変わらない


家に泥棒が入ってから三日後。

ライラはマーウライに誘われ、食事を共にした。

その席で、ライラは家の財産を失ったと告白した。

失ったのは白金貨で、二百枚ほど。

並の金持ちなら首を吊ってしまうほどの大金であることも明かした。



「今は、もう。恋や愛に揺れている暇はありません」



ライラはマーウライとの間に壁を作るような思いで、言い切った。

次いで、最悪の場合は街を出て親戚を頼らなければならないと告げた。

もちろん、親戚などいないのだが。



(まあ、お金に困らない力を使えば、何も問題ないのだけど)



哀しみの仮面の裏で、ライラは余裕のある心を浮かべた。


当然、ライラは街を出るつもりなどなかった。

カウナは住み心地の良い街なのだ。

予定通り、あと五年は住んでいたかった。

マーウライがライラを諦めてくれさえすれば、すべて解決する。

贅沢はマーウライに気付かれないよう、ひっそりとつづけていけばいい。


ライラの言葉を受け、マーウライはしばらく口を閉ざしていた。

ライラを見据えながら、じっとなにかを考えていた。


その様子を見て、ライラは内心、上手くいったと思った。

マーウライからすれば、ライラは所詮金持ちの御令嬢だ。

金持ちではないライラの価値など、そこらにいる可愛らしい女の子ほどしかない。

ここに至って、マーウライが自分に固執するはずはないと、ライラは考えていた。



「エルナ様」



マーウライがライラを見据えて言った。

澄み切った瞳が、ライラは吸いこもうとしてくる。



「私の気持ちは変わりません」



これまでにないほどの澄み切った声。

マーウライからこぼれた。

その声に、ライラの思考がぴたりと止まった。



「……え?」



……え?


……ん? なんで?


停止した思考の中で、疑問符だけが流れていく。

そんなライラをよそに、マーウライが微笑みを見せた。



「エルナ様のことは、私がお支えします」


「え、えっと、私、邸宅を手放そうとも思っているくらいなのですけど」



そんなつもりはさらさらないが、一応言っておいた。

しかしマーウライが怯む様子はない。



「なにもかもを失っていたとしても、借金があったとしても、関係はありません」


「……それは、関係あると思ったほうが――」


「いいえ、ありません。私はエルナ様のことを愛していますから」



淀みなくマーウライが言い切った。

恥ずかしい言葉を、これほど美しく伝えられる男がいるのか。

ライラはかえって感心し、そして呆然とした。



「で、でも……でも、ですね」


「エルナ様」


「は、はい!」


「私にどうか、エルナ様の手を取るチャンスをくれませんか?」



マーウライの声が、ライラの胸を貫いた。

嘘偽りない、真っ直ぐな想いだと伝わってきた。


ライラの心は揺れた。

この言葉を遮ることなどできるだろうか。

もはや受けるしかないのではないか。

マーウライの想いに押されつづけたライラは、ついに心が傾いた。


直後。

ライラの髪を、力強い気配が震わせた。

振り返らずとも分かる。

すぐ後ろに控えていたブラムの気配だ。



「マーウライ様」



従者らしい言葉と声質で、ブラムが言った。

その声は静かであったが、ライラの思考力を取り戻すには十分すぎる圧があった。



「この場で決めるには、大きすぎる問題です」



ブラムの言葉で、場の空気は一変した。

わずかに前のめりであったマーウライが、微かに顎を引く。



「……ええ、もちろん。私は急かすつもりなどありません。お帰りになってから考えていただきたいです」


「ありがとうございます」



ブラムが一礼する。

ライラははっとして、ブラムにつづいて自らも一礼した。


食事を終えたあと、マーウライが自らの非礼を詫びた。

ライラは非礼などと思ってはいなかったが、謝罪を受けて、帰路についた。

馬車に乗った後、ライラはしばらく呆然としていた。

しかしライラを揺さぶるようにして、ブラムとペノがため息を吐いた。



「なに押されてんだ、馬鹿ライラ」



ブラムがライラを指差す。

ペノがブラムに同意して、小さな頭を縦に振った。



「ライラもまだまだ若いんだねえ」


「……だって」


「おやおや。その表情。クロフト以来じゃない?」



ペノが笑いながら言う。

クロフトというのは、メノス村のあのクロフトだ。

たしかにあの時以来、強い恋愛感情を持ったことはないなとライラは思った。



「……私、……恋、してたのかあ」


「まあ、してたよねえ」


「……あり得ないですよねえ」


「ライラって、純真無垢っぽい男が好きだよねえ。クロフトもそうだった」


「……今日はお断りするはずだったのに」


「完全にマーウライの手のひらの上だったよねえ。ま、最初から格が違ってたってことかな」


「……それって、どういう……?」



ペノの言葉に、ライラは首を傾げた。

同時にブラムも眉根を寄せる。

ふたりの様子を見て、ペノが愉快そうに笑い転げた。



「マーウライはただの商人じゃないよ。この街の、領主の息子だよ?」


「……え?」



……え?


ライラは本日二度目の思考停止となった。

真っ白になった頭の中に、五年前の光景がよみがえる。

この街に来たばかりの日、幼い子供がライラの邸宅前に現れた光景を。

たしかにあの子供の雰囲気はマーウライと似ているなと、ライラはぼんやりと思った。



「だから言ったでしょ。最初から好意を持って近付いてきたって」


「そんなの、私が気付くはずないですよ」


「ちょっとお馬鹿だもんね」


「……もしかして、泥棒も」


「さすがにそこまで悪党じゃないでしょ。泥棒の一件を利用しようとは思っただろうけどね」


「私が利用するはずだったのに」


「相手が悪かったねえ! 領主だの貴族だのは、ちょっとした仕草で相手の心を操る術を幼いうちから学ぶらしいよ?」


「それを知っていて、私を泳がせていたのですね」


「もちろん、そう!」



憎たらしい笑顔でペノが言う。

ライラはペノの長い両耳を掴んで縛り、ぽいと投げた。


ライラががっかりと項垂れているうちに、馬車がライラの邸宅に着いた。

邸宅に入るや、ライラは煩わしい想いを投げ捨て、ベッドに飛び込んだ。

眠気はないが、今すぐに眠りたい。

なにもかもが夢であったと思いたい。

上等な服を皴だらけにして、ライラはそっと目を閉じた。

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