第16話 「警察官たかちゃん❶」👮

 宇野来河に会った翌日の夜19時過ぎのことになる。寒暖差が激しく冷え込む日々が続いていた。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。冷たい風も事務所の窓に吹き付ける。その風音は、静かな事務所の1室に規則的で何か不思議な旋律せんりつを響かせていた。

 事務所では俺が独り残務をして居る。吉田は継続中の今日の別件の調査を終えて、奥の生活スペースの炬燵こたつで横になっている。

 

 不意に事務所の固定電話が鳴る。

 「プルル、プルル、ガチャ。大塚木村探偵事務所です。只今、営業時間外です。ご要件の方は、、、、、、、ピィー『…えっと、もしもしご無沙汰してます。ハマダです。えっと、では又かけ直します。失礼します』」

 固い緊張感を感じる男性の声。誰かがわからないのだが、その男の発する声にどこか懐かしさを感じ取った俺は咄嗟とっさに受話器をあげる。

 「はい。すみません。木村探偵事務所です」

 「き、木村さんですか?すいません。スマホが変わったので、知らない番号だと出てくれないかなぁと思ってですね、事務所にかけたんですよ。ご無沙汰してます。僕、警察学校を卒業しまして、春からやっと警察官になれました!」

 穏やかで聞き慣れた声、一言一言を丁寧に発するような口調、俺ははっきりと記憶を呼び起こしたのである。

 「あおおぉお?!きみは、警察官になるって言ってたコンビニのたかちゃんなのか?警察官になったの?!すごいじゃないか!いつもたかちゃんって呼んでたからハマダって言われても、わかんなかったよ」 

 「良かった〜〜!もう忘れられちゃったかと思いました〜」

 彼はたちまちに砕けた口調に変わる。電話口の向こう側の濱田高裕はまだたかひろ君の安堵する表情が想像できた。それからわずか10分程で、彼は寒さに身を縮めながら事務所に現れる。


 グリーンのフライトジャケット、ダボダボとしたガテン系の兄ちゃんが着るようなグレーのパンツ。まだ30代前半だが随分と静かに落ち着いた雰囲気が特徴だ。髪は天然パーマがかっていて、丸顔で優しい眼をした色白の青年である。

 警察学校で揉まれたのであろう以前はゆるっとしていた腹回りが、随分と引き締まったのがわかる。聞くと警察官になってからも日々柔道の稽古けいこがあるらしい。なるほど日頃の鍛錬たんれん賜物たまものなのだろう。僕らの知る濱田君より身体付きが明らかにガッチリと太く大きくなっていた。

 病院から帰宅して、ビル4階の自室で休んでいた美幸がアルファベットが並ぶ黒のエコバッグを片手に下げて事務所の2階にふわりと現れる。

 袋からはチータラお得用パック、たけのこと、きのこの形を模したチョコレート菓子のパック、そして黒トリュフポテトチップスなる洒落しゃれたおつまみを取り出してテーブルに置いた。

 菓子類を美幸は、駅前の商店街にあるディスカウント菓子店より、欠かせない水分補給のようにちょくちょくと調達していて絶やさない。

 美幸は、部屋着に着替え髪を束ね、コンタクトレンズをはずし丸メガネをかけていた。 

 最近見慣れたがスイッチオフの美幸もまた魅力的なのだ。同棲して感じたのは、意外と日常の美幸が大人しいことである。活動的で明るい印象は多分スイッチの入った美幸で、自宅部屋では切り替えている。どこかクールでツンデレだ。少しわからない部分もある。しかし逆に言えば、そんな程よく、わからないところがあるくらいの緊張感が俺には、丁度良く感じられていた。


 それとほぼ同時に、パーテーションを隔てた奥で炬燵こたつに潜っていた吉田もゴソゴソと動き出す。彼は、冷蔵庫の中から冷えた350ミリリットル缶ビールを4つ取り出すと、着ているパーカーのすそで缶を器用に包みながら、俺の座るソファの前の、細い足のついた木目調もくめちょうの長方形テーブルにその缶をドサドサとまとめて置いた。

 続けてホストクラブから拝借してきた賞味期限の近い赤ワインを1本置く。本格的に飲むつもりなのか。

 さらにそれから吉田は、個包装された小さなジャッキーカルパスを何処からか、かき集めてきて、美幸のお菓子と一緒に置く。なぜそれが大量にあるかというと、吉田がたまに行くパチンコで換金する際に、端数はすうの玉を毎回それに交換してくるからなのだ。彼は自分は一切食べないのになぜか、毎回それに変えてくる。俺への土産みやげのつもりなのか理由を聞いたことはない。こういった謎めいた行動が時折ある男なので俺はいちいち気にしていない。


 僕らは、二人ずつに向かい合いソファに腰を降ろす。濱田君との久しぶりの再会を祝して乾杯したのは言うまでもない。


 美幸は小さなコップにビールを軽く注ぐと、まだ残りが入ったビール缶をたかちゃんにあげるといって渡した。彼はビール好きだったよな、そうそう。


 かつての思い出話に花が咲く。彼とは、俺が探偵を開業した当初からの長い付き合いだ。彼は事務所から今も歩いて数分のプラタナス通り沿いにあるコンビニ店の店員だった。昼夜問わず良く出会ったが、ちょっとした事で仲良くなり、駅前の居酒屋で一緒に酒を酌み交わしたり、挙げ句はボランティアで猫探しの仕事に協力をしてもらったりというような親しい仲になった。桃介ともたぶん仲が良かった。


 「しかし…いつ会ったのが最後だったかな…?」

 彼はいつからか音信不通だった。こちらから何回か連絡をしているはずだ。俺も日々の忙しさに埋没まいぼつしながらも、頭のどこかでずっと彼の事を気にかけていた。


 聞けば、彼は知人の警察官に勧められたことをきっかけ、警察官になるための受験勉強に突如として、のめり込んだ。それも周囲が見えなくなるくらいに没頭して、バイトもやめ、親と住む実家に引きこもると、外界を遮断しゃだんしたような生活を長く送ったそうだ。彼はなんとも凄まじい集中力の持ち主だったのだ、音信不通の理由が2年越しにわかった。


 それから彼は話をこんなふうに続けた。試験勉強はこれまでの人生で一番に猛勉強したこと。採用には以前に俺達と関わった調査でオレオレ詐欺グループのアジトを通報して表彰された実績が大いに加味かみされたこと。

 警察学校の10ヶ月間でかなり心身共に鍛えられたこと。現在は独身寮にいて、頼もしい先輩達と共同生活をしている。実は自分でも驚いたが、警察組織の和気あいあいとした雰囲気が意外と気に入っていること。寮費は安くて食事は出るし、交番勤務は勤務時間が長くて疲れたり、休みも急な呼び出しがあったり何かと忙しくて、お金を遣う暇がないこと。などなど2年分のエピソードを怒涛どとうの勢いで吐き出したのである。

 彼は穏やかな性格で、無口なタイプだと思っていたが、こんなに話すたかちゃんを初めてみたのである。


 「いやさ、一時期は俺なんてみたいに将来を悲観してた、あのたかちゃんがそんな風に元気に働けてるって俺は嬉しいよ」  


 俺は桃介がついでくれた赤ワインをゆっくりと味わいながら感慨かんがいに浸りながら彼にそう声をかける。

 「拘束時間の長さと夜勤はキツイ。体力勝負だから身体気を付けないとね」 

 ジャッキーカルパスをガシッといくつか掴んで、バラバラと濱田君の前に落としながら桃介が言う。

 「私もあんまり勉強できないからさー尊敬しちゃうなー」

  美幸が、いつの間に持ってきたのかわからないが、小さな容器に入った柔らかなプリンを食べる手を止め、そんな感想を話した。

 また、なんたる偶然だろうか、程なく近い池袋署の配属だという。東京都警視庁には102もの所轄しょかつ(警察署のこと)があることを考えれば、事務所に近い警察署の配属になるということが如何に低い確率なのかがわかる。彼は、池袋署の地域課に属し、池袋「むつ又交番」という名の交番に勤務していた。


 僕らは突如として、警察官の友達が出来てしまったのだ。情報をもっているとしたら、聞かない手はない。俺も話を聞きながらそのことについて、考えてはいた。たぶん桃介と美幸も同じ思いだっただろう。


 一通り彼が話し終わる。彼がふうと息を着いたのが合図だった。

 「んーんと、、、たかちゃんな、ここだけの話な、教えてもらえないかなって思うんだけどさ、、、、、」

 俺は少し声を落として、事件についての話を切り出したのである。


会話続く


優しい探偵RE

2024.2.26掲載

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