第18話「神谷文哉と東京芸術劇場🎨」

 雨が降っていた。俺は少々の雨なら傘をささない。雨に濡れる不快さより、傘を持つ煩わしさの方が勝るからである。手には余計な物を持ちたくない。

 それに、雨をしっかりと感じるのも又良しだ。日日是好日にちにちこれこうにちと言う言葉がある。雨も又楽しむのである。熱い日差し、雨風、四季折々の日々の変化、その二度と来ない今日を、この瞬間を、俺は生身のこの身体でしっかりと実感しよう。どんなに時代が変化しようとも人間は自然と共に生きていくのだ。 


 ———と、カッコをつけてみたが、実は傘を持たない一番の理由は、傘を持つと100パーどこかに置き忘れて失くすからである。俺は、非常に注意力散漫で、傘を忘れる自信なら誰にも負けない。美幸にはいつも折りたたみ傘を持つよう言われているのだが…。


 池袋西口を出てすぐ左へ進む。池袋の聖地、池袋ウエストゲートパークを小雨に髪を湿らせながら通り抜ける。不思議な造形の巨大オブジェは寒々としていて、雨に濡れた木々は何か寂しげでみすぼらしく見えた。日の暮れかけた公園には、三角屋根のオープンテラスの店舗があり、小雨も気にせず、ちょっとしたつまみと生ビールで語らうサラリーマン達がちらほら見えた。

 公園のタイル床は滑る。足元に気をつけながら公園を抜けていくと、そこに東京芸術劇場があった。モダンな網目状のガラス屋根がいかにも現代アートといった風情なのである。



 神谷文哉かみやふみやは、立憲大学文学部3年。菜月の話によれば、彼の家は父親が大手の飲食チェーンの重役で家系は代々続く資産家らしい。よって神谷文哉自身も名門大学かつ学業優秀、将来を約束されたようなエリートなのだ。しかし当人実は、芸術家肌の小説家志望だという。読書と執筆の日々に埋没するような浮き世離れした生活をしているらしい。



 彼は、会う場所に、東京芸術劇場の2階のとある喫茶店を指定してきた。彼の通う大学周辺では珍しく落ち着いて話せるとても静かな喫茶店だと言う。木目調の床、天井が高く広々としており、黒パイプの骨組みの小さな椅子、テーブルが整然と並ぶ。デザイナーズハウスのような趣きだ。店内は、少し聞き慣れないクラシックが流れていた。奥の唯一の黒革のソファに文哉は居た。

 文哉は、カジュアルなジャケット、胸から白いシャツを覗かせている。傍らには、防寒具の茶色のウールコートが几帳面に畳んで置いてあった。スラリとした体形、小顔で細い鼻筋がスッとしている。色白でどこか女性的な雰囲気があるイケメンだった。


 「探偵の木村です。空いているし、確かに静かだね。神谷君は、この今かかってるクラシック知ってるかい?」


 「ああ。阿○海太郎さんですよ。舞台やドラマなんかの音楽を手掛けてる人気の作曲家さんです。僕もそれ程、詳しくは知りませんが…」


 いや十分詳しい。と思いながら俺は教えて貰ったお礼を言う。

 「どうです?落ちつくでしょうここ。小説を書いていて煮詰まった時、来るんです。目を閉じると空気が澄み切っているような、そんな気分になりませんか?」  

 そう言ってニコリとする。女性からすると母性をくすぐるタイプなんじゃないかと想像させる微笑みだ。


 俺は目を閉じてみる。だんだんと高揚していくような音楽が静かに響く。

たまにはこんな音楽を聴くのもいいかと考えながらも、俺は慎重に話を切り出した。


 「今回は突然の不幸で…。本当にご愁傷様でした。それに、色々と心中は、複雑じゃないかと思うんだ…」


 「ええ。確かに。複雑ですね…」

 彼の表情が曇る。テーブルの上で組んだ掌の指先が気になるのか、うつむきながら片手の指を擦り合わせるような仕草をしている。


 「男性の話、聞いてるんだよね?」


 「ええ警察で男の写真も見せられました」


 「そうか…」


 「正直、裏切られたって想いはありますよ。彼女は、亡くなってしまったから真意はわかりませんが、舞はどんな気持ちで他の男性に会っていたのかと、しっかりお互いの想いを話せなかったのが心残りです。その男性がやはり舞花を殺したんですか?でも、犯人が捕まったってニュース聞いていませんけれど」


 「それが釈放されててね。そんな事もあって、菜月さんから依頼を受け僕らは僕らなりの方法で犯人さがしたいと思ってるんだよ」


 「菜月さんが…。そうですか。いや僕も同じ気持ちです。舞花への戸惑いやショックはあるけど、殺した人間を僕は許さない。それは別の問題です。犯人を捕まえるためなら、ぜひ協力させてください」

 

 「ありがとう。事件の起きた頃、最近の舞花さんに変わった様子とか、トラブルとか無かったかな?」

 まずは決まり切ったジャブだ。

 「彼女、夜の店をを週3日程していて、帰るのは何時も深夜1時過ぎでした。僕は先に寝ていることが多くて。朝はお互い学校で早いですし。僕も小説や文芸仲間との集まりだとか付き合いもあって、お互いすれ違いというのか、気にはしていたけど落ち着いて彼女の話を最近聞けていなかった。抱えていた事が何かあったのかもしれませんね。近くにいながらとても後悔しています」

 「うんうん。舞花さんの夜の店での話しも何か聞いていなかったのかな?」

 「マイは、客の話を全く話さなかったですね。僕もそこは、最初に承諾して許したので、一切、詮索せんさくしなかったんです。でも…いつだったか学校の帰りに、誰かに尾行されてる気がする、怖いって電話してきたことがあって、十条駅前の店で待たせて、迎えに行ったなんて事はありましたよ」

 「それって、いつ頃か覚えてるかい?」

 「夜の店始めて直ぐの頃かなあ」

 「…」

 「キャバクラ終わりは、家の前まで送りがあるから大丈夫なんですけど、学校の行き来とか、店に行くまでとか、しばらく、心配でした…」

 ストーカー行為は、夜の仕事をしていたら、ありがちな話ではある。そういったストーカー的な犯人の可能性もゼロではないか…。探偵業ではストーカーの調査を行う事もよくある。少しその話を俺は、一通り詳しく文哉から聞く。

 時間の経過と共に、お互い注文した珈琲カップは空になっていた。俺は、喉が乾き、コップの水に口をつけると、それから話をすぐに切り替えた。


 「あとは…そうだな。ちょっと悪く取らないでほしいんだけど、文哉君と舞花さんの間で何か今まで揉め事ってなかったの?喧嘩くらいはするだろ?」


 「僕を疑ってますか?事情聴取で鈴木って男性と彼女との事、知っていなかったのか?みたいにはしつこく聞かれましたよ。いや知らないですよ。僕はマイとその男性のことを初めて事件の、警察で聞かされたんです。警察は僕が浮気を知って逆上して彼女に手を出したとでも言いたげでした。彼女を殺すわけがない!」


 「わかる。わかるよ。さっき、現場に行ってきたんだ。花束が置いてあった。君か?」

 ここに来る前、俺は池袋南公園の現場を改めて見てきた。多目的トイレの横には小さな花束が一つポツンと供えるように置いてあった。

 「いや。僕は現場には一度も。しかし、僕もいつか心の整理がついたら、舞花さんの実家に伺って、お線香をあげたい。そんな風に思っています。その公園には行ったことがないです」


 文哉は怒りを抑えるようにうつむき、指先を又眺める様な仕草をする。聞きにくいのだが、俺はひるまず質問を続ける。


 「彼女が殺された日の夜の時間に、君はどこに?」


 「自宅です。その日は、早めに休みました。残念ながらアリバイを証明する人は居ません」


 彼は用意していたかのようにきっぱりと話した。


 「その日、彼女は夜の仕事って聞いてて。でも実際は休みだったようですね。そして彼に会っていた。嘘をついてたってことです…」


  文哉は、俺から視線を逸らし、壁際の観葉植物に目をやりながら、その表情にやるせなさをにじませている。


 「ううん。俺には余り恋愛経験ないから、女心がわからんのだがさ、、でも君達は同棲してたんだろ。舞花さんが君のことが好きだった事実は変わらないんだ」


 「ええ、まだ、色々と整理できないですね。ただ、色んな、何といいますか、真実を知りたい。彼女がどうしたいと思っていたのかマイの気持ちです。そしてもちろん彼女を殺した犯人を許しません」


  

 ――—―だいたい僕らの会話の主要な所は、そんな内容だった。

 あとは、舞花との馴れそめについては聞いた。大学の合コンで2人は出会った。舞花の通う板橋の帝都看護学院と立憲大学は交流の伝統があるんだとか。舞花の実家が書店で父親の仕事が雑誌の編集者だった事から、小説家志望の文哉に舞花さんが興味を持ったのがきっかけらしい。

 又、文哉の小説は既に地方新聞が主催した文学コンテストで、ちょっとした賞をとっていて、彼の文才は趣味レベルでは無いこと。天は一人に何物なんぶつも与える。そして勉強がてら投資も少ししているとか。それが彼と話した全てだ。


 池袋からJR山手線に乗り、大塚駅に降りると雨は少し強くなっていた。日は落ちて、空は暗い。街灯のネオンの灯りは雨でぼやけている。

 俺は、雨宿りをする事にする。駅を出て左方向へ路面電車の線路を跨いで進むと、三業通りに入る。入ってすぐビールの美味しい居酒屋があるのだ。

 

 カウンター席で、生ビールを飲みながら雨の弱まるのを待った。この店はビールを自前で醸造する珍しいクラフトビールの専門店で、俺はたまに一人で来る。喉が乾いていて、ジョッキ2杯を飲み干すと、普段殆ど酒を飲まないのですぐに酔いが回る。

 

 連日の聞き込みで疲れも出てきているなと感じながら俺は、舞花と文哉の関係を自分に引き寄せながら、ぼんやりと考えていた。


 美幸も心変わりしないとは限らないのだ。俺は他の人へ行く可能性が全くないけれど、美幸はもてる。付き合って1年と少し。結婚は早いかもしれないけれど、彼女の32歳という年齢を考えたら適齢期ではある…。ただ、彼女が結婚まで考えているのかと言うと、今ひとつ俺には自信がなかった。 


 「結婚だよなあ…つかまえておかないとだよなあ……いや、それより犯人をはやく捕まえないとだけどな…」 


 俺は自分に言い聞かせるように、ブツブツと呟きながら1人佇む雨の大塚の夜なのである。



優しい探偵RE

2024.4.21掲載

※3.2以来の久しぶり更新です。ペース上げて行きます🥹


  

  

 


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