何をやっているんだ、あいつは」


 その冷たい声に、レインは横を向く。いつのまにかギルフォードが側にいて、エリア内の様子を冷笑するように見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る