メノス村編 トロムの眼

良い奴


白みはじめた空。

勇ましくも青い声が、高く上がる。

早朝、メノスの村外れで散歩をしていると必ず聞こえてくる声だ。


声の主がライラに気付く。

清々しい姿。大きく手を振り、駆け寄ってくる。



「やあ、ライラ!」



声の主はクロフトであった。

兵士になりたい彼は、毎朝欠かすことなくここで訓練している。

近頃早朝の散歩を日課としていたライラは、時々この場所へ寄っていた。

もちろん一緒に訓練などしない。ただ会って、少しの間お喋りをするだけだ。



「お水。今日は持ってきているけど、飲む?」


「本当かい? 嬉しいな」



クロフトがにかりと笑う。

ライラは持ってきた獣の袋を手渡した。

獣の袋には水が入っている。これがこの世界での携帯用水筒だ。

家には水を入れる石瓶があるが、さすがにただの散歩で持って来る体力などない。

そのためライラは昨日、クロフトのためだけに獣の袋を買っておいた。



「ありがとう、ライラ。生き返ったよ」


「どういたしまして」


「少し休憩するけど、ライラもどう?」


「じゃあ、お言葉に甘えます」



クロフトに招かれ、ライラは小さな岩の上に腰を下ろす。

ライラが座ってから、クロフトも隣の岩に座った。


クロフトの身体は、初めて会ったときよりも一回り大きくなっていた。

背が高くなり、さらに逞しい筋肉を纏っている。

その身体が今、ライラのすぐ傍で、半裸で座っていた。

流れる汗が、妙に勇ましい。色っぽくもある。



(村の女の子が騒ぐ気持ち……分からないでもないなあ)



ライラは思わずじっと見つめてしまう。

するとクロフトがライラの視線に気付き、首を傾げた。


逞しいだけでなく、美男なクロフト。

精悍さまでも増し加え、高まる魅力に天井がない。

ライラは恋愛ごとにさほど興味がなかったが、さすがに少しクロフトを意識するようになっていた。


とはいえ恋敵は多い。

元々友人としてクロフトと接していたライラは、恋敵たちから妬まれてもいる。

それだけではない。

「金持ちのライラが、金の力でクロフトを誘惑している」などと噂する者までいた。



(お金のことを言われると、何も言い返せないな)



ライラは心の内で苦い顔をする。

ライラの今は、真っ当に稼いだお金で築き上げたものではないからだ。

もちろん、お金の力でクロフトを誘惑したことなどない。

しかしズルをして富を得ているような思いがある分、真正面から反論しがたい。



「……ライラ?」



考え巡らせていると、クロフトの声が耳元で鳴った。

ライラは、はっと我に返る。

すぐ傍まで寄っていたクロフトの顔。

思いがけず間近に迫られ、ライラの心臓が跳ね飛んだ。



「な、なに??」


「聞いてた?」


「な、なにを??」


「はは。今日はいつになく呆けているね。寝不足かい?」


「そんなことは……ないけど」



ライラはううんと小首を傾げる。

最近は平穏な生活を送れているからだ。


大きなお金を使う機会が減っている。それがライラの心を軽くさせていた。

虚しさや寂しさを覚える頻度が、多少減るからである。

金貸しで不定期に得ている収入も、ずいぶんと貯まっていた。

正直言って順風満帆。寝不足になる要素は少ない。


ライラはクロフトに微笑み、「少しぼうっとしていただけ」と伝える。

「そうかい?」と片眉を上げたクロフトが、にかりと笑った。



「俺、兵士になろうと思うんだ」



改めてと、クロフトが言う。

にかりと笑ってはいるが、真剣な瞳。



「知っています。夢でしたよね」


「夢じゃなくなるんだ。このユフベロニア全域で兵を募っているんだよ」


「本当? そんな話が?」


「あったんだよ。そんな話が。だから俺は、この機会に志願するよ」



クロフトの目に光が満ちている。

まるで少年のような瞳だ。

待ちに待った機会が巡ってきて、運命を感じたと言わんばかり。


しかしライラはほんの少し、寂しい気持ちになった。

メノスの村の中において、クロフトは数少ない友人であったからだ。

夢を応援し、後押しもしたいと思ってはいる。

しかしそれと同じくらい、ずっと一緒に居たいと思う気持ちもあった。



「寂しくなります」



ライラは思わず声に出した。



「……え?」


「ずっと、これからも一緒に居られると思っていたので」



ライラは特に深い意味なく、思ったことを言葉にしていく。

するとクロフトが妙に慌て、頬を紅潮させた。



「……それって、その」


「……え?」


「……あ、いや、なんでもない。……うん、ライラだもんな」


「え??」


「はは。いや、ライラは良い奴だって思っただけだよ」



そう言ったクロフトが、とんと立ち上がる。

釣られてライラも立ち上がろうとすると、クロフトが手を差し伸べてきた。

ライラはその手を取る。大きく、分厚い手の感触に戸惑いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る