第12話「探偵事務所の日曜日」☀️

 改めて木村探偵事務所の所在地を紹介しよう。事務所は、JR大塚南口を出て、都電荒川線の線路を跨ぎ、プラタナス通りを直進12分。ガラス張り自動ドアが煌めく真新しい金融機関の入ったビルの先の交差点を左に折れたその先だ。

 ビルは、企業のオフィスと個人の賃貸マンションが混じった八階建ての雑居ビルで、僕らは道路に面した二階の角部屋に居を構えていた。

 周辺は、似たような高さのビルが巨大な街路樹のように立ち並んでいるが、我が「南陽Bビル」は、別時代からタイムスリップしてきたかのような古めかしさ際立つ外観で、レンガ色が薄くすすけた外壁には、螺旋状のつたがいつも風に微かに揺れながら絡みついていた。


 先月末たまたま空きが出た四階の賃貸マンションに、美幸が引っ越してきている。俺は、これまで桃介と二人、探偵事務所を事務所兼住まいとしていた。しかし美幸が越して来てからは、美幸が病院から帰宅すると二人一緒に階段を登って美幸のマンションに帰宅する。そういった生活スタイルに変化していた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 霜月の20日、キャバクラ調査から翌週の日曜昼過ぎの探偵事務所である。

 三人が事務所のフロアに集まっている。夜型生活の桃介は、パーテーションで仕切られた畳の生活スペースでまだ寝ていた。

 美幸は、昼前に四階マンションから二階の事務所に降りてきて、三人分の昼食を作ってくれている。何やら和風の出汁だしと炊きたてのご飯の匂い、蒸気が事務所内に立ちこめていた。

 俺は、休日も仕事との境が無くて、パソコンデスクに座り今抱えている複数の案件のスケジュール工程を考えていた。室内の空調で、目が乾き目をパチパチとさせている。


 そう、冬の訪れと共に少し厄介なのは、俺にとってはこの乾燥なのだ。俺は、強度の乱視を矯正するために、眼鏡でなくコンタクトレンズを永く愛用しているが、冬になると空調で目が乾く。ただ寒がりでもあるので、空調の塩梅あんばいが難しい。今日も朝から、スイッチを付けたり消したりを繰り返して過ごしていた。


 「ちょっと木村さん、暖房消さないでくださいよ、寒くて起きましたよ!」パーテーションの奥からムニャムニャ言いながら桃介が起きてくる。


 「目が乾くんだよ。電気代だって節約だし一石二鳥じゃないか」


 「そっちすか。加湿器買ってきてください」


 「確かに。前使ってたの壊れちゃったろ。メルカリで安いの売ってないかな。ねえ美幸も寒かった?」


 「え?!めっちゃ暑いよ!!」


 「すいません、火の元にいる人に適正温度を聞かないで下さい」


 「わかったよ。エアコン付けるよ。そうそう俺はドライアイの目薬があるんだった。あれっ美幸、ここにあった薬箱が一式まるまるないんだけどなんでか知ってる?」


 「あっごっめ〜ん。薬類は、場所変えたんだ!」


 「整理はありがたいんだけど、置き場所変えられると困るなあ」 

 美幸は整理整頓が好きだ。時に度が過ぎている部分がある。


 「それより、出来たから運んで!」


 「ハイハイ」

 事務所内には、小さな炊事場がある。ガスコンロには土鍋があり、鍋の中には、グツグツと煮えたおでんダネが所狭しと浮かび、特に軽いハンペンは今にも溢れ落ちそうになっていた。


 「おおっ」

 俺は歓喜しつつ鍋つかみで土鍋を持ち上げると、2つのソファで挟まれた長テーブルまで恐る恐る運ぶ。いつも依頼の面談をする長テーブルしか食事を囲めるテーブルはない。 


 桃介も、匂いにつられて着席し、男2対女1の不思議な家族団らん的昼食が始まるのである。僕らは思い思いのおでん種を取皿につまんだ。俺はとりあえずは卵だ。

 桃介は低カロリーな糸コンニャクを2つとってチビチビと食べている。

 美幸は作ったやりきった感で満足したのか、直ぐにおでんに手をつけず、まだ青さが残る小ぶりのみかんを剥いて食べていた。


 「そうだ。あいこが、リカちゃんから聞いてくれた鈴木浩生のサークル仲間だけどな、やっぱり明応大学の関係者だったよ。フルネームがわかったから学務課にカマかけたら、案の定、学務課の事務員にその『宇野来河』って男がドンピシャに居たんだ。だから、平日、学務課に直接会いに行こう。あと桃介、ゆいかちゃんから、アイサって娘が移った店の情報って、まだ来てないか?」


 「ちょっと待ってくださいね。ゆいかちゃんとラインずっとしてたんすよ。夜に返信来てるかも。ゆいかちゃん、ホストクラブに来たいってノリノリなんすよね。えっとこれは…。ちょっと今言うの微妙かもです」


 「ちょっと見せて…」

 俺は桃介のスマホを覗く。


 「どこのキャバだったの?池袋?」

 もちろん美幸も調査進捗を知っている。


 「あ。吉田君、お願いします。お前フリーだし、行ってくれる?」


 「ういっす」


 「え?何なに?」


 「いやあの、美幸。…ちょっとアイサの調査は、俺より桃介が適任だと思う。その…同じ水商売だけど、きわどい奴っていうか…。美幸が気にしないなら、俺が行ってもいいんだがさ」


 「あっ、そういうことか。ふ〜ん。れいさんとか桃ちゃんて、そういうとこって行ったことあるの?」


 「僕は行きませんね。もちろん今回お話を聞くだけっす」


 「俺も行かないよ。(コホンコホン)特に美幸が居るんだから、行く理由が全くない。(コホンコホン)だいたい俺は、そういうリアルなのが苦手なんだよ。ほら専ら映像フェチだから。なんちゃら女優専門だよ。知ってんだろ?(コホンコホン)」

 俺はタイミング悪く、気管に飯粒が入って酷く咳き込みながら弁明する。


 「ちょっとお、大丈夫れいさん?まあさあ、そういうお店ってプロなんでしょうからあ、浮気とは思わないけどさ。でももし見つけたら…刺すかもね」

 目が笑っていなかった。


 「ちょ。こわっ!殺人予告!だいたい何で俺は信じてもらえてないのかな?だから、この話題は出したくなかったんだよ…」

 俺は、烏龍茶を喉に流し込みつつブツブツ言う。


 「ああそうだ。ちょっと真面目な話を思い出した。桃介さ、リコリスであいこが『私商品なんで』って言ったとき、どう思ったよ?」

 俺は、苦し紛れに話題を切り替えた。


 「ああ、木村さん多分そこひっかかってたっしょ?普段の話聞いてたら、わかりますよ、ええ」

 

 「そうか、さすが相棒。そうそう19世紀の半ばに、ドイツのかの有名な哲学者が言ってる。資本主義経済が進行すると人間が利害関係のだけになって人間らしさが失われていくって話しな。人間は誰かのためのではないし、まして値札が着いたようなじゃないんだよ。しかし、今の若い人は、自分が商品だって自らをおとしめる言葉を平気で言う。俺には違和感しかないよ」


 「でも、現実問題そう思わせる世の中ってことでしょ?世の中って露骨にあなたはいくらいくらの人間っていつも値踏みされてる感じがしない?だいたい、私の病院の医療事務なんて殆どハケンとパートだよ。いつでも要りませんって言われるモノ扱いじゃない?」


 「人間は、物と違って壊れたから捨てますって訳にいかないんすけどねえ」


 「そうだ。そういうこと!」

 何か、僕らは少しやり場のない腹立たしさと、どんよりした空気感に包まれる。


 「れいさん、でも、私達って少なくともこの探偵業では、人間らしく働けてんじゃない?れいさんは、やりたくないことしないし道具にも商品にもなってないでしょ?」

 

 「そう。そのために独立開業したんだしな」

 こんなふうに前向きに話題を展開させていくムードメーカー、それが美幸の長所でもある。グッドジョブ。

 

 『ピンポーン』

 『ガチャ』


 その時、玄関チャイムが鳴ると共に、事務所のドアが激しく開かれる。

 

 「荒井さんか。どうしたの突然?」

 入って来たのは、俺の大学の同級生の荒井博文君の母で、ビルの大家且つ管理人の荒井礼子あらいれいこさんだ。このように突如として前触れなく出没するのが特徴でもある60代後半のおば様だ。


 「あら美幸ちゃんもいたの?ちょっと木村君貸していただけます?電球かえるの手伝って欲しいのよ!」


 「もちろん。どうぞどうぞ」


 荒井さんには、息子さんとの同級生のよしみでなんと家賃を半額にしてもらっていて、何かと用事を頼まれても一切文句など言えない立場にある。


 「ま、しかしある意味、道具ではあるな(ボソッ)」


 そして俺は、嬉々として管理人さんと共に作業に向かうのである。礼子さんと俺は不思議と波長が合い、仲が良い。



 ーーーー計画通り順調に、アイサそして宇野と調査対象が広がりつつある。ただ、まだまだ暗中模索、始まったばかりなのである。


 ここは大塚、俺は街の優しい探偵だ。


優しい探偵RE

2023.11.16







 



 




 




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