第196話
「顔をあげてください」
落ち着いた声に、俺は言われた通りに顔をあげる。
隣では、同じように霧崎さんも頭を下げてくれていて、同じように動くのが視界の端に映る。
「確かに巻き込まれたことに関しては多少の不安は感じていましたが……あの場には麻耶さんもいましたからね」
「……どういうことですか?」
「お兄さんが、あの場に来ないはずがないじゃないですか」
「いや、まあ……それはそうなんですけど」
「それに、悪いのはあなたではないじゃないですか。まあ、今後もこういうことはあると思いますが、流花のことも気にかけてくれるのであれば」
「ええ、もちろんです。流花は大事な大事な麻耶の友達ですからね! この命に代えてでもお守りますよ!」
「それは、安心です」
大河さんは柔らかな笑顔を浮かべていた。
……色々と思うことはあるだろうが、それでも受け入れてくれた彼にほっとする。
「それに何より……私も日本人と、同じ日本人が大活躍する場面を見られて嬉しいと思っています。そんな人と自分の娘が知り合いというのは嬉しい限りですよ。流花も、お兄さんともっと仲良くなりたいみたいですしね」
「お、お父さん……っ。変なこと言わないで」
「変なこと? 別に変なことを言ったつもりはないけど……どこが変なことなんだい?」
何か、大河さんはにやにやとからかうように流花を見ている。
その様子を見た流花は、じろりと大河さんを睨みつけ、一言。
「……嫌い」
ぼそりと呟くように言ってそっぽを向いた流花に、大河さんは驚いたような顔の後、慌てた様子で口を開いた。
「い、いや冗談だぞ? る、流花も本気じゃないよな?」
「……」
流花はむすっとしたままそっぽを向いてしまった。
……大河さんの気持ちは分かるな。
俺もたまに麻耶をからかうことがある。その時に、「お兄ちゃん嫌い!」と言われたことが一度だけあって、俺は地面に埋まるほどへこんでしまったからな。
そんなことを考えていると、落ち込んだ大河さんの代わりに流花がこちらを見て口を開いた。
「もう、今日の話は終わったけど……。その、お昼はこちらで用意してるから」
「いや、さすがにお昼まで頂いていくのは悪いっていうか」
「むしろ、食べていってほしい。シェフが用意してくれてるから」
「シェフまでいるのか……?」
「うん」
「でもまあ、残ってたら流花が食べるんじゃないか?」
「食べるけど……食べていってほしい」
食べるんかい、とは思ったが流花がそう言ってきて、俺は霧崎さんと顔を見合わせる。
……まあ、別にお互いこの後特に用事があるわけではないので、大丈夫だろう。
ひとまず、俺たちは屋敷内でゆっくりしているということになったのだが、霧崎さんは少し事務所に電話をするということで席を外すことになった。
大河さんも、仕事の関係の話をすると言ってどこかに行ってしまい、俺と流花は二人きりになった。
流花が何度か深呼吸をした後、こちらに声をかけてきた。
「とりあえず、ここにいても何もやることないから私の部屋に来る?」
「いいのか?」
「うん。お兄さんの匂いを残したいから……じゃなかった。暇だと思うから、ついてきて」
流花とともに部屋を出て、屋敷の廊下を歩いていく。
……本当に大きな屋敷だな。
「ここ、いきなり一人で放り出された迷子になりそうだな」
「迷子になると思う。麻耶ちゃんは、実際迷子になってたし」
「……そうなのか?」
「うん。でもまあ、使用人がいるから誰かに聞けば大丈夫」
なるほどな。
迷子になって右往左往している麻耶を妄想していると、流花の部屋についた。
中に入った第一印象は、なんだか生活感のない部屋という印象だ。
一応冒険者に関連しての道具などはおかれているが、それ以外は特にない。物置、と言われても違和感がないな。
「あんまり私物とかはおいていないのか?」
「ここは私の部屋の一つ。勉強とか集中したいときに使ってる」
「そうなんだな……ってことはまだいくつか部屋があるのか?」
「うん、まあ」
流花は少し目をそらしながら頷いた。
いくつも自分の部屋があるとか、凄まじいな。
……流花と二人になったら、いつもの空気で緊張感もなくなってきたからか、尿意を感じてしまった。
「ちょっと、トイレ行きたいんだけど……近くにあるか?」
「ある。出てすぐのところに使用人の方々も使えるトイレがある。ここからだとそこが一番近い」
「……りょ、了解だ」
俺は堅苦しいスーツの上着を脱ぎながら、部屋を出てトイレを目指して駆け足で移動する。
……近くって言ったけど、思っていたよりも遠いぞ。
学校のトイレくらいの間隔で、トイレは作られているようだ。
いや、ほんと、色々規模が規格外だな。
そんな感想を抱きながらトイレから出た俺は……廊下にいくつも並ぶ扉を見て絶望する。
……どこが、流花がいる部屋だ? 迷った俺だったが、すぐに魔力を感知して流花の部屋を特定することに成功する。
良かった。これなら迷わないな。
そんなことを考えながらまっすぐに向かった扉を開けると、そこは……違う部屋だった。
あれ? 流花の魔力はこっちからも感じたのだが、どうやら普段から使っているものなどが多く置かれているせいのようだ。もう一つ隣の部屋からも希薄な流花の魔力が感じられるので、そっちが本命だな。
普段から、魔力を消す練習をしているのはいいことだ。
……それはいいのだが、なんだこの部屋は?
部屋には、俺のポスターや俺の写真などが大量に貼られていて……ちょっと狂気を感じる部屋だった。
まるでそこは俺の麻耶用のグッズがおかれた別荘のようである。恐らく、この部屋の持ち主が俺のファンなのではないか、というのは推測できる。
だが、ここまで用意周到だと、少し怖い。
………………見なかったことにしよう。
ぱたんと扉をしめて本物の流花がいる部屋へと戻ると、
「……流花さん?」
「ひゃ!?」
流花が俺の上着に顔を押し付けていた。
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