Lesezirkel


 師走も末の週の終わり、仕事から帰ってきた泡雪は珍しく暇を持て余していた。

 居間の長椅子で飴子が本を読んでいたので、泡雪も傍に腰を下ろして読みかけだった仕事とは関係のない文献を広げた。


 「読書の秋というけれど、冬はどうかな」


 日付がすっかり跨いでしまったころになり、泡雪は読みかけの本から顔を上げて飴子に問うた。


「雪の照り返すささやかな光で文字を追うのも、一興だと思う、わ」


 飴子は読んでいたエッセイに栞を挟んだ。雪こそ降らねど、九州の外れにひっそりと漂うこの街でも冬の荒れた風が吹いている。手から足まで、その先々がすっかり冷たくなるこの季節は、椅子にもたれて読書に興じるなんてとてもじゃあないが内容が頭に入る気がしない。いっそ毛布のなかに本を持ち込んだ方がマシだ。

 読書はやはり秋だろう。秋なら薄いウバのストレートをともにするも良し。


 体を震わせた飴子に、泡雪は温めたティーカップへ紅茶を注ぐ。


「ストロングのアッサム、英国趣味」

「モルゲンタウが良かったかい?」

「季節外れ、よ」


 夜に朝露は降りない。

 飴子は自分のティーカップに遠慮なく濃厚なミルクを垂らした。ミルクを混ぜ、スプーンを受け皿に置くと、泡雪が小皿に並べたショート・ブレッドをすすめてくる。


「夜の食事と、カフェインは、体に悪い」


 特にカフェインは、睡眠を妨げる。


「寝ることなんて考えていないだろう」


 泡雪は飲みかけの紅茶が入ったティー・カップの横に二冊ばかり書物を追加し、ポットにティー・コージを被せると、広げたままの文献を眺めた。

 飴子はカップの半分ほど紅茶を啜り、栞を挟んでいたよくわからない芸術を論じている本をふたたび開く。

 しばらくして、飴子は自分の身体がやや右に傾いているような感じがしたが、さほど気にはしなかった。丁度良い具合に何らかにもたれ掛るかたちになっていたので、飴子はそのまま微妙な姿勢を保ち続けた。



 「アイス・ティーに、なっているじゃない」


 日が昇り切った頃、泡雪に起こされた飴子は、昨夜のアッサムに少し口を付けると眉間を狭めた。ブランケットが掛けられた膝の上には読みかけの単行本が載っていたので、おそらく興味を失うとともに飴子の意識も夢のなかへ飛んでいったのであろう。居間には乾燥した冷たい空気と電気ヒーターの熱が入り混じっていた。冷気にあてられ、飴子は小さいくしゃみをした。冬の夜なべはうっかりしていると風邪を引いてしまう。


「熱帯夜の読書、というのは、どうかしら」


 ティーセットを片付ける泡雪に向かって飴子は訊いてみた。


「古の偉人は夏の夜でさえ蛍をあつめて灯りをこしらえて本を読んだそうだよ」


 頁のうえに無数の水滴をつくりながらだったかもしれないけれど、ね。


 蒸し暑い夜であれば、冷えたモルゲンタウが楽しめるかもしれない。

 夜更かしの怠さと疲れ目が、飴子にさらなる睡眠を催促していた。


 冬はもうすこし続きそうだ。

 春は春で、ほんのりあたためられた陽気のなか、本が睡眠導入剤になってしまうのかもしれないけれど。

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