思うように生きたほうが良い
しばらくの時が経った。
マーウライとは三十日近く会っていない。
畳みかけるように説得してくるかと思っていたが、逆にマーウライからの訪問がぴたりと無くなった。
それがマーウライにとって功を奏したというべきか。
三十日前よりも今の方が、マーウライのことを意識するようになっていた。
「完全にマーウライの手のひらの上だよねえ」
ライラの傍で、ペノの笑い声が鳴った。
ライラはテーブルに突っ伏し、ペノの笑い声を睨む。
「そんなに悪い人でしょうか」
「さあねえ。善人だとしても、ライラに対してかなり入れ込んでるのは間違いないね」
「なんだか魔法をかけられている気分です」
「その辺りは問題ないよ、ボクもロジーも確認済みだからね。ただただ単純に、ライラがマーウライに恋しちゃっただけ」
「そんなはずないのになあ」
「チョロ甘だねえ」
「言い方あ」
ライラは頬を膨らませ、テーブルに額を押し付けた。
その様子を見かねたのか。アテンがライラの傍へ寄った。
ライラの手を取り、励ますように手の甲を撫でる。
ライラは顔を上げ、グナイが持ってきてくれた香茶を飲んだ。
オレンジの香りが鼻腔をくすぐり、全身を包む。
背中がふわりと温かくなったのを感じて、ライラは身を起こした。
悩んでも仕方ないと、引き上げられた気分になった。
「どうしようもねえだろ」
ライラの背中を蹴るように、ブラムの声がひびいた。
仰る通りとライラは内心頷いたが、ブラムに言われたくないという思いも過ぎった。
「まあ、生きていく時間が……違いますからね」
「マーウライは長生きしたところで百年。お前は何百年、何千年と生きることになるんだぜ」
「分かってますよ」
「ま。たまには普通の人生を送りてえって気持ちも分かるがよ」
そう言ったブラムが、窓から街を覗き見た。
邸宅の敷地の外。多くの人々が行き交い、過ぎていく。
その只中に居たいと思うからこそ、ライラは街から街へ転々としていた。
出来るかぎり普通に生きていたいという想いは、やはり簡単には消えない。
「お前はメノス村にいた時から全然変わってねえな」
「……ブラムだって大して変わってないでしょ」
「かもな」
ブラムが両手のひらを上げ、頷く。
テーブルを挟んでライラの前に立ち、懐から手紙を取り出した。
それは、マーウライからの手紙であった。
昨日、こっそりとマーウライから受け取ったのだという。
「あのガキは、もしかしたらお前のことを受け入れるかもしれねえぜ」
手紙をライラに手渡して、ブラムが口の端を持ちあげた。
ライラは手紙を開きながら、首を傾げる。
「どういう意味?」
「マーウライは、お前と一緒になるためなら領主にならなくてもいいんだとよ。街を出て、自分の力でお前を支える覚悟があるらしいぜ」
「……その覚悟があるから、私の力や不老のことも受け入れるということですか?」
「そういうこともあるかもな」
「ブラムのことも知られてしまいますよ?」
「だろうな」
「だろうな、って……」
ライラは顔をしかめる。
しかしブラムは顔色ひとつ変えず、飄々と笑った。
「俺は、お前がそうしてえって言うなら付き合ってやる。そうするって決めてんだ」
「居心地が悪くなってしまうかもしれませんよ」
「俺の居心地が悪くなった時は、お前の居心地も悪くなってる時だ。そうだろ? その時はとっとと逃げちまえばいい」
そう言ったブラムに、ライラは「確かにそうですね」と頷いた。
メノス村を出てから、これまで。ブラムとは一蓮托生の仲なのだ。
ライラはテーブルに手を突き、立ち上がる。
悩んでも仕方ない。
どうしようもないことは、どの道を選んでも多少は在る。
それなら、思うように生きたほうが良いというもの、かもしれない。
「……たまには、とんでもないことをしてみましょうか」
「恋だの愛だのが、とんでもねえことかはしらねえが……まあ、婆さんにとっちゃあ、とんでもねえことかもしれねえな。せいぜい頑張って散って来いよ」
「っはー……殴りたい」
「やってみろよ、その枯れ枝みたいな腕でよ?」
「あああ、言いましたね。ホントに殴りますから。殴りますからあ!」
ライラは拳を握ってブラムに飛び掛かった。
その拳を、ブラムが容赦なく避ける。
ライラは歯噛みして、何度もブラムに飛び掛かった。
そうした賑やかな様子を、テーブルの上でペノが見ていた。
なにを言うでもなく、なにかを考えるように。
しばらくして。
ペノが囁くように歌を口ずさんだ。
その歌はあまりにも小さく、賑やかなふたりの声が掻き消して、気付かれることはなかった。
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