少し早めの初夏、酷く、愛しい貴女へ

 1996年4月2日


 この“街”はひまわりの季節が早い。


 年が明けて桜が満開になったと思えば、翌月にはそれがもう散り散りになり、道の路肩は立派なひまわり畑に変わるのだ。次々と季節を先取りしていくような風景の移り変わりは、この“街”が、“なにか”に追いつきたくて、無駄に生き急いでいるかのようだった。梅雨入り前の束の間の晴天に眩しく映えるひまわりは、その原動力を象徴しているかのように思えた。


 そしてそれらは、まるで十年ものあいだ、彼女の背中を必死で追いかけ続けた僕を思い起こさせる。


 一昨年、たった一人の肉親であった母を伴って“故郷”へ戻った綿子さんからは、今でもきまぐれに便りが届く。生来、物事に対して不精な彼女にしてはよく続いているものだ。けれども、その中身は彼女らしく話題が散逸しており、ヤマなしオチなしの文章がとめどなく綴られている。昨年などは『貴方なら、自分の娘になんて名前を付けたいかしら?』なんて突拍子もない問いを振られたので、このとき、ハーブキャンディーを口に入れていたことを思い出して、適当に『飴子』と返事に書いておいた。もしかして、あちらで意中の相手でも見つけて結婚の予定でもあるのかもしれない。別れ際に「離れても貴方への愛は忘れないわ」と言っていたくせに酷い人だ。


 出会ってから別れるまで丸十年。どんなに頑張っても追いつけない歳の差と、気が付いたら目の前にいなくて、ずっと先を歩いている広い歩幅を埋めるため、僕はひたすら綿子さんを追いかけた。ふとした瞬間に見失わないように。太陽に向かうひまわりのように、思いっ切り首を前に出して。そうだ、昔、大きなひまわり畑が出てくる映画を観たことがある。あの映画では、行方知れずになった夫を探す妻をひまわりにたとえていたそうだが、僕と綿子さんでは僕がひまわりで、綿子さんが太陽だった。


 けれども、太陽を見失ってしまったひまわりは求めるものもなく、長く伸びて重力に逆らえなくなった茎をただただうな垂れさせるだけとなった。下を向く茎は、そのうち頭の重みに耐えきれず折れてしまうだろう。太陽は、無意識のうちに育てすぎてしまったひまわりを覚えていてくれるだろうか。


 もうすぐ雨の季節になる。


 強い大粒の雨に打たれて朽ちてしまう前に、無責任な貴女は僕のことを思い出してくれるだろうか。


 十代最後の春、僕は幼いころから抱き続けている恋心を、とうとう二十歳末々まで持っていくことにしたのだった。

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