濡れても、いつか


「本当にごめん、ライラ」



友人を追いやったクロフトが戻ってくる。

苦笑いしているが、先ほどまでのぎこちなさはもうない。

ライラもほんの少し気持ちが軽くなっていた。

遠くにいる友人らしき男に小さく礼をしたのち、クロフトを家の中へ招き入れる。



「良い友達ね」



お茶の準備をしながら、ライラは微笑んだ。



「そうかい? まあ、悪くはない奴だよ。あいつも一緒に都へ行くんだ」


「彼も兵士に?」


「そうなんだよ。隣の村の奴でね。少し前に意気投合したってとこかな」


「そう。羨ましいな」



そう言って、ライラは淹れたてのお茶をクロフトに出す。

購入したティーセットが使える、数少ない機会だ。

とはいえ、クロフトに茶器の良さなど分かるはずもないが。



「ライラにもたくさん友達がいるじゃない?」



一気にお茶を飲み干したクロフトが、首を傾げた。

クロフトから見れば、ライラは交友関係が広い人間と見えるのだろう。

行商人たちとの付き合いも、親友のような関係と思っているのかもしれない。


ライラとしては、友人と思える者はソフィヌとクロフトだけであった。

とはいえ、この二人に対してもライラは壁を作っている。

「どうせ、この世界の人間ではない」という思い。

取り除こうと足掻いても、寂しさがさらに壁を厚くしていくのだ。



「……それで、その、ライラ」



クロフトの声が、俯きはじめたライラの心を持ちあげるようにして通った。

見るとクロフトが神妙な面持ちを作っている。


ついに本題を切り出そうというわけだ。

ライラは慌てて姿勢を正し、クロフトに目を合わせた。



「ライラ、前に話したことなんだけど」


「……うん」


「……俺は十日後、都に行く」



決意したような表情で、クロフトが言った。

淀みのない、まっすぐな想いが伝わってくる。


それはライラに答えを求めるためではないようであった。

むしろ自らの覚悟を示すために言ったようである。



「俺は君にも付いて来てほしい」



再び、淀みなく言い切られる。

こういう真っ直ぐな男だからこそ、村の女たちはクロフトを好きになるのだ。

ライラもまた、そうである。

真っ直ぐなこの男は、きっとライラのお金になんてまったく興味がない。

だからこそ「付いてきて」などと簡単に言える。

良くも悪くも、清々しい阿呆なのだ。

その阿呆さが、これまでライラを救ってきた。


ライラの答えは決まっていた。

クロフトもライラがどのように答えるか、本当は察しがついていることだろう。


ライラはクロフトに倣って胸を張ってみせた。

逃げ出したくならないよう、心を強く押さえつける。



「クロフト、私は……村に残ります」



ライラは、声が小さくならないように努め、なんとか言い切った。

ライラの言葉に、クロフトの目がかすかに震えた。


本当のところは、クロフトと共に行きたい。

なにもかもを棄ててクロフトと生きていってもいい気がしている。


しかしそうすることで、虚しさや寂しさが増すと、ライラは分かっていた

未だこの世界とこの世界の人々に、壁を作っているのだから。

その想いがある限り、クロフトと共に生きるという想いには至れない。


「お金に困らない力」のことも、クロフトにはきっと明かせないだろう。

いつかは明かさねばと思いつつも、小心者のライラはきっと口を噤んでしまう。

この力が、クロフトを幸せに出来る保障などないからだ。

むしろ不幸を呼び込む可能性のほうが高いのではないか。


今、想いの流れに乗ったら、きっと後悔する。

クロフトと共に暮らし、愛することで、愛されることで、後悔が増していくに違いない。


それはきっと、今失恋するより辛いことだ。



「……そうか」


「ごめんなさい、クロフト」


「いや、いいんだ。ライラはきっとそう言うって、思ってはいたから」



クロフトが頷き、長く息を吐く。

思いのほか、晴れやかな表情をしていた。

惜しんで言ったようではない。

本当にライラの答えを予想していて、大きな決意を胸にしたようであった。


そうとしても、ライラはクロフトに対して申し訳ない想いが満ちた。



「あの、クロフト。少しここで待っていてくれる?」


「え、え? あ、うん?」



首を傾げるクロフトを横目に、ライラは後室へ入った。

大事に仕舞っておいた箱を取り、そっと蓋を開ける。

中には、トロムの眼が入っていた。

ギロリと動いた目の模様がライラを睨みつけてくる。


ライラはトロムの眼に睨まれながら、前室に戻った。

律儀に椅子に座ったまま待っていたクロフト。

ライラの手にある箱を見て、首を傾げた。



「その箱は何だい?」


「贈り物です。私から、クロフトに」



そう言ってライラは、トロムの眼をクロフトに見せた。

クロフトが一瞬驚き、トロムの眼と、ライラの顔を交互に覗く。



「……不思議な石だね」


「トロムの眼というの。お守りになるって街で聞いたから」


「トロムって、魔物のことだね? こういうものが売られているのか」



クロフトがトロムの眼を取り、じっと眺める。

トロムの眼の模様が何度が動いた。

ライラを見たり、クロフトを見たりと忙しない。

しかしそのうちに静かになった。

クロフトを所有者として認めたのか、クロフトの方だけをじっと見ている。


ライラはトロムの眼について、知っていることをクロフトに教えた。

最初のうち、クロフトは興味がなさそうであった。

ところが軍人たちに人気があると聞くと、途端に眼の色が変わった。



「ありがとう、ライラ。大事にするよ」


「きっとその石がクロフトを守ってくれるから。でも、無茶はしないでね」


「そうするよ。今日はダメだったけど、いつかもう一度ライラにプロポーズするまで生きていたいからね」



小さく笑うクロフト。

ライラは困ったような表情を作ったが、心の内では嬉しかった。


いつか。

この世界に親しみ、自らの力による虚しさや寂しさを覚えなくなれば。

そのときは友情を求め、恋愛に身を焦がしたいと思えるだろうか。



「そのいつかの日にはきっと、クロフトは別の人を好きになっているわ」


「まさか!」


「きっとそう」


「じゃあ、そうならないように、このお守りに毎日祈るよ」



クロフトがお道化る。

クロフトの手の内にあるトロムの眼が、くるりと模様を動かした。

まるでクロフトに懐いているかのようだ。

これできっと、トロムの眼はクロフトを守ってくれるだろう。


ライラは安心し、クロフトを送りだす。

フラれたというのに清々しいクロフト。

濡れた世界の中で、ライラに向け大きく手を振っている。


ライラもまた、手を振った。

やがて乾くまで、濡れた世界を愛おしいと想いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る