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「さて、それじゃ、僕らも着替えて行こうか」
アレックスが振り返ると、レインは元気に「うん!」と返事をした。すぐに窓際を離れ、ボストンバックの前にしゃがみ込み、勢いよくチャックをあける。中からTシャツやトランクス、タオルや携帯、タブレットなどをベッドの上やサイドテーブルに盛大に放り出して、ようやく練習着のシャツと短パンを取り出した。
「そういえば……」
レインはアレックスにバトラーの件を聞いてみた。レインにとってはまだショックなのだが、ヴェール同様にアレックスは冷静だった。
「気にしなくていいよ、いつものことだから」
「でも、今度の試合に負けたら、イングランドは欧州選手権に出場できないんだよ? そんなの考えられないよ」
「バトラーはそういうことを、心で認識できていないんだよ。だから、監督と喧嘩して飛び出すのさ。いつもそうさ」
レインはシャツと短パンを両手で抱えて立ち上がった。アレックスの冷たい口調に少々びっくりした。同じチームメイトなのに、まるで数千キロ離れた見知らぬ親戚を語っているかのようだ。
アレックスは肩をすくめる。
「ああ、僕たちはファミリーじゃないからね。アリーナはこういう薄情なチームメイトが集まったプロフェッショナルなクラブなんだ」
今の皮肉かな? とレインは首を傾げたが、アレックスが開けてくれたドアを急いでくぐった。
「それよりレイン、もしかして緊張している?」
ドアを閉めて、肩を並べたアレックスは、レインの顔を横から覗き込んだ。
「バトラーなんかより、そっちのほうが心配だよ。だって、レインは待望のエースストライカーなんだし」
「えっ! エースストライカーってオレが!?」
「エドワーズが言っていたよ。レインが来たら、俺は鼻歌歌ってボールを蹴っていればいいって。その間にワンダーボーイが三点は入れてくれるだろうからってさ」
「おっさん!」
「レインって愛されているね」
アレックスがレインの肩に腕を回して、にこりと笑った。
「大丈夫だよ。どっちみち負けて処刑台で吊るされるのは、まずエドワーズなんだから。彼だったら鼻歌歌ってロープにぶら下がっていられるよ。で、次はミスをしたディフェンダーで、光栄なことに僕になるかもしれない」
そのおどけた声に、アレックスが自分をジョークで紛らわそうとしてくれているのだというのがわかった。
「ありがとう、アレックス」
「気にすることないさ」
アレックスは何でもないように肩を軽く叩いて、ウィンクした。
練習が始まる時間には、監督やコーチたちがグラウンドに勢揃いし、代表選手全員が集合した。
新監督に就任したゲイブリル・ハーツは、来年四十歳になるまだ若い指導者だが、その実力と名声はすでに認められていた。現役時代は平凡な選手だったが、二十代半ばに怪我で引退し、指導者の道に入ると、まず自分が所属していたアリーナのユースコーチとして頭角を現し、その後中堅クラブの監督に抜擢されると、プレミアリーグの上位の争うまでにチームの成績をあげ、昨年はUEFAヨーロッパリーグの優勝杯を掲げた。この結果が認められ、アリーナから監督の打診を受けたが、これを蹴ってイングランド代表の監督になった。サッカー界では、クラブ監督になれなかった者の就職先と言われる国の代表監督だが、ハーツの決断は世間を驚かせ、イングランド国民を喜ばせた。明らかなのは、この若き監督が愛国心だけで引き受けたのではなく、自らの野望と絶対の自信に裏打ちされて予選敗退の瀬戸際にあるイングランド代表監督に就任したのだということは、ハーツの話を聞いていたレインでもわかった。
「君たちは、勝てる」
まるでモーゼのように、ハーツは宣言した。
「私はそれを証明するために、ここへ来たんだ」
レインはバーン監督を思い浮かべた。自分が所属するクラブ監督は、どんな時もゆったりとしていて、目の前の監督のような強烈さはない。もっともバーン監督は孫もいる初老なので、現役選手のように精悍なハーツ監督とは比べる対象にならないのかもしれないが、レインには新鮮に映った。
監督の話が終わり、ランニングの前に軽いストレッチが始まった。レインは先に来ていたノーザンプールの仲間の元へ行こうとして、ハーツに呼び止められた。
「よく来てくれたね、レイン」
ハーツは手慣れた仕草で手を差し出した。レインは自然にその手を握った。
「初めまして、ハーツ監督。みんなに歓迎されて、とても嬉しいです」
ハーツの手はとても柔らかかった。現役のサッカー選手たちの肉体は、当たり前だが柔らかくて弾力がある。ハーツはとっくに引退したはずなのだが、まるで今すぐにでも選手としてピッチに立てるような雰囲気を滲ませていた。
「代表監督の話を引き受けた時、まっさきに君を呼ぼうと思ったんだ」
ハーツはレインの目をしっかりと見つめながら、話を続ける。
「呼ばない方がどうかしていると感じていた。君は、とてもセンスあふれるストライカーだからね。イングランド人らしくないのがいい」
レインは握手したまま、そのジョークに破顔した。
「オレはスコットランド人の血が半分混じっているから、そのせいかも」
「そう。恐らくそれだ。初めてスコットランドに感謝している」
ハーツは愉快そうにウィンクする。レインは肩の力がすーっと抜けていくのを感じた。ハーツは金髪碧眼の端正な容貌をしていて、全身に男らしい覇気がみなぎっている。そのせいで、相手へプレッシャーを与えてしまう威圧感があるが、率直でユーモアセンスもあるようだ。
レインは右手でガッツポーズをつくると、元気に返事をした。
「オレ、全力で頑張ります。必ずユーロに出場できるように、何が何でもゴールします!」
「君のその素直なところも、イングランド人らしくなくていい。とても期待しているよ」
ハーツは頬に満足そうな笑みを浮かべると、レインの肩を軽く叩きながら立ち去っていった。
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