第24話 「清水菜月の過去🌛」

 帰り道、僕らは菜月さんに調査報告をするため戸越銀座駅近くの昭和レトロ雰囲気漂う喫茶店に入る。僕と菜月さんは珈琲を美幸は紅茶を注文した。店内はジャズが流れている。僕らは喉を潤し一息ついたのである。

 

 彼女に説明したのは、おもに桃介が愛紗さんから聞き取りしてはっきりした、鈴木と舞花さんの関係性である。

 鈴木と舞花は、単なる客とキャストの関係ではなく、プライベートで頻繁に会うような恋仲になっていた。事実、鈴木浩生は舞花さんに交際を申し込んでいた。舞花さんもその気持ちに応えようと神谷に別れ話を切り出そうとしていた。

 この後は、仮定の話しになるが、別れを切り出された神谷が舞花さんとトラブルになっていた可能性はある。つまり神谷に彼女を殺害する動機が出てきたのだ。又、別れを切り出されて居なくても、神谷が舞花と鈴木の深い関係性に早い段階で気づいていて計画的に犯行に及んだ可能性だってある…そのような報告をした。


 菜月は静かに頷いて話しを聞いていた。しかし彼女の思いを想像するなら、親しく頻繁に連絡を取り合っていた自分に何故何も話してくれなかったのだろうか、そんなショックを受けているのではないか。


 客観的に見ても、舞花さんが親友の菜月さんにそのような大事な話を打ち明けなかった理由がわからない。舞花さんの心情に強い違和感が残るのである。


 だから、僕らはその疑問を、改めて菜月さんに率直にぶつけてみることした。


 「残酷な言い方になっちゃうかもしれないんだけど確かに舞花さんは、菜月さんには話さず抱えていた悩み事があったって思うんだ…」


 「はい。報告を聞いて感じました。愛紗さんには、鈴木さんや神谷君の話しを打ち明けていたんですものね…」

 

 「ごめんね。菜月さんが聞いてあげられなかった事を悔む気持ちはわかってる。でもそれって単純に不思議なんだよ。なぜお姉さんのように慕っていた菜月さんに相談しなかったのだろって。何か理由があると考えるのが自然なのかなあ。しつこいようなんだけど、何でもいいんだ。何か思い当たることないか今一度、考えて見て欲しいんだよ」

 

 「はい……」

 菜月は、しばらく、じっと黙りこんでいた。しかしふと一瞬、彼女の表情がはっとした表情に変わる。するとそれから暫くして、凍っていた氷が徐々に溶け出して行くように、ポツリポツリと、彼女は話を切り出したのだった。


 「実は…私もずっとその事を考えていたんです。多分わかりました。舞花は、私に気を遣っていたんだと思います。私、実は男性に対しての幾つかトラウマがあって…。少し断片的には彼女に打ち明けた事あったと思います。そんな話しを聞いていたから、私に気遣って、舞花は、異性や恋愛の話を控えていたんだと思います。トラウマのある私に、こじれたような男女の話を相談するなんて出来ないって、思ったんじゃないかなあ…」



 「…?そのトラウマの出来事に舞花さんは関係してるの?その話、詳しく話してもらえないかな?手がかりになるかもしれない」


 「いえ。舞花には全く関係ないんです。私の問題で。だから事件の手がかりには、ならないとは思いますよ…」


 「一応、参考にその話を聞かせて貰えないかな? もちろん、菜月さんが、無理しないで話せると思う部分だけで良いんだよ」


 「わかりました。私、母子家庭だったんですね。私が四歳の時、母は父と離婚しているんです。それも母は、父から随分と理不尽な別れ方をされているんです。父と離婚した後、母は小さい子供が居ても就けるような仕事を探して職場を転々としたりしながらとても苦労したと聞いています。私の記憶にある母は、昼夜とダブルワークで何時も家に居ませんでした。私が中学生の頃、今の父と母が再婚したんですが、十年以上、母と私の二人暮らしで。父には、何の不満もありません。とても優しい人なんです」


 「つまり、男性のトラウマって、その実のお父さんの事が、トラウマってことなのかな?」


 「そうです。まだ私、小さかったので、実際は、父親の記憶は、微かにしか無いんです。でも母には小さい時から父の話しを聞いては居ました。母はお人好しで、父を全然、悪く言わないんですけどね…」


 「お父さんは、どんな人だったの?」


 「暴力を振るうとかじゃないんですよ。当時の父は収入も定かでない劇団員で、脚本家を目指していたそうです。母は当時、食品会社の事務員をしていて、収入が無い父を支えていたそうです。私が生まれてからは、子育てと仕事と大変だったと思います。ただ母は父親が居てくれさえば良かったんでしょうね。それなのに父は、ある日突然、離婚届と母への手紙を置いて、家を出て行ってしまったんです…。母は、手紙を読んで父の手紙の指示通りに離婚届にサインして区役所に届けたそうです。手紙の詳しい内容は知りませんが、私は幼いながらも『私のお父さんは私達を捨てた』漠然とそんな風に思いながら育ちました」


 「……」

 俺は、返す言葉が何か思いつかない。父親にも、本人なりの理由があっての失踪だったのだろう。しかし幼かった当時の菜月さんにそんな事が解る訳も無い。彼女にしか解らない苦しみ、悲しみがあったんだと思う。


 「菜月さん、そんな辛い思い出を持ってたんだね…。そのお父さんとは、それ以来、会ってないの?」

 美幸が代わって答え、続けて聞いた。


 「はい。今は何処に居るのか生きているのかすらわからないです。だから、私は父親というものを長く知らずに育ちました。少し成長して色々わかるようになってからは、父親への怒りのような、呆れるような、複雑な気持ちに成りました。多分、私の男性不信の根っこはそこにあるんだと思います」


 「根っこ。根っこってことは、そのトラウマ、思い出に、続き?があるってことなの?」


 「はい。もう五年も前になります。私、看護学生の時、初めてお付き合いした男性と嫌な別れ方と言うのか、つまり失恋したんです。失恋なんて珍しい事ではないですよね。でもかなり落ち込みました。全く理由が解らないまま別れを告げられて、彼と音信不通になりました。考えると、父親と一緒なんです。突然居なくなって会えなくなってしまった。父親と彼とは、全く関係ないけど、私の元から男性はみんな消えてしまうんじゃないかって、そんな気持ちにさえなりました…」


 「…」

 今度は美幸が返す言葉を選んでいたが、俺は即座に言葉が出た。

 「いやいや。そんなわけが無いよ」


 「でも、その時に、根っこにあった男性不信のトラウマを、又思い起こしてしまった、そんな感じです…」


 「そういう事なんだね…」


 「菜月さん、辛い思い出なのに、話してくれてありがとう。その話を舞花さんにも話してるのね?」


 「断片的に話してると思います。でも、舞花以外の人には、今日初めて話しました。聞いてくださってありがとうございました。少しすっきりしました…」


 「いやいやこちらこそありがとう。僕らが引っかかっていた謎、今の話で解けたのかも…。確かに舞花さんは、気を遣って話さなかったのかもしれないね。それなら、理解が落ちるよ」


 「でも…恋愛って難しいよね。今まだ考えにくいのかもしれないけど、必ずしなきゃならないってものでもないんだし、菜月さんのペースでいいと思う。でも何か話したいことあったら、私、いつでも聞くよ!」


 「そうだ。美幸に話せばいいよ。ただ付き合ってんのが俺だから、余り参考にはならないかもしれないけどなぁ」


 「確かに〜。いいオトコ見る目があるかは分かんないからね〜。私、シュミ悪いからさ〜」


 「そうだよな。美幸の趣味が悪くて良かったよ」


 「ふふ…。お二人って、仲良いですよね。私には、とても理想的な関係だなあって思いますよ。機会があったら、美幸さんに色々と恋愛の話しを聞いてみたいです」


 僕ら二人、照れ笑いなのである。


 その後、舞花が愛紗に「相談したい事がある」と言っていた件についても、心当たりが無いか聞いてみた。しかし特に思い当たる話は菜月から出てこず、わからずじまいに終わる。

 僕らはその後喫茶店を出て駅まで歩き、清水菜月と別れた。

 外は寒々しく、もう日がすっかり落ちて暗くなっていた。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 清水菜月は、帰り道の電車に揺られながら、窓の外をぼんやりと眺めていた。


 いつも独り、こんな風にどんよりと曇った夜空をじっと眺めていた幼少期だった。


 母は昼夜と働いていた。母は昼間は、訪問介護の仕事をしていた。菜月が看護師を目指した理由でもある。菜月が小学生になってからは、スナックで深夜まで働くようになり、夜は独りで留守番する日が多くなった。


 母は、夕方に菜月を学童保育に迎えに行くと菜月の手を引いて新小岩商店街で足早に買い物をした。自宅に戻ると菜月の夕食を作り家事を済ませ19時には又家を出ていった。


 母が居なくなった夜、アパートの二階の窓から今日と同じような、どんよりと曇った空が見えていた。

 アパートは、商店街から歩いて五分程の裏通りにあった。おとぎ話の狼が吹けば飛んでしまいそうな、古びれた小さな木造二階建てのアパートで、階段を登るとキイキイと軋んだ。

 兄弟は居ない。菜月は直ぐに宿題を済ませた。それからテレビを観たり、ぬりえをしたり、お人形さんごっこをしたりして、退屈な時間を過ごした。独り遊びに慣れっこだった。

 そのうちに眠たくなり布団に入って寝た。寂しかったけれどいつの間にか菜月は、逞しくなった。でもそれは、朝になれば必ず母が隣で寝てくれて居たから。そんな安心感があってこその事だ。

 ある時、母が家を出ていく頃だったか、菜月は悪気なく母にこんな事を口にした。

 「ねえお母さんは、今日も戻ってくるよね?」


 そのときだった。母は突然に私をギュッと強く抱きしめた。私は嬉しかった。でも母の顔を覗き込むと、母が泣いていた。


 抱きしめたその腕は細かった。でも力仕事で鍛えられた逞しくしなやかな腕だった。その時、楽天的で何時も気丈な母が泣く姿を初めて見たと思う。


 「なっちゃん、お母さん、必ず帰ってくるよ。毎日、必ず帰ってくるから。心配させてごめんね。いつも寂しい思いをさせて、ごめんね。ごめんね。ごめんね」


「お母さん泣かないで。ごめんなさい、ごめんなさい」


 なんで、お母さんは、泣いているんだろう。あの時の私は訳もわからずにびっくりして必死で謝った。お母さんを困らせて悲しませたと思った。


 でも、今はその時の母の気持がわかる。『父が出ていってしまったように、いつか母まで出て行ってしまうのではないか?私がそんな風に心配している』 

 母はそのように推し量ったのだろう。


 考えてみると、それは確かに事実だったと思う。父は私を捨てた。母もいつか居なくなってしまわないだろうか、私は捨てられないだろうか。独りになりたくないと、何処かで思っていた。


 母の涙と、あの日、母の胸に包まれた時の温もりを、私はずっと忘れないだろう。


 いつか誰もが死んでしまう。全て於いて永遠のものなんて無いんだ。父親も、彼も、そして舞花さえも私は、失ってしまった。


 しかし思い出はせめて永遠であって欲しい。母との思い出、舞花との思い出。時には辛く忌まわしい過去も自分の生きていく糧にするために。

 私は忘れない…菜月は、ぼんやりとそんな事を考えていた。

 


優しい探偵RE

2024.10.6掲載






 

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