努力

三鹿ショート

努力

 帰途に存在する公園で、私はその少女を目にした。

 疲れた様子を見せることなく、熱心に籠球の練習をしている。

 外灯が彼女の汗を照らし、それは若者の明るい未来を体現しているようだった。

 思わず見惚れていたが、夜も遅く、良からぬ人間に襲われてしまう恐れもあったために、私は自宅に戻るべきだと彼女に声をかけた。

 彼女は私の声を聞くと、腕時計に目を落とした。

 そして、驚いたような声を発すると、慌てた様子で帰り支度を開始する。

 公園の出入り口に立っている私に頭を下げ、彼女は急ぎ足で帰路についた。

 小さくなっていく彼女の背中を眺めながら、私はかつての自分を思い出していた。

 だが、それは良い思い出などではなく、苦々しいものだった。

 それを味わうような未来が彼女に訪れることがないように祈りながら、私もまた自宅へと向かった。


***


 翌日も、彼女は熱心な様子で練習を続けていた。

 私が再び声をかけると、彼女は警戒心を露わにすることなく、私に近付いてきた。

「今日は時計を意識しながら練習しているため、昨日のようなことはありませんから、安心してください」

 口元を緩める彼女を眺めながら、私のことを危険な人間だとは思わないのかと問うた。

 その言葉に、彼女は目を丸くした。

「本当に危ない人間ならば、声をかけることなく、私に手を出していると考えますが」

 一理がある返答である。

 私が頷く姿を見ると、彼女は練習に戻った。

 帰宅したところで何もすることがなかったために、私は彼女が練習する様子を見つめていた。

 何度も球を放るが、それが籠に入る割合は随分と低かった。

 私もまた過去に同じ球技を嗜んでいたため、彼女の実力がそれほど高くはないことが即座に分かった。

 しかし、彼女はめげることなく、練習を続けている。

 上達する日は訪れるのだろうかと考えていると、彼女は球を持ちながら、私に顔を向けた。

 そして、申し訳なさそうな様子で、

「練習の手伝いをしてもらえると、嬉しいのですが」

「私は仕事で疲れている。明日のことを考えると、激しい運動は控えたい」

「私の前に立っているだけで良いのです。相手が存在している状態での動きを確認することができますから」

 立っているだけで良いのならば、拒否する理由も無い。

 彼女の望み通り、私は彼女の眼前で立ち尽くすことにした。

 先ほどまでの彼女の動きが変化し、実践的のように見える。

 しばらく立っていたところで、彼女は頭を下げると、感謝の言葉を述べた。

「これで、今後の役に立つことでしょう」

 帰り支度を開始し、再び私に頭を下げると、彼女は公園を後にした。


***


 それから私は、彼女の練習に付き合うようになった。

 拙いゆえに努力を続けるその姿に、心を打たれたためだろうか。

 やがて、私は立っているだけではなく、自ら動くようになった。

 練習の幅が広がり、彼女の表情はますます明るくなっていく。

 何時しか彼女との時間を楽しみにしている自分が存在していることに気付くまで、それほど時間が必要ではなかった。


***


 常のように公園へと向かったが、彼女は練習をすることなく、長椅子に座っていた。

 格好も運動するようなものではなく、学校からそのままやってきたかのようだった。

 私を認めると、彼女は弱々しい笑みを浮かべながら、

「練習する必要は、無くなりました」

 いわく、彼女は最後の大会に出場するために努力を続けていたのだが、結局試合の一員に選ばれることもなく、加えて、彼女の学校は初戦で敗北を喫したらしい。

 目標に向かって走り続けていたときの彼女は眩しかったが、今の彼女からは生気をまるで感じない。

 燃えがらのような彼女の隣に腰を下ろすと、私は天を仰ぎながら、

「私にも、きみのような時間が存在していた。拙い技術を補うために、あらゆる努力をしたものだが、それが結実することはなかった。それまでの時間は無駄だったのだと、自分で自分を嘲ったものだ」

 そこで私は彼女に目を向けると、

「だが、そのときに得たものが、きみの練習の役に立ったと考えている。確かに試合の一員に選ばれなかったことは悔しいだろうが、きみが目標に向かって努力を続ける姿は、見ていて清々しいものだった。だからこそ、私はきみのために協力をしようと考えたのだ。学生時代を無為に過ごしている人間よりも、きみは遥かに素晴らしい人間だと、私は思う。落ち込むことも理解することはできるが、同時に、きみは誇って良い時間を過ごしてきたのだ」

 何時しか、彼女の双眸から涙が流れていた。

 彼女はそれを手巾で拭いながら、震える声で感謝の言葉を口にしている。

 その様子を見つめながら、私は彼女が羨ましくなった。

 何故なら、今彼女にかけた言葉が、かつての私にかけられていれば、私は異なる人生を歩んでいたに違いないからである。

 努力を続けながらもそれが結実することが無かったため、私は努力という行為が無駄であると認識してしまっていた。

 ゆえに、私は何かに熱心になるということを避けるようになったのである。

 しかし、彼女と触れ合ううちに、それが間違っているということに気が付いた。

 今さら遅いかもしれないが、何もしないよりは遥かに良いに違いない。

 とりあえず、私は今の会社で持っていると役に立つ資格を得ようかと考えた。

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努力 三鹿ショート @mijikashort

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