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「――すごいなあ」
レインはその自信あふれるハーツの背中を目で追いながら、素直に感動した。この監督の下でなら、絶対にユーロに出場できるという確信が生まれてくる。それぐらい、ハーツの印象は劇的だった。
胸の中で、三日後に行われる試合への昂ぶりが盛りあがってくる。レインはもうやる気満々になって、とりあえず先に来ていたノーザンプールの仲間に挨拶をしに行った。
「よう、坊主! 待っていたぜ」
ゲイリーはゴールポスト前でシュート練習をしていた。レインが来ると、ボールを足元で止めて、プラチナブロンド色の頭を荒っぽく撫でまわす。
「ようやく、これでお前も童貞卒業だな!」
側にいたニース・スターンもからかいながら、背中をどついた。
「なんだよー! 二人とも!」
レインは痛がる振りをしながらも、馴染みのチームメイトに会えたのが嬉しかった。
「もっと優しくしてくれたっていいだろー」
「何言ってんだ、坊主。新入りはブラシで靴磨きって決まっているだろう」
「そうそう。まずは口の利き方からレッスンしてやらなきゃな」
ゲイリーとスターンはお互いに大笑いしながら、レインを歓迎する。
「なんだよー」
レインも口を尖らせながら、顔は笑顔でいっぱいになる。クラブと全く変わらないチームメイトとのやり取りは、自分を元気にしてくれる。
「オレ、今すぐにも試合やりたい気分なんだから。暇なおっさんたちの新人イジメにつきあってあげる時間なんてないんだよ」
「こら、何だって?」
スターンはげらげらと笑いながら、レインの頭に手を置く。
「さっき監督がお前と喋っていたな。さては、口説かれただろう? ハーツ監督は若くてハンサムガイだからな」
「まあね。イングランド人らしくないって、褒められた」
先程のハーツとのやり取りが甦って、自然と頬がニヤける。
「ははん、俺もイングランド人らしくないって言われたぜ、ハーツに」
ゲイリーがレインの鼻先を、ひとさし指でぽんと弾く。
「ゴールを外した時の、俺の言い訳の英語を聞き取るのが困難だってさ。リバプール行って、英語の勉強をしてくるってよ」
レインは思いっきり吹き出した。
「おっさん、最高だよ!」
「馬鹿、お前もゴールを決められなかったら、すぐにハーツお得意のジョークが炸裂してくるからな。お前だったら、のろまなスコットランド人認定だ」
ゲイリーはしたり顔になって両腕を組むと、隣にいるスターンに真面目くさって頷いて見せる。スターンは手を叩いて爆笑した。
レインも笑いながら、両足を広げてストレッチを始める。だがすぐに、少し離れた場所で一人ストレッチをしているギルフォード・レイリーを見つけると、嬉しそうに駆け寄った。
「ギル!」
背後から元気に声をかけると、交互に片足を持ち上げているギルフォードは肩越しに振り返った。
「何の用だ、レイン」
同じクラブに所属するチームメイトが代表へ初召集されても、普段と全く変わらない冷めた口調に、レインは逆にホッとした。
「別に大した用はないけどさ。オレ、代表に選ばれたのが嬉しくって、それをギルに言いたくてさ」
レインもまた天然のオーラ全開の発言をする。
ギルフォードは運動を続けたまま、呆れたように薄く笑った。
「ああ、お前の馬鹿正直な気持ちはよくわかった。で、俺は代表に初めて選ばれて浮かれているお前に、どんなお祝いの言葉をかけてやったらいいんだ? まずはユーロ落選の棺桶に片足をつっこんでいるイングランドへようこそと言ってやったらいいのか?」
「へへ、相変わらずだね、ギル」
クラブでも名うての毒舌家であるチームメイトには、すでに抜群の免疫力がついているレインは照れたように鼻の下を指でこする。
「大丈夫だよ。オレが頑張って、みんなを棺桶から救い出すから」
「ヒーローになる前に、寝小便をしないように頑張るんだな。心優しいチームメイトからの助言だ」
ギルフォードは足の運動を終えると、レインを向いてウィンクをする。皮肉バターが塗られた言葉とは裏腹に、その口調はゲイリーやスターン同様にレインを温かく歓迎するものだ。
「うん、ありがとう、ギル。オレがおねしょしないように祈っててよ」
レインもはじけるような笑顔で言うと、練習場にいるまた別のチームメイトたちの姿が視界に入った。
「あっ、クリスにテリーだ! じゃあ、またね!」
ギルフォードに手を振って、同じクラブのチームメイトたちの元へ走り出す。その時にふと、誰かの視線を感じた。
レインは走りながら辺りを見回す。グラウンドには他の代表選手たちも散らばり、コーチやトレーナーたちもいる。きょろきょろと見ていると、グラウンド脇に置いてあるクーラーボックスのそばにいるアレックスに気がついた。
グリーンのビブスを着たアレックスは、ボックスを開けてペットボトルを取り出すと、キャップをゆるめて口元へ持っていく。その視線の遠く先には、ギルフォードがいた。
レインは走るのをやめた。ぶらぶらと普通に歩きながら、アレックスの姿を何気ない風に目で追う。アレックスはペットボトルに口をつけながら、ギルフォードの方をずっと見つめていた。ギルフォードは全く気づいていない様子で、今度は体全体のストレッチを始める。
先程感じた視線は、アレックスだったのかと思った。それならば、何を見ていたんだろうと首をひねった。
――何か用でもあったのかな?
まだギルフォードから視線を離さないアレックスを見ながら首を傾げていると、全身で何かにぶつかった。
「……いてっ!」
「こら! レイン! どこ見て歩いているんだ!」
目の前には同じクラブ所属のテレンス・ポーティロが、頭から湯気を出して怒っていた。その側にはボールを持ったクリスティアン・バートンもいて、少々驚いたようにレインを覗き込んでいる。
「あっ! テリーごめん!」
前を見ていなかったレインは、慌てて謝った。
「気づかなくって!」
「俺がホビットにでも見えるのか!」
センターバックも兼任するサイドバックが本職のテレンスは、身長一八〇センチは越える大男だ。ホビットはトールキンの指輪物語に出てくる体の小さい種族である。
「ごめんって!」
レインは素直に謝りながら、視線はアレックスへ吸い寄せられる。アレックスはその声でレインたちの方へ顔を向けていて、自然と目が重なるように合った。
だがアレックスはすぐに逸らして、飲みかけのペットボトルのキャップを閉めると、クーラーボックスのそばに置いて、ランニングを始める。
あっと、レインは口を開きかけた。後を追いかけたい衝動に駆られたが、足が微妙に鈍って動かなかった。
「どうした」
レインのおかしな様子に気がついたテレンスは、怒りを引っ込めて、怪訝そうに眉をよせる。バートンも不思議そうな表情をしながら、レインが見ていた方へちらりと視線を投げた。
「何でもないよ」
レインは手を振って、明るく言う。
「オレ、ちょっとホビットが見えたのかもしれない」
テレンスの言葉をジョークにしながら、ギルフォードをじっと見つめていたアレックスの姿に、戸惑いを覚えていた。
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