このやけくそを、どこにいるのかわからない貴女に…
1952年4月30日
つい先日、日本は諸連合国と“おおむね”戦争状態を解消する―昨年締結された昭和27年条約第5号が発効された。北の大国とアジアに、ちょっとした、大きなわだかまりを残して―。
ときを同じくして、戦争末期から箱根にとどまっていたディートリヒは、富士屋統人として日本に帰化した。しかし、その隣に、ドイツを出たときから行動をともにしていたはずの少女の姿はなかった。というのも、いつか父の故郷である日本に行きたいと願っていた少女はその土を踏むことなく、機雷により海の上に消えてしまったからだ。1945年―もう七年も前のことである。勿論、ディートリヒはエーディットが海の底に沈んだなどと一寸たりとも思っていないだろうけれど。
終戦後、ディートリヒが真っ先に求めたのは財だった。この日本で、富士屋画廊を再興させるだけの財。日本にとどまらず、大東亜共栄圏・欧米諸国にまで商いを展開させ、ついにはドイツ国内でも名を知らしめたエーディットの父親・富士屋治一郎。このあいだの大戦で潰えた彼の画廊を建て直すためのそれは、齢十五の少年が求めるには途方もない額だ。けれども、身寄りのない少年だった自身を引き取り育ててくれたにもかかわらず、それを娘を機雷の犠牲にするという仇で返してしまったディートリヒは、画廊をよみがえらせ、海の底からエーディットを見つけ出すことで、恩義に報いようとしていた。かの独裁者による 黄貨の排斥から逃れ、欧州での戦火を切り抜けた彼は、ハの字になった眉をごまかすかのように唇を一文字に引き締め、財を成すために手段は選ばないと言った。
「推参な話です。今や貴方は国籍も持たず、何の後ろ盾もない一人の少年、一丁の銃すらこの手にないのですよ」
彼の計を生意気だと言い切ったショウへあてつけるかのように、この後、ディートリヒは順調に富を増やしていった。戦に乗じて欧米諸国に行方をくらました富士屋画廊所蔵の美術品も、ディートリヒが成人してニ、三年も経てば、リストの三分の一が彼の手元に戻っていた。その頃、彼はもう、闇雲に力を求める弱々しい少年ではなくなっていた。けれども、彼の眉間には、エーディットを見つけられずに過ごした月日の数だけ筋が刻まれていった。富士屋氏への恩だけではない、エーディットへの感情は、彼の眉間の筋の本数を増やし、その溝をさらに深くした。
「本物の銃はこの手になくとも、私の心には一斤一分の鋼がある」
乾いた笑みを浮かべながら、その鋼をゆっくりと構えるディートリヒの隣で、ショウは静かに煙草の煙を吐き出した。
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