第26話 「公務員・長谷川杏☔」

 板ばし区役所に向かう途中、雨風が更に激しくなっていた。ワイパーはせわしく左右に首を振る。濡れた路面は、眩しく乱雑で不快な光を放ち、僕らの進む道を更に険しくしていた。


 俺は助手席で、宇野よりラインで送ってもらっていた彼らの大学時代の写真を眺めていた。それは、六年前の三人の写真だ。そこには宇野、鈴木、長谷川の三人の笑顔があった。来河に聞いた話では、長谷川の実家は墨田区で飲食店を経営している。彼女は、店を手伝いながら勉学に励み、卒業後、板ばし区役所に入職し、現在は、納税課に所属していることがわかっていた。


 区役所に到着、車を地下駐車場に停める。 納税課のある三階までエレベーターで登っていく。天候不良の影響で、所内は不思議な程、閑散としていた。受付窓口の一番近くに居た若い男性が目に入る。俺はその男性に声をかけた。適当な理由を伝え、長谷川杏を窓口まで呼び出したのである。


 「長谷川ですが…。お電話でお話された方と伺いましたが、お名前を、頂戴してもよろしいですか?」


 少し怪訝な顔つきで現れた長谷川杏は、スラッとした細身の美人だった。


 面長で落ち着いたメイク、髪は後ろにまとめていた。きりりと眼力めじからが鋭い。朗らかというよりは、勝気で男勝りといった雰囲気がある…俺は、その美しい女性にそっと名刺を差し出したのである。


 「お仕事中、申し訳ありません。鈴木浩生さんは…ご存知ですよね?少し伺いたいことが有ります。どこかで、お時間を頂けないでしょうか?」

 小声で手短に用件を伝える。彼女は名刺を見ると即座に事を理解した。


 「あぁ…来河君ね。はい。承知致しました。納税相談の方ですね。では、こちらのスペースどうぞ」

 

 彼女は表情を一瞬だけ曇らせるも直ぐその動揺を表情から掻き消すと、周囲のスタッフにも分かるよう、少し声のトーンあげそう言って、僕らを板の敷居がある小さな面談スペースへと誘導したのである。機転の利く女性だと感じる。

 彼女は、先ずふうっと溜め息を大きくついた。それから「浩生とはもう会ってない。仕事場に来られると困る」といった、彼女からしたら至極当たり前の気持ちを、僕らに訴えたのである。それは、怒るというより、意気消沈しているという様子だった。多分、所内でも有らぬ噂も含め立場を悪くしているのだろうと推測は出来た。


 「…私達も職場に来たかったわけではないんです。お硬い御職業ですし、今回の一件は、お仕事に影響なかったですか?」


 「無い事は、無いですが…。私に後ろめたさはありませんから…。それに彼の仕事の事までは、知られていません。もちろん世間で名乗れる職業ではないですけど…けど、彼は、釈放されてますよね?本当に浩生君がやったとあなた方は、思っておられるのですか?」


 「……」

 「この場所も長くは不自然なので」


 「そうですよね。又どこかでお時間をもらえますか?」


 「多分、追い返しても、あなた達は、来るんでしょう?今日でいいです。18時過ぎになると思いますが」


 俺は渡した名刺の裏側に書かれた携帯番号まで連絡するよう伝える。こうしてなんとか彼女とアポイントが取れたのである。


 俺は、それから長い長い時間をひたすら待つ事になった。待機時間は調査に付き物だが、こんなふうに、ぽっかり長時間空いてしまう時だってある。


 その場に居る必要は、全くないので、普段なら俺はリフレッシュに、フラフラ周辺を散策するタイプだが、外は、未だ、悪意のような激しい雨が降り続いていた。


 吉田と二人、地下駐車場に停めたミラ・ジーノにもどると、移動中は全く感じなかったのだが、ガーリック臭が車内に充満していた。


 「うわっ。おい俺は鮭弁当だから、絶対桃介のだぞ!」

 吉田が購入したのは醤油味の唐揚げ弁当だったはず。彼は高タンパク質の鶏肉を摂取したいのだ。慌てて窓とドアを暫く開けたままにし、車内の空気を入れ変えた。


 「歯磨きするから、大丈夫です」

 吉田は淡々と云う。


 「は?じゃなくて車内の問題だろ?まあいいや。で、飯食べたら、吉田は、先に電車で帰っていいよ」


 「…。木村さん1人で大丈夫なんすか?運転できます?」

 吉田は俺の方向音痴をよくよくわかっている。


 「彼女の仕事終わるまで大分、待つだろ?俺一人で足りる。雨は激しいし、外だと寝る場所がないから車は必要だ。だから、吉田は電車で帰る。大丈夫だ」

 

 それから、二人車内に籠もり一緒にそれぞれの弁当を食べた。弁当は、全体的に冷めていたが、ご飯はふんわりしていた。飲み物は、二人各々持参して用意している。

 こんな寒い日は特に、水筒の温かな麦茶が堪らなく美味しい。

 しかしながら何時も水筒の性能には驚かされる。保温時間が長く1日経っても冷めない。しみじみと感心しながら俺はお茶を啜る。実に身体が温まるのである。


 しかし、その横で吉田は、シェィカーをガシャガシャと、騒がしく振りながらプロテインを溶かして飲んでいた。(情緒が無いな…)


 それから吉田は区役所のトイレで歯磨きをして戻ってくると

 「じゃ帰りま〜す」と行って、さっさと、この場から消えた。


 それから俺は、最近ハマっている小豆味の飴を過剰に舐めながら、スマホゲームをしたり、書籍を読んだりして過ごす。しかし最終的には睡魔が襲ってきて、タイマーをかけて仮眠をとったのである。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ちょうど18時に彼女から俺のスマーとフォンまで連絡があった。

 地上に出ると、風は収まり、雨は小降りになっていた。

 電話で彼女は、近くの店などに行って、万が一、周囲の職員に見られたくないという。

 結局、彼女が構わないと言うので、地下駐車場の薄暗い車内で、二人の男女が話をする事になったのだ。

 俺は彼女が乗り込むと、小型ICレコーダー(ボイスレコーダー)のスイッチをオンにした。

 

 「事件の後、鈴木に会いましたか?」


 「ええ。事件からしばらくは連絡が途絶えて会っていませんでしたが、彼から呼ばれて、一度だけマンションに行きました」

 

 「どんな話を?」


 「彼は自分は無実だと。私も彼がそんな事をするとは思えません。…でも結局、彼とは別れました」


 「それは、どうして?」


 「彼は、彼女がだった。少々の浮気は、今までも見て見ぬふりをして来ました。でも今回は違った。彼は、何の弁解することもなく自分でいったのよ。だから…私は…別れる決意をした…」

 

 「そうだったんですね……。色々お辛い所申し訳ないけれど、あといくつかお話、聞かせてくれませんか。石川さんと鈴木が個人的に会っていた事を長谷川さんは、いつ知りましたか?」


 「そうね…今回については、気づかなかったわね。事件の後に知った。倦怠期という訳でもないけれど、もう付き合って長いの。最近は、せいぜい、月に一、二回しか会って無かったのよ」


 「一応聞かせて下さい。長谷川さんは、事件の夜はどこにいましたか?」


 「ああ、私が石川さんを恨んで何かしたと?警察にもアリバイを聞かれたわ。私はその日、仕事が終わった後、実家に行きました。週末は帰って、両親の店を手伝ったりしてるんです」  


 「もう一つ。鈴木からマンションの合鍵を渡されていましたか?」


 「ええもってたわ。それが?」


 「はっきり言いますね。自宅から凶器が見つかってます。鍵がもっている人間は、自宅に凶器を持ち込めます…」


 「フッ。私が石川さんを殺して浩生君に罪を着せたって疑いね。合鍵は、実は関係ないのよ。ナイフがでてきたのはマンションの部屋じゃない。一階のゴミ集積所のゴミ袋の中なのよ。あの場所は、誰でも24時間、入ることが出来てね、浩生だって犯人だったら、そんな安易な捨て方をしないでしょう?」  


 「完全に自宅内だと思い込んでいました。ゴミ袋か…。あのマンションは、全体的にセキュリティが緩いですね。わかります」


 「考えて見て下さい。私が彼を陥れようとして、ゴミ捨て場にナイフを置いたとしら、彼が捕まって、私の元から居なくなってしまうじゃない?彼を奪われたくないのに、彼も居なくなる。そんなの本末転倒じゃない?わかりますよね?」

 彼女はこちらの推測を全てお見通しで、実に、理路整然と話をした。


 「そう。あなたが彼を、愛していたならですよ。鈴木浩生に復讐するというような、そんな感情が起きないのならですよ」


 「私、こんな風にあっさりした性格なのよ。彼に、本当に好きな女ができたのなら、彼にしがみつきたいなんて思わない。サッサと身を引くわよ」


 「もう会ってないんでしたよね?」


 「ええ。連絡もしないわ」

 

 「最後になりますが、僕らは、鈴木とも直接会って話を聞きたいと思っています。しかし彼がもうマンションを引き払っている。彼のいる場所、彼の属する組を教えてくれないですか?」


 「引越し先は知らないわ。組は、池袋に拠点のある「菊桜会きくおうかい」よ。私の話せるのはそれぐらいよ」

 彼女は、そう云うと車を降りた。

 「カツカツカツカツ」とハイヒールの音が声高に鳴るが、次第に音は、遠ざかっていったのである。


優しい探偵RE

2024.11.4

次話今日中にアップします。


 

 



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